出発
連日、俺たちは亜人傭兵団との模擬戦を繰り返していた。
戦場さながらの激しい戦いが続いたが、俺たち郷田家の戦士にとっては絶好の鍛錬となった。
ブラッドをはじめ、グリズラやナミラとも剣を交えていく中で、お互いの力を認め合うようになり、気心が知れてきた。
戦いを通じて、最初は遠巻きに見ていた亜人たちも、次第に俺たちと親しくなり、戦友としての絆が生まれ始めた。
言葉を交わす機会が増え、飲み交わす酒の量も日に日に多くなった。
模擬戦が終われば、宴席での語らいも自然と盛り上がる。
そんな日々の中、ある日剛蔵が突然、驚くべきことを言い出した。
「……俺は、グリズラとナミラを嫁にする!」
その一言に、俺はもちろん、勇太も目を見開いた。
宴席が一瞬、静まり返る。
冗談かと思って剛蔵の顔を見るが、その表情は真剣そのものだった。
「……本気か?」
俺が思わず問い返すと、剛蔵は堂々と胸を張り、二人の女傑を見つめながら頷いた。
隣に座っていたグリズラも、ナミラも、満足そうに微笑んでいる。
「そうだ。何度も剣を交えて分かったんだ。俺にはこの二人しかいねえ。お前たちが笑おうが何しようが、俺はこの二人と一緒に生きていく」
その言葉に、俺は驚きを隠せなかった。
戦場では無敵の剛蔵だったが、独身を通してきた男が、ついに結婚を決意するとは。
「まあ、剛蔵が決めたなら……誰も文句はないさ」
俺がそう言うと、勇太も苦笑しながら頷いた。
「ったく、こいつもようやく嫁をもらうか……」
こうして、急遽祝言が執り行われることになった。
剛蔵の結婚は皆を驚かせたが、誰も反対する者はいなかった。
むしろ、彼の武勇を称え、彼が選んだ二人の嫁を心から祝福する空気が広がっていた。
祝言の夜は、今までの宴以上に豪華で賑やかだった。
剛蔵は、グリズラとナミラの間で誇らしげに座り、二人の女性も堂々とその場を仕切っていた。
亜人傭兵団の仲間たちも大いに盛り上がり、酒が尽きることなく注がれ続けた。
「剛蔵、幸せになれよ!」
俺も勇太も、祝福の言葉を贈った。
剛蔵は照れくさそうに笑いながらも、力強く杯をあげた。
「当たり前だ! 俺が選んだ嫁だ、後悔なんかあるもんか!」
祝言の後、剛蔵はしばしの休息を取ることができたが、俺たちにはまだ任務が残っている。
次の目的地は、大谷家。
剛蔵の故郷でもあり、菊の実家でもあるこの場所に立ち寄ることが決まっていた。
そして、一度大谷家に立ち寄った後は、いよいよ郷田家に帰還する計画が進んでいた。
「出発は……1週間後だ」
剛蔵がそう告げた時、宴席には一瞬の静寂が訪れた。
楽しい日々が続いていたが、俺たちは旅を続ける戦士だ。
剛蔵も、グリズラも、ナミラも、それを分かっていた。
「また新たな戦が待っているだろう。だが……今日という日は忘れない」
俺は剛蔵に向かって頷きながら、再び杯を掲げた。
「そうだ。俺たちはまた強くなった。戦いを続け、帰還し、さらなる力をつける」
こうして、剛蔵の祝言も無事に終わり、俺たちは次なる目的地である大谷家への旅の準備を始めた。
数日後、夜の伊達家邸宅で静寂が広がる中、俺は廊下を歩いていた。
ふと背後から声がかかる。
「隼人、少し話せるか?」
声の主は勇太だった。
俺は立ち止まり、振り返って勇太の顔を見る。
勇太は少し微笑んで手で合図し、俺を別の部屋に誘った。
部屋に入ると、勇太が先に座り、俺もその前に腰を下ろす。
静かな和の雰囲気が漂う部屋で、二人の会話を引き立てるような温かな空気が流れていた。
「こうして二人で話すのも久しぶりだな」
勇太が口を開くと、俺は小さくうなずき、少し照れくさくて視線を逸らした。
勇太の真剣な表情に、自然と身構えてしまう。
「お前もすっかり逞しい男になったな」
低い声でそう言う勇太の目には、どこか誇らしげな光が宿っていた。
「そうだな、色々あったけど、ここまで来れたのは兄貴がいたからかもしれない」
俺は勇太の思いがけない言葉に少し驚きながらも、静かにその言葉を受け止めた。
勇太は続けて言う。
「俺はお前より二歳上だが、側にいるからこそ分かるんだ。お前の成長ぶりには驚くばかりだよ。それに、伊達家やブラッドたちがどうしてお前に信頼を寄せているかも、よく理解している」
勇太の真剣な眼差しを受け止めながら、俺は兄の言葉にじっと耳を傾ける。
幼い頃から共に過ごし、時にはぶつかりながらも切磋琢磨してきた兄の言葉には、どんな言葉よりも重みがある。
勇太は微笑みを浮かべ、少し照れた様子で続けた。
「…お前には、人を引き付ける力があるんだよ、隼人。だからこそ、周りのみんながお前を信じ、リーダーと認めてついて行こうとしている。俺から見ても、その魅力は計り知れないんだ」
少し息を吐いて、俺は目を伏せた。
勇太からの称賛には少し照れくささがあるけど、そのまっすぐな言葉は俺の中の不安をそっと解きほぐしてくれる。
「俺が、リーダーか…」
ぽつりと呟いてみる。
自分にはまだまだ経験が足りないし、先頭に立つ器かどうか疑わしい部分もある。
けど、勇太はそんな俺の成長を見てきて、確信を持ってるみたいだ。
「そうだ。これからは、お前がリーダーだ。みんなを導いていくのは、もうお前の役目だ。俺はこれからもお前を支えていくし、力を合わせていくつもりだ」
勇太はしっかりとした声でそう言い切り、俺の肩を軽く叩いた。
その力強い言葉に、俺の心にも徐々に勇気が湧いてくる。
兄貴がそこまで言ってくれるなら、俺も背を向けず真っ直ぐに進んでいくべきだと思えた。
「兄貴…ありがとう。俺も、これからはもっと覚悟を決めて…」
そう言いかけた瞬間、勇太がにやりと笑って俺の言葉を遮る。
「覚悟を決めるのも大事だが、あまり気張りすぎるなよ。肩の力を抜いて、リーダーってやつも、楽しくやることが大事だろ?お前にはその素質もあるんだからさ」
その軽やかな言葉に、俺は自然と笑みを返す。
幼い頃から、どんなに厳しい場面でも楽しみを見出してきた勇太の姿が思い浮かんだ。
頼れる勇太に支えられ、ここまで来られたからこそ今の俺がいる。
改めてその絆を確かめ合い、俺たちは互いに笑い合いながら、静かな夜のひとときを共に過ごした。
夜の静寂に包まれる中、俺たち兄弟の絆が確かに深まった瞬間だった。
一週間が過ぎ、別れの夜が静かに近づいていた。
俺たち郷田家の一行は、ついに次の目的地である大谷家への出発を控えていた。
剛蔵、ブラッド、レッドル、グリズラ、ナミラ――彼らと共に旅を続けることが決まっていたが、他の傭兵団は伊達家に留まることになった。
伊達家の戦力低下を防ぐため、秀隆はその選択を感謝しつつ、理解を示してくれた。
俺たちにとっても、大人数で旅を続けるのは経費がかかるし、少数精鋭の方が動きやすいという現実もあった。
伊達家が傭兵団の費用を負担してくれるのは、お互いにとってWIN-WINの関係だった。
しかし、俺の心にはどうしても解消できないもやもやが残っていた。
それは、玲奈との別れが迫っているという現実だった。
俺はここに来てから何度か彼女と接する機会があったが、実際に深い話をしたことはなかった。
宴席でお酌をしてくれたあの夜、彼女の美しさに心を揺さぶられたのは事実だが、何も言えなかった。
玲奈との話をするとき、俺はどうしても緊張してしまう。
自分がこんなに動揺する理由は分かっていた。
美しすぎるのだ。
手を出したら汚れてしまうような、壊してしまうような。
それに、彼女は一樹の嫁候補だ。
だからこそ、俺が積極的に話しかけるわけにもいかない。
彼女に興味がないふりをしなければならなかったし、秀隆との密談も玲奈には内密にしておく必要があった。
俺が何かを口にすれば、彼女の心を乱すことになるかもしれない。
それが、俺の胸にやきもきした気持ちを残したままになっていた。
夜が深まる中、俺は一人で庭を歩いていた。
旅立ちの準備も整い、今夜が伊達家で過ごす最後の夜だということが、どこか現実感を伴わずに胸を締め付けていた。
月明かりが池の水面に揺らめき、静寂の中に微かな風が吹いていた。
玲奈のことが頭から離れない。
彼女の優しさや悲しそうな表情が、俺の心に何度も浮かび上がってくる。
彼女はきっと、自分が醜いから俺が避けているのだと思っているのだろう。
しかし、そんなことはない。
彼女は美しい。
俺にとっては……。
「玲奈様……」
小さな声で呟き、俺はふと立ち止まった。
だが、俺には彼女に何も言えなかった。
言葉が出てこない。
もしこのまま黙って旅立ってしまえば、彼女をさらに孤独にしてしまうのではないか、そう思うと胸が締め付けられるようだった。
何もできない自分に苛立ちを感じながらも、俺は心の中で誓った。
「必ず……力になる。玲奈様が、幸せになれるように」
言葉にはできなかったが、俺はその誓いを胸に刻み、玲奈との別れに臨む覚悟を決めた。
彼女がこの伊達家で、どんな未来を歩むことになっても、俺は決して彼女を見捨てたりはしない。
彼女の幸せを心から祈っているのだ。
明日、俺たちは旅立つ。
そして、一樹の嫁探しの旅も続いていく。
だが、俺の心には玲奈の存在が深く刻まれたままだった。
彼女に何も言えないまま別れなければならないことが、何よりも苦しかった。
朝日が昇り始め、伊達家の広大な屋敷に、穏やかな光が差し込んでいた。
俺たちは、出発の準備を終え、門前に集まっていた。
荷物を積んだ馬、剛蔵や勇太、そしてブラッド、レッドル、グリズラ、ナミラたちが揃い、出発を待っている。
伊達家に滞在した数週間は、まるで夢のようだった。
だが、俺たちには次の目的地があり、それがどれだけ遠くても、進まなければならない。
秀隆が門前に現れ、俺たちに近づいてきた。
「隼人、剛蔵、勇太……短い間だったが、よくしてくれて感謝している。この先の旅も無事であることを祈る」
秀隆の目は温かかった。
彼の声には、何か重みを感じる。
伊達家の未来、玲奈のこと――いろいろなことが胸に去来しているのだろう。
「秀隆様、こちらこそ、お世話になりました」
俺は一歩前に出て、深々と頭を下げた。
勇太と剛蔵も同様に頭を下げ、ブラッドたちも黙って感謝の意を表した。
「……隼人、頼んだぞ」
秀隆は低い声でそう言った。
玲奈のことについては直接触れられなかったが、その視線にはすべての思いが込められていた。
俺は無言で頷き、その気持ちを受け取った。
そして、最後に姿を現したのは玲奈だった。
銀髪が朝の光を浴びて、柔らかく揺れている。
彼女はいつものように静かに佇んでいたが、その青い瞳が俺を捉えた瞬間、俺の胸は再び締めつけられるようだった。
「隼人様……」
玲奈が小さな声で呟く。
俺はどうしても言葉を見つけられず、ただ彼女を見つめ返すしかなかった。
彼女の表情には、どこか寂しさが漂っていた。
「玲奈様……」
俺はかすれた声で彼女の名を呼んだ。
だが、それ以上の言葉が出てこない。
俺にできるのは、彼女に見守られながらこの場を去ることだけだった。
玲奈が少しだけ微笑み、俺に小さく頭を下げた。
その姿が心に焼き付く。
「では、行くぞ」
剛蔵が声をかけ、俺たちは馬に乗った。
出発の合図と共に、俺たちは大谷家へと向かって動き出した。
伊達家を後にして、次の道へと進むのだ。
振り返ることなく、俺は前を見つめた。
しかし、心の奥にはまだ玲奈の姿が消えずに残っている。
彼女のために俺ができることが何か、まだ答えは出ていない。
「必ず……いつか力になる」
そう誓いながら、俺は馬の背に揺られて進み続けた。
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