宴席
酒宴の中盤、場の熱気は最高潮に達していた。
俺はブラッドの忠誠を受け入れたばかりで、杯を重ねながら仲間たちと勝利の余韻に浸っていた。
戦いの疲労はあったものの、気持ちは高揚し、体の痛みも忘れるほどだ。
そんな時、剛蔵がようやく宴に姿を現した。
左右には、堂々と並ぶ熊の獣人グリズラと鯨の魚人ナミラ。
その巨体を揺らして歩く二人の女傑を伴いながら、剛蔵が軽い笑みを浮かべて席に着く。
彼の様子を見て、俺は思わず苦笑いを漏らした。
「お前、どこに行ってたんだよ。怪我してたんじゃなかったのか?」
俺がそう尋ねると、剛蔵は照れくさそうに笑いながら肩をすくめた。
彼の顔には心配していたような苦しげな表情は全くなく、むしろとろけきった表情で、どこか恍惚とした雰囲気すら漂っていた。
「いやぁ……怪我なんて、全然大したことなかったさ。むしろ、この二人にしっかりと面倒を見てもらったおかげでな」
剛蔵はそう言いながら、隣にいるグリズラとナミラに目配せを送る。
二人は無言で頷いたが、どこか誇らしげだ。
グリズラは彼の肩に大きな手を置き、ナミラは彼の背中を優しく撫でている。
その様子を見れば、どんな「面倒」を見てもらったのかは、想像に難くない。
「……お前、まさか、その面倒って……?」
俺が顔をしかめて尋ねると、剛蔵は豪快に笑い出した。
「ははは! そうだ、怪我の心配なんてする必要はなかったんだよ。こんなに心地よくなる面倒を見てもらったのは初めてだ。お前らも知ってるだろうが、俺は今夜、最高に楽しんできたってわけさ」
その言葉に、俺は呆れるというよりも、むしろ剛蔵の武勇を改めて感じた。
彼は単に戦場で強いだけでなく、こういった場でも自然と注目を集め、誰よりも愛されている。
「まあ、こんな調子でモテモテなんだ。怪我も忘れるってもんだろ?」
剛蔵がにやりと笑うと、宴に参加していた傭兵団のメンバーも、彼の武勇を称えて声を上げた。
「剛蔵殿の力は、我々の中でも噂になっている。あの4人相手に戦い抜いたのだからな」
「まさに猛将よ。俺たちも見習いたいもんだ」
傭兵たちが次々に賛辞を送り、剛蔵は杯をあおって満足そうに頷いた。
隣にいるグリズラもナミラも、その言葉に同意するように微笑みを浮かべている。
剛蔵は武勇を見せたことで、まさに英雄として扱われていた。
俺はその様子を見て、ふと笑いながら彼の強さについて言及した。
「剛蔵は素手でもこれだけの強さだ。だが、剣を握ればもっと強い。お前たちが見た剛蔵の武勇は、まだまだ氷山の一角だ」
俺の言葉に、宴席の者たちは驚いたような表情を浮かべた。
傭兵たちが互いに目を見合わせ、剛蔵を再び見つめる。
「剣を握れば、さらに強い……か。それは是非とも見てみたいものだな」
ブラッドが深く頷きながら、興味を示した。
傭兵団の中には、剛蔵がただの戦士ではないことを察している者もいる。
素手での戦いですら圧倒的だった彼が、武器を手にすればどれだけ恐ろしい戦士になるのか、彼らはその可能性を考えていたのだろう。
「それはまた今度のお楽しみだな。今日は、みんなで勝利を祝う夜だ。もっと飲め!」
剛蔵が豪快に笑い、杯を掲げると、周囲もそれに続いて酒を注ぎ合った。
俺も満面の笑みを浮かべながら、自分の杯を掲げた。
「そうだな、今日は思い切り祝おう。これから先も、俺たちにはまだ戦いがある。そのためにも、この夜を存分に楽しもう!」
その言葉とともに、酒宴はさらに盛り上がり、俺たちは勝利の喜びと、新たな未来への希望を胸に、夜を過ごした。
宴も終盤に差し掛かり、次々と料理が運ばれてくる中、俺の目の前に出されたのは刺し身だった。
新鮮な魚が薄く切られ、美しく盛り付けられた刺し身の皿を見た瞬間、俺の胸は高鳴った。
「これ……!」
懐かしい。
前世で何度も食べた、あの刺し身だ。
新鮮な魚を食べる喜びが蘇り、俺は思わず身を乗り出した。
伊達秀隆が、そんな俺の様子を見て、軽く笑いながら言った。
「これは我が領内の地方料理だ。合う合わないはあると思うが、せっかくだ。召し上がれ」
その言葉に、俺は遠慮なく箸を取った。
「いただきます!」
一切れを口に入れた瞬間、舌の上で広がる新鮮な味わいに、俺は思わず目を閉じてしまった。
なんて美味いんだ……!
俺の心は感激で満たされ、次々と刺し身を平らげていく。
「おいおい、隼人、そんなに食うのか?」
勇太が横で苦笑いしながら声をかけてきたが、俺は夢中で答える。
「もちろんだ! これ、すごく美味いんだよ!」
剛蔵も、少し驚いたように俺の皿を見つめたが、彼は刺し身には一切手をつけなかった。
魚料理には興味がないらしい。
俺の横で、二人とも箸を動かすことなく、微妙な顔をしていた。
「いや、俺たちにはちょっと合わねえな……」
勇太も剛蔵も、刺し身の皿を前にしながら、結局一口も食べようとはしない。
その様子を見て、俺は少し笑った。
どうやら、この生の魚というものが二人には馴染みがないらしい。
「郷に入っては郷に従え、って言うだろ? 地元の料理を楽しむのも旅の一部だ」
そう言いながら、俺は次々と刺し身を口に運んだ。
これに関しては、間違いなく伊達家の料理は俺の口に合っていた。
その様子を見ていた伊達家の者たちが、俺に興味を抱き始めたようだった。
「隼人殿は、ここの料理を随分と気に入っているようだな」
「うむ、郷田の戦士でありながら、こういった料理を喜んで食べるとは。気に入った」
伊達の者たちの視線が俺に向けられ、彼らの中に一種の好意が感じられた。
どうやら、俺がこの地方の料理を楽しんでいる姿が、彼らには好印象だったようだ。
「郷に入っては郷のものを食え、ってのは本当だな」
俺は彼らに微笑み返し、さらなる一切れを口に運んだ。
鮮度抜群の魚は、前世でも特に好きだった食べ物の一つだ。
俺が次々に刺し身を平らげる様子に、周囲は少し驚いていた。
そしてその時、俺の前に静かに現れたのは、玲奈だった。
彼女はそっと盃を持ち、俺にお酌をしてくれた。
「……お楽しみいただけているようで、嬉しいです」
玲奈が小さく微笑んで言う。
月光に照らされた宴席で、彼女の銀髪と青い瞳は一層美しく映っていた。
「玲奈様……ありがとう」
俺はその姿に胸が苦しくなるのを感じた。
彼女の気遣いが嬉しかったが、それ以上に、彼女が抱えている孤独や重圧が伝わってくるようで、言葉にならない感情が胸に溢れてきた。
玲奈が俺にお酌をしてくれる間、勇太と剛蔵は黙っていた。
だが、二人の顔を見ると、彼らは明らかに苦い顔をしていた。
玲奈に対する俺の思いが、二人にはすぐに伝わっていたのだろう。
「隼人……」
勇太が俺の耳元で小さく囁いた。
「少し控えろよ、俺たちはこの国で兄貴の嫁を探しに来たんだからな」
その言葉に、俺は一瞬息を呑んだが、すぐに冷静を装って頷いた。
「分かってる……だが、玲奈様には礼を尽くすべきだろう?」
勇太はさらに眉をひそめたが、これ以上何も言わなかった。
剛蔵も、何も言わずに杯を傾けている。
彼らが玲奈をどう思っているかは分からないが、俺が彼女に抱く感情を見抜いているのは確かだ。
俺は再び玲奈を見つめた。
彼女は優しく微笑みながら、俺の盃に酒を注ぎ続けていた。
その姿に、俺の胸はさらに苦しくなった。
「……ありがとう」
俺は再び礼を述べ、盃を受け取った。
玲奈の小さな手から注がれた酒を飲み干しながら、俺の心は彼女への思いで満たされていった。
宴が終わり、辺りは静まり返っていた。
酒の酔いが少し残る中、俺は一人で歩いていたところ、伊達秀隆から呼び出された。
彼の表情は穏やかだったが、その奥に何か重たいものを感じさせた。
「隼人、少し話がある。少しだけ付き合ってくれないか」
彼の言葉に俺は頷き、彼のあとを静かに追った。
歩いていくと、伊達家の庭園の片隅にある月明かりが美しく差し込む場所に着いた。
風は心地よく、宴の騒がしさから一転して、二人の間には静寂が漂っていた。
「……玲奈のことだ」
秀隆は静かに口を開いた。
その言葉に、俺の心臓が一瞬大きく跳ねる。
玲奈……。
あの銀髪に青い瞳の女性が、俺の頭をよぎった。
「玲奈のことは、もう分かっているだろうが……彼女はこの国では、醜女として扱われている」
彼はそう言って、微かに苦笑した。
彼の表情には、父親としての悲哀が漂っていた。
俺は何も言わずに彼の話を聞いた。
「……親の欲目かもしれないが、あの子は性格も良いし、真面目な子だ。だが、あの容姿が故に、多くの者から冷たい目で見られてきた」
秀隆の声は静かで、どこか遠くを見つめるような目をしていた。
「隼人、お前に頼みがある」
俺はその言葉に驚いたが、表情には出さなかった。
秀隆は俺に真剣な目を向けていた。
「もし、一樹殿との話がうまく進まなかった場合だが……玲奈をもらってやってくれないか」
その言葉に、俺の心臓はさらに跳ねた。
秀隆はさらに言葉を続けた。
「玲奈は……一夫一婦制を守ってきたこの伊達家の掟に囚われている。だが、それがこの世の中で伊達家が衰退してきた原因でもある。今の世は殺伐としている、一夫一婦制に拘る時代ではないかもしれん。一樹殿にも当家の一夫一婦制は気にせず考えてくれと伝えてくれ。もちろん、隼人も同じように考えてくれ」
秀隆の表情には、苦しげなものがあった。
彼の言葉には重みがあったし、俺もその場で何も言えずにいた。
秀隆はため息をつき、続けた。
「……先だった妻に対しても、私は玲奈を独り身のまま生かすことが申し訳ない。あの子に、幸せな人生を歩んでほしいと、私は願っている」
その言葉に、俺は何も返すことができなかった。
ただ、秀隆の思いが痛いほど伝わってきた。
「隼人、お前は、勇太や剛蔵からゲテモノ喰いと言われていることを知っている」
秀隆は苦笑しながらそう言った。
「だが……その"異質"を受け入れられるお前だからこそ、私はお前に玲奈を託せるかもしれないと、一縷の望みをかけている」
秀隆の言葉は、俺の胸に重く響いた。
彼の娘、玲奈に対する思い、そして父親としての責任と愛情が伝わってくる。
それと同時に、彼が俺を信じて頼ってくれていることが、嬉しくもあり、また重圧を感じた。
俺は深く息を吸い込み、秀隆の真剣な目を見つめ返した。
確かに、玲奈はこの国の美的基準では異質だ。
だが、俺にとって彼女は間違いなく美しいし、何より彼女の優しさと孤独を知ってしまった今、簡単に拒絶することはできなかった。
「……秀隆様、俺にはまだ玲奈様のことを十分に知っているとは言えません。しかし、彼女が素晴らしい女性であることは、この短い時間でも十分に感じています」
俺は慎重に言葉を選びながら続けた。
「一樹兄さんとの話がどうなるかは分かりませんが、その時は……玲奈様のことを考えさせていただきます」
秀隆は俺の言葉を聞き、静かに頷いた。
「ありがとう、隼人。お前がこうして玲奈を思いやってくれるだけで、私は十分だ。……だが、最終的にどうなるかは、時が決めることだな」
彼はそう言い、再び穏やかな表情に戻った。
俺はこの夜、初めて彼の本当の思いを知った。
玲奈という女性をどうすべきか、俺の中でも迷いが残るが、少なくとも彼女を一人で孤独にさせることだけは避けたいと思った。
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