黒鬼
ブルードンを倒し、会場が静寂に包まれる中、俺は勝利の余韻に浸る暇もなく、次の相手がゆっくりと前に進み出てくるのを見た。
黒鬼のブラッド。
彼の存在感は圧倒的だった。
巨体はブルードン以上、鋼のような筋肉が全身を覆い、真っ黒な肌が周囲の光を吸い込むように暗い影を作っていた。
目つきは鋭く、獲物を狙う猛獣のような眼光が俺を睨んでいる。
「……これは、厳しいな」
俺は自然と緊張で手のひらに汗を感じた。
体格差も、力の差も歴然としている。
これまでの相手とは次元が違う。
勇太が倒れた今、俺がこの戦いに勝たなければ、郷田家の名に泥を塗ることになる。
「……いよいよ本番だな」
ブラッドが低く唸りながら、冷たい笑みを浮かべた。
その巨体が動くたびに地面が揺れ、周囲の空気が一気に緊張で張り詰める。
試合の合図が鳴ると、圧倒的な速さでブラッドが突進してきた。
その巨体からは想像できないほどの素早さで、俺は何とかかわそうとするが、次の瞬間には拳が俺の腹に直撃していた。
「ぐはっ……!」
巨体の力に押され、俺の身体が宙に浮き、そのまま数メートル飛ばされて地面に叩きつけられた。
強烈な衝撃が全身を駆け巡り、一瞬息が止まった。
「……これが、本気か……」
立ち上がろうとするが、全身が震え、足がふらつく。
ブラッドは笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいてきた。
「どうした、もう終わりか? その程度じゃ、俺には勝てない」
その言葉が耳に響く中、俺は歯を食いしばりながら立ち上がった。
諦めるわけにはいかない。
「お前には、まだ俺の本気を見せてないだけだ!」
俺は拳を握りしめ、再び突進した。
だが、ブラッドの動きは速すぎた。
彼は俺の攻撃を軽々とかわし、逆に強烈な打撃を顔面に叩き込んできた。
「くそっ……!」
俺の頭が揺れ、視界が一瞬ぼやける。
再び地面に倒れ込んだ俺は、これまでの苦行の日々を思い出していた。
片山 五平の厳しい教えが頭をよぎる。
「気を感じろ」と目隠しされ、木刀で毎日のように打たれたあの日々。
木刀が迫る瞬間、俺は少しずつ気配を感じ取れるようになっていった。
「気を研ぎ澄ませ……」
その言葉が頭の中で響く。
俺は深く息を吸い込み、気配を探った。
そして、次の瞬間、ブラッドの拳が俺の方に向かってきたのを感じ取った。
「今だ……!」
俺はギリギリでその拳をかわし、すかさずカウンターを放った。
だが、ブラッドの肉体は鋼のように硬く、拳が通じた感じがまるでしない。
「どうすれば……!」
俺は焦りの中で、次の手を考えた。
だが、ここで無策に突っ込めば確実に負ける。
それに、時間もない。
ふと思い出すのは、絢子や二郎との勉学の日々だった。
「魔法……身体強化魔法か……!」
俺は意識を集中し、体の中に流れる魔力を感じ取ろうとした。
絢子や二郎に教わった、魔力を使って身体を強化する技術。
それを一瞬だけ使えば、勝てるかもしれない。
「ここしかない……!」
俺は深く息を吸い込み、風の身体強化魔法を発動させた。
体の中に魔力が流れ込み、まるで風が身体を駆け巡るように軽くなる。
視界が一気に広がり、ブラッドの動きがゆっくりに見えた。
「これで……決める!」
俺は一気に加速し、ブラッドの懐に飛び込んだ。
彼が驚く間もなく、俺の拳は彼の鳩尾に全力で叩き込まれた。
「うおおおおっ!」
その一撃はまさに渾身の力だった。
ブラッドの巨体が宙に浮き、地面に重く崩れ落ちた。
「ぐ……ぐあっ!」
ブラッドが苦しみの声を上げながら、倒れ込んだ。
彼の鳩尾には深いくぼみが出来て、そこを風の魔法が切り裂いていた。
俺は息を切らしながら立ち上がり、右手を見た。
魔法を使った反動で、右手から肩までがズタズタになっている。
「くっ……!」
痛みが全身を襲い、意識が遠のきそうになるが、俺は勝鬨を上げるために右手を突き上げた。
「勝ったぞ……!」
血まみれの右手を天に向かって突き上げ、俺は勝利の叫びを上げた。
観客席からは歓声が巻き起こり、郷田家の名誉が守られた瞬間だった。
「……これが、俺の……勝利だ」
俺は満身創痍の身体で静かに呟き、血に染まった右手を下ろした。
勝利は得たが、身体には深い傷が残っていた。
しかし、それでも俺は笑っていた。
戦いが終わり、宴が始まった。
大きな屋敷の中庭には、松明が灯り、戦いの熱気がまだ冷めやらぬ空気が漂っている。
伊達家の者たちが席に着き、酒が次々と注がれ、豪華な料理が運ばれてきた。
だが、俺は右手から肩までの激しい痛みを感じながら、酒の杯を手にしていた。
「無茶しやがって……」
勇太が横で苦笑いを浮かべながら、俺の怪我を気にしてくる。
だが、俺は軽く笑って首を振った。
「大丈夫だ……少し無理したが、勝ったんだ。これでいい」
勝利の余韻を感じながら、俺は杯を口に運んだ。
だが、その時、重い足音が近づいてくるのを感じた。
視線を向けると、そこには傭兵団の者たちが、揃って頭を垂れていた。
「隼人様……」
その先頭に立つのは、倒したばかりのブラッドだ。
黒い肌に覆われたその巨体が、申し訳なさそうにしている姿は異様だった。
彼の後ろには、残りの傭兵団のメンバーも並び、皆が深々と頭を下げている。
「隼人様?何だ? 謝りに来たのか?」
俺は杯を置き、冷静に彼らの顔を見つめた。
ブラッドが頭を下げたまま、低い声で答える。
「すまなかった。お前の力を見くびっていた。最初から郷田や伊達家の名に泥を塗るような態度を取ったことを、深く反省している」
他の傭兵団のメンバーも、次々に謝罪の言葉を口にする。
俺は驚きつつも、ブラッドの顔を見据えた。
「それで済むと思っているのか? 俺たちは誇りをかけて戦っているんだ。簡単に謝って済むような話じゃない」
俺の言葉に、ブラッドはさらに深く頭を下げた。
「それは重々承知している。だが、亜人は強者に従う。俺たち亜人の掟では、強い者に対しては無条件に忠誠を誓うのが常だ」
ブラッドの言葉に、宴席は一瞬静まり返った。
俺は眉をひそめながらも、彼の真剣な眼差しを見つめ返す。
「忠誠だと?」
「そうだ、隼人。俺たちはお前に負けた。だから、お前に忠誠を誓う」
ブラッドは深々と頭を下げ、そのまま手を胸に当て、重々しく言葉を続けた。
「これから先、お前がいかなる道を歩もうと、俺たちはお前に従う。そして……」
ブラッドはゆっくりと顔を上げ、俺の顔をじっと見つめた。
その鋭い目には、どこか楽しげな光が宿っていた。
「俺は、まだ若いお前の将来が楽しみでならない」
その言葉を聞いた瞬間、俺は少し戸惑いを感じた。
まだ未熟な自分が、彼のような強者を従える立場にあるのか、という疑念が浮かんだからだ。
だが、ブラッドの真剣な表情を見て、その疑念は次第に消えていった。
「……ブラッド、俺はまだ未熟だ。だが、お前が本当に俺に従うなら、俺はお前の忠誠を受け入れる」
俺は静かに言った。
ブラッドはそれを聞いて、満足そうに頷き、再び深々と頭を下げた。
「感謝する、隼人。お前の成長を見守ることが、これからの俺の楽しみだ」
ブラッドの重々しい声が響き渡る。
宴席の空気も和らぎ、次々に酒が注がれていった。
「まあ……無茶ばかりする弟だけど、悪くない選択だな」
勇太が杯を傾けながら笑い、俺の肩を軽く叩く。
俺は笑い返しながら、杯を手に取った。
勝利と共に得た忠誠心、それは俺にとって新たな力となるだろう。
俺は再び杯を口に運び、深い満足感を噛みしめながら、痛む右手を握りしめた。
「俺はもう負けるつもりはない更に強くならなきゃな」
そう心に決めながら、俺は宴の喧騒の中に静かに身を委ねた。
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