侮辱
宴席が終わり、俺は一人で庭を歩いていた。
静かな夜風が頬を撫で、満腹感と疲労が心地よく身体を包む。
空には大きな月が輝き、庭の池にその姿が映し出されていた。
そんな時、ふとどこかからかすすり泣く声が聞こえてきた。
俺は立ち止まり、周囲を見渡す。
月光の照らす先、庭の奥の木陰に一人の女性が膝を抱えて座り込んでいるのが見えた。
「……誰だ?」
俺はゆっくりと近づいた。
彼女は玲奈、先ほどの宴席で紹介された伊達家の息女だった。
彼女は銀髪を肩に垂らし、青い瞳を伏せたまま涙を流していた。
月光に照らされたその姿は、まるで異世界から来た女神のように神秘的で、前世の俺には到底想像もつかない美しさだった。
「玲奈様……」
声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。
その顔は涙で濡れ、どうしてここにいるのかと俺を見つめていた。
「どうしたんだ……こんな所で泣いて」
玲奈は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに目を伏せてこう呟いた。
「……私、醜いのでしょう? あなたたちから見ても……」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
確かに、ジパルド国の基準では彼女の外見は異質で、宴席でもそのことが話題に上ったばかりだった。
しかし、俺にとっては彼女は間違いなく美しい。
前世の日本で見てきたような、美的基準にぴったりと当てはまる存在だった。
「そんなことない……俺には、お前は美しいよ」
俺は正直な気持ちを伝えた。
玲奈は驚いた顔で俺を見つめ、涙を拭った。
「……ありがとうお世辞でも嬉しいわ。でも、みんなそうじゃないの。私がどんなに頑張っても、醜女だって笑われる……」
玲奈が泣きながら語るその言葉に、俺は彼女がどれだけ苦しんでいるのかを感じ取った。
彼女は伊達家のために生きるしかなく、その重圧と孤立に耐えてきたのだろう。
その時、遠くから侮辱する声が近づいてきた。
その声の主は亜人傭兵団の者たちだった。
「おい、あれ見ろよ。伊達家の醜女がまた泣いてるぜ……情けないったらないな」
「こんな顔でよく人前に出てこれるもんだ……嫁になんて、絶対無理だな」
その言葉に、俺の中で何かが切れた。
「黙れ!!」
俺は声を荒げ、侮辱している男たちの方へと向かって怒鳴った。
彼らは驚いて立ち止まり、俺を睨みつけたが、俺は一歩も引かなかった。
「お前ら、口にする言葉を選べよ……玲奈様を侮辱することは、伊達家を侮辱することだろうが!」
怒りに震える声でそう告げると、男たちは一瞬たじろいだが、すぐに険しい顔つきでこちらに向かってきた。
「なんだと……? お前、郷田の人間だろ? やるか?」
その時、声を聞いて走ってきた秀隆が割って入った。
「待て、これ以上は無駄だ。ここで争うのはやめろ」
秀隆は冷静に二人を見つめ、事態を収めようとした。
彼は娘の涙を見ても動じず、しかし目の奥には静かな怒りを感じさせた。
「だが、これ以上侮辱するなら、伊達家としても黙ってはいないぞ」
秀隆がそう宣言すると、男たちは不満げに顔を歪めたが、何も言わずに引き下がった。
「明日、御前試合で決着をつけろ」
秀隆は静かに告げ、俺たちに解散を促した。
その場は収まったが、翌日に試合で決着をつけることが決まった。
その夜、俺は庭を後にしながら、月光に照らされる玲奈の涙を思い出していた。
明日、俺は彼女の尊厳を守るために戦うことを決意した。
翌朝、試合の準備をしていると、秀隆が俺に声をかけてきた。
彼は昨夜の一件について話すために、静かな場所へと俺を連れ出した。
庭の端にある石の上に腰を下ろし、彼は深いため息をつく。
「隼人、昨夜のこと、すまなかったな。娘があんな風に泣く姿を見せたのは久しぶりだ……」
秀隆はそう言いながら、少し疲れた表情を浮かべていた。
彼は娘のことを気にかけてはいるものの、伊達家の当主として、玲奈を守ることができずにいる。
「玲奈様は、強い方です。でも、あの場で侮辱されるのは俺には耐えられませんでした」
俺がそう言うと、秀隆は頷き、遠くを見つめた。
「……実はな、伊達家は、今微妙な状況にある」
彼が低い声で語り始めた。
伊達家は、かつては南ジパルド地方で一二を争う強力な家系だったが、近年ではその武力が衰えてきているという。
「武力が衰え始めた頃、俺はどうにかして家を守ろうと、強力な傭兵団を招いた。それが今の亜人の傭兵団だ。彼らは優秀だ……だが、俺たち伊達家とは根本的に異なる存在だ」
秀隆はそう言って、額に手をやった。
彼ら傭兵団は、力を借りることで伊達家の弱体化を防いできた。
しかし、その一方で、彼らの力が伊達家の支配下に完全にあるわけではなかった。
「ブラッドと彼の息子レッドルを筆頭に、亜人や魚人、獣人たちが集まっているが、彼らの忠誠心は金にしか向いていない。彼らがいなければ、伊達家はもっと早く衰退していただろうが、今となっては彼らに頼りすぎているのも事実だ」
秀隆はこの傭兵団との関係を微妙なバランスで保ち続けてきた。
表向きは協力関係だが、彼らに完全に依存してしまえば、伊達家の権威は消えてしまう危険性がある。
「しかし、もっと根本的な問題があるんだ。俺には……玲奈しか子供がいない」
その言葉に俺は一瞬、言葉を失った。
玲奈は伊達家の唯一の跡取りだったのだ。
「俺はもう、息子を授かることはないだろう。玲奈も、今のところ縁談はまとまっていない。となれば、いずれ伊達家は途絶えるだろう」
秀隆は重くその事実を語った。
南ジパルド地方で強力な家系を誇った伊達家も、次世代へと血筋を繋ぐことができない現実に直面している。
「だからこそ、俺はどうにかして玲奈を守り、伊達家を存続させる方法を模索してきた。だが、ジパルド国全体で見ると、俺たちの美的基準は異端だ。どの家も玲奈を嫁に迎えようとしない……」
玲奈の容姿がジパルド国の基準に合わず、縁談がうまくいかないことが、伊達家の将来に深刻な影響を与えている。
これまで家を支えた財力や交易力も、武力の不足によって弱体化しつつある。
「郷田家と縁を結べれば、伊達家はもう少し延命できるかもしれないと思っていた。だが、玲奈を見て、お前たちは……」
秀隆は言葉を詰まらせた。
俺たちが玲奈をどう見ているか、彼には痛いほど分かっているのだろう。
「玲奈様は、美しい方です」
俺は素直な気持ちを伝えた。
秀隆は少し驚いたように顔を上げた。
「そうか交渉は終わった。つまらぬお世辞は良いんだ……だが、それはお前個人の意見だろう。郷田家として、娘をどう受け入れてもらうかは、また別の話だ」
俺も、その通りだと思った。
一樹が玲奈をどう感じるか、郷田家としての決断がどうなるか、俺一人で決められることではない。
「隼人、お前には玲奈のことを頼む。あいつは……強がっているが、本当は弱いんだ。昨日のように、時々ああやって泣き崩れることもある」
秀隆は深い思いを込めてそう言った。
彼は伊達家の存続のために戦ってきたが、玲奈という娘の未来を守るためにも、どうにかしたいと考えているのだ。
「分かりました。俺もできる限りのことをします」
そう誓い、俺は秀隆と共に試合の準備を進めることにした。
今日の御前試合で、俺は玲奈の尊厳を守り、そして伊達家と郷田家の絆を再確認するために戦うことを決意した。
伊達家の未来が、玲奈一人にかかっている。
その重圧の中で、彼女がどう生きていくのか、俺も共に見守り、そして助けたいと強く思った。
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