第五章 5
エド=ヴァアスに行くまでの支度に、三日がかかる。季節は五番目の月、常盤の月だ。 ジェラールはその日、ラツェエルを連れ出して郊外まで行った。
「どこへ行くの?」
「いいから、ついてこい」
彼女の手を取って、ジェラールはひたすら歩いた。
彼はその日のために、ひたすら策を練っていた。参考までにガディに話を聞こうかとも思ったが、あの馬鹿では魔物の剥製にしたらどうだとか言いかねないし、エトヴァスには緑茶にしたらどうじゃと言われてしまうだろうし、ヴァリに聞いたら真剣に考えすぎて結論が出てこないだろう。
そして考えに考えて、これにした。
「目を瞑ってくれ」
「そんなことしたら歩けないわ」
「俺が手を引く」
そこでラツェエルは目を伏せて、ジェラールに両手を預けた。
「なんだかこわいわね」
「つまずかないように、そこに石がある。気をつけて」
そして林を抜けて、ゆるゆると歩いていき、ようやくそこについた。
「……においが変わったみたい」
「いいぞ、目を開けろ」
ラツェエルはそっと目を開けた。
「……」
そこは、一面の花畑であった。
「――」
彼女はしばらくの間言葉を失って、それを見つめていた。
赤、薄桃、白、黄色、青、それに葉の緑、それらが混じり合って、絶妙な色を醸し出している。のどかな常盤の月の日の午後、太陽が燦々と照っていて、蝶が舞っている。
「ジェラール……これ……」
「そろそろ誕生日だろ」
ラツェエルは思い当たった。
「その日は移動の日に当たるから、早めにと思って、酒場の主人に聞いてここを探した」 初めて彼女を見た日、ラツェエルは花を摘んできていた。ジェラールの手首にまじないの紋様を編んだ紐を買う金を稼ぐのにも、花を売った。旅先にも関わらず、ラツェエルは花売りから花を買って宿の部屋に飾った。
彼女の周りにはいつも花があった。
「お前、花が好きだろ」
ラツェエルは微笑んだ。
「ありがと」
「旅先だから、こんなことくらいしかできなくて」
「ううん、嬉しい」
ジェラールは懐にしまっていたものを出して、そっとラツェエルに差し出した。
それは、明るいすみれ色の花であった。
「ほんとはすみれにしようと思ったんだけど、季節じゃなかったからこの色の花にした。 お前の目の色の花だ」
ラツェエルはもう一度微笑んで、それを受け取った。
「あなたはいつも私の目の色のものをくれるのね。なんか、お芝居のひとみたい」
そう言うと、ジェラールは照れたように頭をかいた。
「ガディにもよく言われる。お前、することが芝居がかってるんだよって。多分、芝居小屋で育ったからだ」
「そうなの?」
ああ、と遠い目になって、ジェラールはあの日のことを思い浮かべていた。
ジェラールは物心ついた頃、雪の降る道に捨てられていた。それを、旅の芝居芸人の一座に拾われたのである。そこで、芸人たちの雑用を任せられていた。
芸人たちの立ち回りを見る内に、剣に興味を持つようになった。
芝居の間、小屋の裏で一人、剣の稽古をしていると、旅の戦士がそれを見ていた。
「坊主、筋がいいな。どれ、俺と手合わせだ。かかってこい」
戦士は自分の剣を抜いて、ジェラールには自らの短剣を貸してくれて、それで手合わせをしてくれた。子供相手とはいえ、真剣なやり合いに思わず力が入った。
その勝負のどこがよかったものか、戦士はジェラールをいたく気に入り、芝居小屋と交渉していくばくかの金を払い、ジェラールをもらいうけた。六つだった。
そこから、剣の手ほどきを受けた。
ひいき目に見ても、その戦士は強かった。
世界中のあちこちを、二人は旅して回った。用心棒、傭兵、要人の警護、時々魔物退治、子供を連れていても、彼は平気でジェラールとそれらの場所へ出かけて行った。一つだけ、ジェラールが入れない場所があった。
「きれいなおねえちゃんを拝んでくる。お前はここで待ってろ。な」
そう言って、彼は娼館へ出かけていって、一時間ほどで急いで帰ってきて、待たせていたジェラールに駄賃をやってさあ行こうと宿へ戻っていくのだ。
そうして二人で旅をして、ジェラールが十六になった時、彼は言った。
「お前ももう成人だ。俺と無理して一緒にいることはねえ。好きにしろ。自由に世界を回るといい」
そう言って、彼はまた一人で旅立っていった。
一人で旅をするようになって、ある日ある商人の一団の用心棒をしていた時のことである。
酒場で、その商人たちが別の商人たちし言い合いになった。両者とも、ひどく酔っている。
「俺は旅をして大分長いが、あいつほど腕がたつ男を見たことがねえぜ」
「なにをう。俺だって長く旅をしてるが、俺んとこの用心棒だって強いもんだ。あいつの方が強いね」
「なんだとう」
俺の用心棒の方が強い、いいやあいつだ、と言い合いになり、双方引っ込みがつかなくなり、とうとう掴み合いにまで発展し、誰かが、
「まあまあ、そう熱くなりなさんな。そこまで言うんだったら、あなたとあなたの用心棒同士を戦わせてみたらいかがで」
と言い出して、こりゃまずいぞ、雲行きを危ぶんでいたら、自分にお声がかかった。
自分よりも幾分背の高い男が近寄ってきて、
「聞いたか。俺とあんた、勝負しなくちゃなんねえみたいだ」
ジェラールは顔だけをその男に向けて、
「あんた、強そうだね」
「強いよ」
やれやれ。ため息をついて、立ち上がった。面倒だな、と思いながら、剣を掴む。
酒場に歓声に沸き起こった。
背の高い方に銀貨五枚だ、俺は銀髪に金貨一枚だ、そんな声があちこちからかかる。
おいおい、やめてくれよ。これで負けたら寝てる間に殺されかねない。ジェラールは苦笑して、表に出た。
男は既に外に出て、剣を腰に吊るしている最中であった。その腕の見事な筋肉に、ジェラールは内心舌を巻いた。確かに強そうだな。勝てるかな。
元凶である雇い主の商人たちは、見物に混じってやんややんやと野次を飛ばしている。 あいつら、明日の朝はたたじゃおかないからな。
野次馬の輪を乗り越えて、ジェラールは男と対峙した。審判をかって出た男が、片手を上げてそれを振り下ろした。
それと同時に、男が小さく飛んだ。ほとんど勘で、ジェラールはそれを受けた。
ガッ、という強い衝撃と共に、腕が痺れた。
――速い。
それに、なんて腕の力だ。
思わずそれを押しのけると、男はちょっと驚いたように言った。
「へえ、俺の一撃をよけるとはね。確かに強い」
今度はジェラールが踏み込んで、男の右を突いた。男はちょっと隙を突かれたように退くと、それを剣の切っ先で弾いた。
見物たちはますます喜んで、賭けの金額を釣り上げた。
ジェラールと男は睨み合って、しばらく動かなかった。
そして二人はほぼ同時に飛び上がると、空中で切り合った。
キィン、とするどい音がして、どちらがどちらを斬ったのか、誰にも見えなかった。
着地した時、ジェラールも男も、どちらも剣を持っていなかった。互いに互いの剣を弾いたのだ。
しん、とあれだけ騒いでいた見物たちが静まり返り、沈黙だけが広がるなか、ジェラールと男が静かに振り返って顔を見合わせた。
「ふふふふふ……」
「ははははは……」
忍び笑いが漏れ、押さえられなくなっていつしか大きな笑い声となり、ジェラールと男は腹を抱えて大声で笑い合った。
翌日、ジェラールは勝手に自分を勝負させた商人の一団の用心棒をやめて、男と旅に出ることにした。
それがガディとの出会いだった。
「そうだったの……」
ラツェエルは花を編みながら、そう呟いていた。
「どうりで仲がいいはずね」
「腐れ縁さ」
ラツェエルは花輪を編んで、ジェラールの腕につけた。
「お前はいつも、腕に編んでくれるんだな」
「花冠はいやでしょ」
彼女は微笑む。ジェラールはちらりと自分の左腕を見る。そこには、彼女が編んでくれた魔除けのまじないの腕輪がある。
「これ、どういうものなんだ」
「賢者に古くから伝わる紋様よ。魔を祓うといわれているわ」
日が翳ってきた。
「そろそろ行こう。寒くなる前に」
ジェラールはラツェエルの手を取って、立ち上がった。自分たちも、旅の支度をしなければならない。そして、決戦の日は近づいている。
別れの日も、近づいている。
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