第五章 1


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 その男がラツェエルに話しかけてきたのは、突然だった。

 それは、宿で昼食を取っている時のことだった。

「やあ、やっぱり君だ」

 彼はラツェエルの肩に手をかけて確認すると、そう言って声をかけてきたのである。

 ラツェエルも顔を上げ、あら、と気がついたようである。

「すぐにわかったよ。元気かい」

「ええ。あなたも相変わらずのようね」

「変わらないよ。旅かい?」

「ええ。恋人と、仲間と一緒に」

「それはいい。あの仕事は、心が疲れるからね。じゃ」

 会話はそれで終わった。その内容からして、男はどうやらラツェエルの以前の仕事を知っていたようである。なんとなくそれが気になって、ジェラールは彼女に尋ねた、

「誰だ」

「うん」

 ラツェエルはそう言うだけで、こたえようとはしない。ジェラールはちょっといらいらして、もう一度聞いた。

「誰なんだ」

 その口調の強さに、ラツェエルはびくりとなった。

「……怒らない?」

「怒らない」

「……私の、初めてのお客」

「――」

 蕾売りの初めての客――

 初めてのくちづけの――。

 ジェラールは唇を噛んだ。

「そんなの、いちいち覚えてるものなのか」

「それは、女将さんが厳選してくれたひとだし、親切だったし、誘わなかったし」

「よかったか」

「やめて」

 ラツェエルは手を止めた。

「怒らないって、言ったじゃない」

「怒ってない」

「怒ってるじゃない」

「怒ってなんかない」

「じゃあなによ」

 二人の言い合いに、仲間たちは一様に手を止めた。

 ガディがそれに割って入った。

「まあまあまあまあ。そう熱くなりなさんなって。ラツェエル、ジェラールはさあ、妬いてんだよ。好きな女の初めての相手なんて、誰だって妬くよ。ジェラールも、その辺にしておけよ」

「初めての相手は、あなたじゃない。それをなによ」

「俺はただ」

「やめろってばー」

「話が複雑すぎる。儂らの手には負えん。退散じゃ」

 エトヴァスがお手上げの形を取って、ヴァリがリディアを促して二階に行った。ガディがしょうがないなあと呟いて、それを追った。

 二人は互いに沈黙して、そっぽを向いて黙々と食事を続けた。

 あの小島での一件が、尾を引いていた。

 一方は相手を置いていくと言ってしまい、また一方は相手に置いていかれると言われてしまったのだという思いがあった。

「……」

「……」

 私は、いつかジェラールの元を去る。

 こいつは、いつか俺の元を去る。

 それなら、一緒にいることは本当にいいことなの?

 ならば、今共にいることは意味があるのか?

 そんな疑問が頭をもたげる。

 ――やめよう。不毛だ。

 先に折れたのはジェラールだった。

 結果がどうなろうと、今を愛しもう。それでいいじゃないか。

「……すまなかった」

 ラツェエルは顔を上げた。

「お前が蕾売りをしたくてしていたわけじゃないのはわかっていたはずなのに、ついかっとなった」

「……」

「聞かなくてもいいことを聞いた」

 彼女はばつの悪い顔になった。

「……私も」

 ラツェエルはうつむきがちに言った。

「私も、言わなくていいことを言ったわ。余計なこと言って、あなたを感情的にさせちゃった」

 ジェラールはそっとラツェエルの手を握った。それを握り返して、ラツェエルはその肩にもたれかかった。

「ごめんね」

「俺こそ、ごめん」

 階段の一番上に座ってそれを見守っていたエトヴァスは、やれやれと声を上げていた。

「どうやら仲直りできたようじゃのう」

「まったく気を揉まされますね」

「あれで仲良しなんだから、やってられないわよ」

「馬鹿馬鹿しいったらありゃしないぜ」

 仲間たちはそう言い合って、めいめい部屋へ引き返していった。

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