第四章 2
「ひえーっあの爺さんがこんなこと言ってくるなんて思ってもみなかったぜ」
樹と樹の枝を行きながら、ガディは誰かに見つからないかと気が気でない。
「しっ、不用意にしゃべるな。人に見つかる」
ジェラールは彼の少し前を行きながら、やはり枝と枝の間を伝っている。
ここは、バーホーデン邸の庭。
ジェラールとガディはエトヴァスの提案でバーホーデンの屋敷に侵入したのである。
がさがさと音をさせないように、細心の注意を払う。ジェラールもガディも、背が高い。 大男が二人して樹を登っていれば、当然目立つ。夜だとて、油断はならなかった。
「あそこだ」
ジェラールが囁いた。
眼下には、ヴィクトリアが窓から外を見ている様が見てとれた。と、誰かが話しかけたのか、彼女が振り向くのが見えた。侍女であろうか。
「どうするんだ?」
「正攻法でいく」
「正攻法って?」
「正攻法は正攻法だ」
間もなく、ヴィクトリアがバルコニーに出てきた。ジェラールはそれを確かめて、そっと出ていった。
「あっばか、おい」
ガディが止めるより先に、ジェラールは樹を降りて、ヴィクトリアの目の前に立った。
「きゃっ」
「お静かに」
ヴィクトリアは突然現れた銀髪の男に驚き、混乱し、すぐには声が出ないようである。 そして後ろを振り向き、誰かを呼ぼうとした。ジェラールはそれを、手を上げて止めた。
「お待ちください。私は怪しい者ではありません。どうか、聞いてください」
その、意外にも静かな物言いに、ヴィクトリアは声を上げるのを忘れた。
そして、目の前の青年をじっと見た。
「……」
「どうかお静かに。私は貴女に危害を加えようとしている者ではありません。貴女とお話しがしたくて参った者です」
「わたくしと……?」
目の前に跪いている青年は、目の色も静かで、寸鉄も帯びてはいない。害意は、感じられない。
「……お名前を、お聞きしてもよろしいですか」
「はい。ジェラール、と申します」
「ジェラール……」
「なにか、思い出せませんか」
「いいえ。なぜです?」
「いえ……」
ジェラールの瞳に、一瞬翳が差す。
「わたくしに、なんのご用でしょう」
「そのお手の、指輪を拝見できないでしょうか」
「指輪を?」
ジェラールはうなづいた。
「どういった由来のものなのでしょう」
「これは、アレクセイ様からお誕生日に頂いたものです。肌身離さずつけているのです」
「ぜひ、見せて頂きたく存じます」
ジェラールは頭を下げた。
それでヴィクトリアは不思議に思って、そんなことでいいのならと思って、指輪を外して彼に渡した。
ジェラールはそれをしげしげと見て、それから彼女に礼を言って返した。
「ありがとうございました。私の用事はすみました。では、これにして失礼致します」
ジェラールは来た時と同じように、バルコニーの側の枝から樹を伝っていった。
「あっ……」
ヴィクトリアが、止める暇とてなかった。
「……」
なんだったのだろう――彼女がそんなことを思っていると、部屋の扉がノックされた。「ヴィクトリア」
入ってきたのは、黒髪の青年だった。
「あ、アレクセイ様」
ヴィクトリアは今の今までジェラールがいたことなどすっかり忘れて笑顔になると、アレクセイを迎えた。彼はバルコニーにやってきて、
「こんなところで、どうしたんだい」
「風に当たっておりました」
ジェラールはそれを、見るつもりもなく見ている。
「どうされたのですか。もう、お帰りになられたのだと思っておりました」
「帰るのが惜しくなった。帰ったら、またそなたが消えてしまうのかと思って」
「まあ……」
ヴィクトリアは微笑んだ。
「わたくしは、もうどこにも行きません。消えたりしませんわ」
「約束だ。私を置いていかないでくれ」
「約束いたします」
「ヴィクトリア。結婚するまでは、お互い純潔を誓った仲。しかし今夜は、そなたが愛しい」
アレクセイが、そっとその唇を奪った。
あれ、いけね。
ガディはあわわわわ、となって、横目でジェラールを伺った。ボキ、と音がして、ジェラールの触れていた枝が折れた。
「行くぞ」
別れを告げる恋人たちを最後まで見ずに、ジェラールとガディは庭を後にした。ガディは恐ろしくて、ジェラールを直視することができなかった。
酒場へ戻ってきて、二人は仲間たちに見てきたものを告げた。
「どうでしたか」
「指輪を見てきた。あれは、俺がラツェエルにやった指輪だ」
「間違いないのか」
「間違いない」
G to L ジェラールからラツェエルへ――
「アレクセイからヴィクトリアに贈ったなら、名前は別に彫ってあるはずだ。それに、あの石は照らす照明によって色が変わる石だ。そんなもの、寄り好んで嵌める男はそういない。あれは俺がやった指輪に間違いない。あれは、ラツェエルだ」
「アレクセイという男や両親は、それをわかっていてやっているというのか」
「ヴィクトリアが現れた時に、指輪もあらためたはずだ。恐らく、ラツェエルだと、違う人間だとわかっていて、敢えて受け入れたんだ。ヴィクトリアがいないという事実に耐えきれなかったんだ」
「じゃあラツェエルはどうして……」
沈黙が広がった。
「とにかく、今夜はこれで休もう。皆疲れたからのう」
ところが朝になって、騒ぎが起こった。
「宿を改める。女王陛下のお越しだ」
いきなり、城から兵士がやってきたのである。
「なんの騒ぎだ」
「さあ……?」
宿の客たちは叩き起こされて、食堂に集まらされた。
そして、そこへ一人の女が輿に乗ってやってきたのである。
「この国、女王国だったんだな」
ガディがジェラールに囁いた。
女は輿から降りると、女の客には目もくれずに、男の客だけを舐め回すように見てまわり、ヴァリ、ガディ、そしてジェラールに目を留めると、
「そなた、名は?」
と尋ねた。
「……ジェラール」
女王の、珊瑚のような唇がふふ、と笑った。
「ではジェラール。侍ることを許す。ついて参れ」
「な……」
「行くぞ」
兵士が無理矢理ジェラールを連れて行く。
「おい待て」
ガディが止めるも、兵士がその手を振り払う。
「ジェラール」
「離せ」
「これは女王陛下の命令だ」
「ついてこい」
こうして、ジェラールは城へ連行されてしまったのである。
「ガディ、どうするの? ジェラールが連れて行かれちゃったわ」
「なんだか嫌な予感がするのう」
「それに、ラツェエルのことはどうするんでしょうか」
「うーん」
こういう時、物事の裁量をするのはいつつもジェラールと決まっていた。しかし、彼は今いない。自分がやるしかないのだ。
「とにかく、なんで女王があんなことしたのか調べてみようぜ。他の宿屋でもおんなじことしてるはずだ」
日没までに聞きまわってみると、確かに女王は国中の宿で若い男を漁り、気に入った男たちを宮殿に連れ帰っているということがわかった。
「なんでまたそんなことをしているんじゃ」
「娘が宮殿の侍女だって宿の女将に話を聞いてきた。なんでも、女王はこの近隣じゃすげえ別嬪で有名で、その美貌を保つために日々努力してて、そのために若い男とまぐわって精力を我がものにしようと目論んでるんだと」
「なんじゃと」
「それは、とんでもない企みです」
「どうしようもないわね」
「そのために、自分好みの若い男を片っ端から集めてるんだとさ」
「じゃあジェラールが連れて行かれたのは……」
仲間たちはジェラールにこれから起こることを予想して、しーんとなった。
「どうしようガディ」
リディアが青くなっている。
「あいつのことだ。嫌がる女は抱かないし、嫌いな女とも寝ない。だから、女王も拒むだろうな」
「そんなことをしたら首を刎ねられるじゃろう。あの女王、なかなか誇りが高そうであったからのう」
「それに、ラツェエルのことも心配だわ。どうするのよ」
ガディは困り果てて、頭を抱えてしまった。
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