第四章 1
朝目が覚めたジェラールは、ラツェエルが隣にいないことに気がついて、不審に思って起き上がった。彼女はどんなに早く目が覚めても、先に階下に降りているということはない。
「ラツェエル……?」
ジェラールは手早く服を着て支度をし、階下に降りると仲間たちに聞いた。
「ラツェエルを見たか」
「いいや」
「洗い場じゃないのか」
「いないんだ」
「どこかにいるじゃろう」
「そんなはずはない」
ジェラールはあちこちを探し回った。しかし、どこを探そうにもいるはずがない。
「いない」
「え……?」
「いないんだ」
「いないって……」
「そんなはずはないでしょう」
「もう一度皆で探してみよう」
だが、やはりラツェエルはいなかった。
「一体なにがあったというのじゃ」
人が一人、いきなりいなくなるということは考えられない。自分から姿を消したのだろう。しかし、理由がない。
「書き置きみたいのはなかったの?」
「なかった」
「じゃあ、なんでだ?」
「わからない」
そうこうする内に、太陽が中点に昇ってしまった。
表で、ざわざわと人が騒いでいる。
「ヴィクトリア様だ」
「お帰りになられた」
「ヴィクトリア様がお帰りになられたぞ」
「見つかったんだ」
「見つかったんだな」
「よかった……」
「よかったなあ」
人々がそう言い合って、なかには涙しているのに、不思議に思ったガディは酒場の主に尋ねた。
「おい親爺、なんだありゃ」
「ああ、ヴィクトリア様がお帰りになったんだよ。今朝のことだ。街中の噂さ。二週間前誘拐されて、身代金まで払って、なのにあちらからなんの音沙汰もなくて、身の上は絶望的だとも思われていたんだが、帰されたんだな。よかったよかった」
と、貴族のものらしい馬車が通った。
「あれが、ヴィクトリア様だよ」
言われて見上げてみれば、そのヴィクトリアの横顔はラツェエルと生き写しである。
ジェラールは目を瞠った。
「ラツェエル!」
彼は思わず叫んで、道に躍り出た。そして馬車を引き止めんと、その扉を手にかけようとしたのである。
「怪しい奴。下がれ」
しかし、簡単に警護の人間に押しやられた。
「ジェラール、よせ」
「下がれ下がれ」
「ラツェエル」
ヴィクトリアはこちらに気がつくことなく、前を見つめている。
「ジェラール、行こう」
「ラツェエル」
ジェラールがいくら呼びかけても、ヴィクトリアは振り向くことなく、馬車はそのまま沿道を行ってしまった。
「……」
ラツェエル――俺があんなに呼びかけたのに、まるで聞こえていないかのように。
ラツェエルじゃないのか。
ジェラールは茫然として、馬車が消えていった方向を見つめている。
「なかに入ろう」
ガディがその肩に手をかける。
「どういうことだ」
一同は席について、このことについて話し合った。
「あれは確かにラツェエルだった。俺が間違うはずがない」
「ふむ。ラツェエルが消えた朝にいなくなっていた令嬢がひょっこり戻ってきた。これは偶然にしてはできすぎておるわい。あれはラツェエルだと考えるのがこの場合は普通だと思わねばなるまいのう」
「でも、どうやって確かめるの? 相手は貴族よ。会いには行けないし、誘拐されてたんだからまだまだ警護の人間だっているに違いないわ。どうするの」
「確かめる方法は、ある」
ジェラールが、きっぱりとした口調で言った。
「一つだけ、ある」
ガディはそんな彼を見て、
「じゃあ、それまでにもうちょっとヴィクトリアって女のことを調べてみようぜ」
と言った。
夜までに、色々なことがわかった。
「ヴィクトリア・バーホーデン。十八歳。リグ=ミルリルの貴族の娘で、婚約者がいる。 アレクセイって奴。この二人が熱愛で、評判の仲良しだったんだと。もう、熱々。で、そのヴィクトリア嬢が二週間前にさらわれて、金貨五千枚が要求された。アレクセイは気が狂わんばかりになって、両家はすぐさま金を用意した。金は支払われたが、令嬢は約束の場所には現れなかった。それで、アレクセイは心配で夜も眠れない、食事もしなくなって、病気みたいになっちまって、すっかり痩せちまったんだと」
「それが今朝現れたというわけね」
「それは大事件じゃ。狂喜乱舞じゃろう」
「ヴィクトリア嬢の容姿は、なんです」
「それが、すみれ色の瞳に、黒髪」
「ラツェエルと同じだわ」
「そうなんだよおんなじなんだよ」
ジェラールはそれを、一人窓辺で腕を組んでいらいらと聞いている。
「――で?」
「で? って、それだけだよ」
「もっと他に、ないのか。屋敷の侵入方法とか、侍女の誑かし方とか」
「物騒だな。ないよそんなもの」
「じゃあどうやって令嬢に近づくんだ」
「落ち着いてくださいジェラール」
「落ち着けるか」
ジェラールは腕を解いて、吐き捨てるように言った。
「ラツェエルの側に他の男がいるなんて、考えたくもない」
「お前の気持ちはわかるけど、ここは穏便に」
「若い人間は仕方ないのう」
エトヴァスはため息をついて、
「ではこういうのはどうじゃ」
と提案した。
「え……?」
それは、意外なものであった。
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