第四章

 三番目の月、若苗の月になった。

 ようやく春になろうという季節である。しかし、風はまだ冷たい。

 その日リグ=ミルリルという国についた一行は、一週間ぶりに宿を取った。しかし、話すのは未だあの漁村の話題である。

「ひどい話だったな」

「気分が悪いわ」

「同じ人とは思えないわね」

「それにしてもあの母親、死ぬ直前に言っておったな。テオマッハ様、と」

「そうですね。確かに言っていました」

「魔女の力を借りたんだ」

「……」

 ラツェエルは唇を噛んだ。

 近づいている。魔女に、近づいている。魔女が、ここを通った。

 そして、同じ人間に恨みを持つ人に力を貸して、魔物にした。そうして復讐させたんだ。「――」

 ぐっと手を握る。どうすればいい。

 どうすれば――

 そんなラツェエルの横顔を見て、ジェラールもあの老婆の言葉を思い出す。

 お前は恋人を助けるだけで、それでいいのかい。

 二人が別れることになっても、いいのかい。

 ――いいはずがない。いいはずがないんだ。

 でも、助けてやりたい。夢をかなえさせてやりたい。しかし、そこに俺はいない。

 なら、俺はどうすればいいんだ?

 悶々としていると、答えのない迷宮に迷い込む。

 考えるな。考えると、袋小路だ。

 軽く頭を振る。

「この近くには、湖があるんですって。きれいなところらしいわよ」

「後で行ってみますか」

「うん、行ってみたい」

 リディアとヴァリが横で楽しそうに話している。この二人は、最近急接近している。

「お前ら、いっそおんなじ部屋にしちまったら?」

 ガディが面白そうに言うと、リディアの顔が真っ赤になった。

「ガディ、な、な、な、なにを」

 ヴァリが赤面してガディをたしなめていると、ガディは一層面白がって言う。

「だって、ジェラールとラツェエルはおんなじ部屋だぜ。仲良しこよしだもんなあ。なあジェラールよう」

「知らん」

 リディアは真っ赤になったまま、顔を押さえている。ラツェエルはそれを、くすくす見て笑っている。ヴァリは抗議をやめない。

「ふ、不謹慎ですっ」

「いいじゃんいいじゃん。お互い憎からず思ってんだろ? じゃいいじゃん」

「そういう問題ではありません」

「じゃなんだよ」

「けじめの問題です」

「ジェラールとラツェエルはけじめがついてないっていうのかよ」

「このお二人は別です。ちゃんと両者の合意の上で」

「じゃ、合意の上で寝りゃいいじゃん」

「ガディ!」

 リディアの顔が、またかーっと赤くなった。

「ガディ、そろそろその辺でやめてあげて」

 ラツェエルがガディを止めて、この会話はこれでなしになった。

 そうこうする内に、主がやってきて部屋の支度ができたと告げた。

「じゃ、行こう。けじめのついてる俺たちは、同じ部屋だ」

「はいはい」

 ラツェエルは笑いながらジェラールの後についていった。

 その夜は、風が強い晩だった。

 風ががたがたと窓を揺らして、ラツェエルはなかなか寝つけなかった。

 変に目が冴えて、何度も寝返りを打つ。隣のジェラールは、すやすやと眠っている。

 よく寝てるな。起こしちゃうといけないな。

 そっと起き上がって、窓辺に歩み寄った。

 なんだかよく眠れない。風が強いからであろうか。

 窓を開けて、部屋に風を入れた。ひゅう、と風が入る。冷たい空気が肌をなでて、鳥肌が立った。

 誰かに名前を呼ばれたような気がして、ラツェエルは表に顔を向けた。

「……誰?」

 気のせいか。

 窓を閉めようとして、また誰かに名を呼ばれた。手を止める。

 誰?

 なにかの気配がする。今度は、間違いなく誰かいる。

 なに?

 ラツェエルはそのなにかに向かって尋ねた。

 誰かいるの?

 その誰かは、ラツェエルに向かって名を名乗った。

 どうしてそんなところにいるの?

 名を名乗ったその誰かは、なぜそこにいるかを話した。そしてラツェエルは、それに同情してしまった。

 その誰かは、ラツェエルのその隙をついた。

 隙をつかれた彼女は、こくん、とうなづいて、そしてどこか虚ろな目になってしまうと、そのまま部屋から出ていった。


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