第三章 2

そして、二週間が経った。

 痺れを切らしたガディが酔った老人に金を握らせて、ある話を聞いてきた。

「わかったぜ」

 彼は席につくと、仲間たちに話し始めた。

「半年前、酔った男たちに子供が殺されてる」

「子供が?」

「いくつじゃ」

「三つだ」

 あの子だ。エトヴァスは直感した。

「村の人たちはなんでそのことを隠してるの?」

 リディアが不思議そうに聞く。

「子供は守るもんだ。子供殺しなんて、大人の恥だ。大方そう考えたんだろ」

 ガディが吐き捨てるように言った。

「誰に話を聞きに行く」

「あの母親じゃ。泣いておった。一番の被害者は、あの母親じゃ」

「行きましょう」

 一同はエトヴァスがあの母親を見た墓の前に行った。

 しかし、あの女の姿はなかった。

「いないわね」

「茶色の髪の、顔の真っ白な女じゃ。線が細くて、見ればすぐにわかる」

 辺りを見回して、捜索した。

「浜に行ってみよう」

 ガディは浜に向かいながら、怒りに燃える自分の胸のざわめきをどうしようもなく抑えられないでいた。

 ――三つか。ひでえことしやがる。

 ガディは戦災孤児である。

 三歳の時に、両親を亡くした。

 それ以来、一人で生きてきた。生きるためなら、なんでもやった。五つで人を殺し、六つで魔物を殺した。

 裏路地で残飯を漁り、泥水を啜って生き延びた。十三で女を知った。

 なんでもありの人生だった。正直、胸を張って自分の生き様は人様にお見せできるものではないと思う。

 しかし、これが俺の人生だ。

 俺はこうして生きてきた。こうでもしないと、生きて来られなかった。そうして、勝ってきた。勝ち伸びて、ここまで這い上がってきたんだ。

 十四の年、娼館で下働きをするガディはある少年と出会った。

 その少年の瞳の輝きに、ガディは目を奪われた。

 なんて曇りのない、澄んだ目をしてるんだ。

 死んだ魚みたいな目をしてる俺とは、大違いだ。ガディは慌てて彼から目をそらすと、少年を見なかったことにしようとして振る舞った。

 しかし、少年の方は違った。

 彼は事あるごとにガディに話しかけてきて、ガディのことを知りたがった。

「ねえ君、名前はなんていうの」

「年はいくつ?」

「どこで生まれたの」

「どうしてこんなところで働いているの」

 自分もよその娼館の下働きをしているくせに、娼館の下働きをしているガディを、彼は質問攻めにした。ガディは初め彼を無視して、終いにはうるさくなって、怒鳴りつけた。 うるさい。俺に構うな。話しかけるな。質問してもだめだ。

 すると、少年は怒鳴られたことに気を悪くするでもなくきょとんとした顔になると、不思議そうに尋ね返すのだ。

「どうして? ねえ、なんで質問しちゃだめなの? ねえなんで? ねえ、どうして?  ねえ、ねえったら」

 そして、自分に仕事が残っているのも忘れて、ガディの後ろにいつまでも付きまとって質問を続けるのである。

「あのなあ」

 とうとうガディも切れて、顔がくっつくくらい近づいて彼に言ったことがある。

「俺は忙しいんだ。朝から晩まで、お姉さま方の用事を言いつかってる。お前みたいのの質問に付き合ってる暇はねえんだ。帰んな」

 すると、少年はまた質問してくる。

「じゃあ、用事が終わったら答えてよ。僕、待ってるから」

 それでガディはかちんときて、また怒鳴り返すのだ。

「用事が終わっても、別の用事ができる。暇になることはない。お前もそうだろ。ほら、帰んな。夕飯抜きになるぞ」

 ガディは彼を突き飛ばすと、一方的に扉を閉めた。

 これでこのうっとうしい少年とはおさらばできる。そう思っていた。

 ところが、彼は翌日もやってきたのだ。

 そして、笑顔でガディに挨拶すると、

「やあ。暇になった?」

 と尋ねてくるのである。

 ガディは呆れて、

「忙しい」

 とだけこたえ、てきぱきと用事をこなしていく。

「じゃあ僕も手伝うからさあ、いつ暇になる?」

「そんなこと言って、自分の用事はどうするんだ」

「すませてきたよ」

「嘘つけ。娼館の下働きなんて、次から次へと言われるものばっかりだ。すませても、その次がある。帰れよ」

 しかし、帰しても帰しても、少年は懲りずに翌日にはやって来るのだ。

「ねえ、暇になった?」

「忙しい」

「僕、いつか旅に出たくて、お金を貯めてるんだ。こつこつ貯めてれば、いつかはそれくらいできると思って」

「無駄だよ。俺たちみたいな掃き溜めに暮らしてる住人は、一生掃き溜めの住人さ」

 その日も少年を帰して、しかしなぜか心寂しくなって、ガディは閉じた扉をじっと見た。 あの澄んだ瞳が、羨ましかった。

 あの身軽さに、あやかりたかった。

 彼の背中には、翼でも生えているんだろうか。だからあんなに、あちこち気軽に移動できるんだろうか。俺にもあんな翼、あるんだろうか。

「住み処のベッドの枕の下に、貯めたお金を隠してあるんだ。内緒だよ」

「馬鹿かお前は。そんなことひとに言ってどうするんだ」

「君は言わないよ。僕、知ってるんだ。君は誰にも言わないって」

 絶句するガディに、少年はまたね、と言って帰っていった。毎日やって来る少年が来るのを、ガディが秘かに楽しみにしているのに気がつく頃には、二人はすっかり親しくなっていた。

「僕、旅人になって依頼を受けるようになったら、なるべく人は殺したくないんだ。魔物は殺すけど、人は殺したくない」

「へっ。綺麗事だ。人なんて、一回殺しゃあとはおんなじだ。女抱くのと同じだ。やるだけだ」

「そうは言うけど、やっぱりなるべく殺したくないよ。殺さなくちゃいけない時が来ても、なるべくそうしなくていい状況を考える」

 ふん、と鼻で嗤ったが、こいつならできるだろうな、と心のどこかで思っていた。

 これだけ目の澄んだこいつなら、翼を持ったこいつなら、それもできるだろう。

 そう思っていた。

 毎日毎日、二人は色々なことを語り合った。少年がガディの元へやって来ることがすっかり習慣となったある日のこと、彼が来なかった日があった。

 ガディは不思議に思って、その日をやり過ごした。

 腹でも壊したかな。それとも、忙しいんだろうか。今、どこの娼館も時期が時期だからな。

 自分も忙しいのにかまけて、大して深く考えていなかった。翌日にはいつものように笑いながらやって来るだろうと、そう思っていた。

 しかし、少年はやって来なかった。

 次の日もその次の日も、少年は来なかった。

 連絡が途絶えて久しいある日、勤め先の娼館の主にひどく折檻されてあの少年が死んだということを知った。

 僕、いつか旅に出たいんだ。世界中を回って、困ってる人たちを助けたい。

 翼が生えている少年は、本当に翼をその背中に生やして、どこかへ行ってしまった。

 ガディはその夜、少年の住み処へ赴いた。そしてそのベッドの枕の下に手を突っ込んで、持っていた袋に有り金全部を入れた。

 そして旅に出たのである。

「待って、なにか様子がおかしいわ」

 リディアが立ち止まって、ガディに呼びかけた。それでガディは昔を思い出すのをやめて、立ち止まった。

 あちこちを歩く村人の仕草が、明らかに変だ。

 脱力し、ふらふらと歩いている。

 こちらを振り向いて見る、その瞳に活力がない。まるで、死人だ。

「なんだ?」

 ガディは彼らの一人に近づいて、話しかけてみた。

「なにかあったのか?」

 すると、村人はいきなり歯を剥いてガディに襲い掛かってきた。反射で、ガディは剣を抜いた。それを、リディアが慌てて止めた。

「だめよガディ。相手は村の人よ」

 それを聞いて、ガディはチッと舌打ちした。

「これじゃやられっぱなしだ」

「逃げよう」

「どこに?」

「海だ」

 一同は浜へ向かった。

 冬の浜辺は、幸い人気がなかった。彼らは砂の上に座って、話し合った。

「村人がみんなおかしくなっちゃったのかしら」

「でもなんで? どうやってそんなことに」

「誰がそんなことを……」

「とにかく、あの母親に会いに行こう」

 一同は手分けして、その母親という女を探し始めた。

 浜の外れに、掘っ立て小屋があった。

 ガディはそのなかに、子供の首の骨が祀られているのを見た。

 あれか……?

「ウィル……」

 はっとして見ていると、女がそれに向かって手を合わせている。

 あの女……気配がねえ。人間か?

 すすり泣く声がする。

「ウィル……」

 もう少し近くで見ようと、動いたのがまずかった。カタ、と物音をさせてしまった。

 それで、女がぴくりと動いた。

 彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。しまった。気づかれたか。

「誰だ」

 ガディは仕方なしに、ゆっくりと物陰から出ていった。

「なんだ、旅人の兄さんじゃないか」

 女が笑顔になった。

「村人じゃないなら、歓迎だよ。こっちにおいで」

 多少の違和感を感じながらも、ガディは女に近寄る。背中には、抜き身の剣を隠したままだ。

「兄さん、いくつだい? 若いねえ。肌に張りがあって、艶があって。やっぱり男はこうでなくちゃ」

 女が首に手を回してくる。

「ねえ、あたしと遊ぼうよ」

 唇が近づいてきて――

「よせ」

 ガディは女を突き放した。

 女は倒れた。

 倒された女は、うつむいたままうふふふふ、と笑い出した。それは次第に、高らかになっていく。

「ふふふふふ……ははははは……あはははは……はーっはっはっはっ」

 顔を上げた女の顔は、鬼のような顔に変化していた。

 やはり……

 ガディは剣をぐっと握った。

 女は側に落ちていた生首を掴んでガディに見せた。

「私を突き放すのか。私を愚かと笑うのか。男めが。酔った男たちに首を斬られて死んだ私のかわいいウィルを返せ」

「だから……だから村人の首を斬って殺したというのか」

「これは復讐だ。男たち全員の首を落とすまでこれは終わらない。私は村人を殺し続ける」

「村人の様子がおかしくなったのもお前のせいか」

「奴らも同罪よ。男たちの罪を皆で隠蔽しようと墓まで建ておった。私を狂人扱いして村の片隅に追いやり、ウィルの首と共に隠した。奴らの罪は重い」

「だからと言って殺すのは間違いだ」

「なにが間違いかなにが正しいかとお前に裁く権利があると思うか」

「――」

 女が飛び掛かってきた。

 ガディは剣を構えた。

 相手は女だ。

 ――なるべくなら、殺したくない。

 その思いが、切っ先を鈍らせた。

「ガディ!」

 騒ぎを聞きつけた仲間たちが、ようやくやってきた。

「!」

 エトヴァスが火焔を放った。

 鬼となった女が悲鳴を上げた。火だるまとなって、女が転げまわった。

「ああああ……」

 女の長い髪が、燃え落ちていく。

 その長い爪を持った手が助けを乞うかのように、手を差し伸べている。

「テオ……」

 鬼の口から、呻きが漏れた。

「テオマッハ様……もはやこの身は……朽ちる……人間どもを……根絶やしに……」

 ウィル……母さんも逝く……

 灰になっていく母親の姿を、仲間たちは痛々しい思いで見守っていた。

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