第三章 1

イド=グリエラのある大陸から離れて、一路別の大陸へ渡った。ラツェエルにとっては、二度目の船旅だ。

「どんどんメヨ=アハネドから遠くなっていくわ」

「寂しいか」

 ジェラールは甲板の縁にもたれかかって海を眺めるラツェエルの隣でそう尋ねた。

「寂しくはない。でも……」

「でも?」

「……でも、不安になる。このままどうなるんだろうって、私は一体どこへ行くんだろうって、魔女は見つかるんだろうかって、思っちゃう。世界樹の島に帰れる日はあるのかなって」

「……」

 ジェラールはそっとその肩を抱いて、自分も海を見た。

「帰れるさ」

 そしてその頭に手を回した。

「きっと帰れるさ」

 陸へ着くと、港町で宿を取った。

「なあ、あの伯爵が魔物になったのって、やっぱり魔女が関係してるのかな」

 ガディが食事をしながら、そんなことを言った。

「していないとは言えないでしょうね。人間が魔物になるというのは、通常ではあり得ないことです。強大な力が関係していないと、できないことです」

「ヴァリの言う通りよ。そんなの、誰でもできることじゃない。やっぱり、あの女がやったに違いないのよ」

「伯爵から話が聞ければよかったんだけどなあ」

 そんなことを言うガディに、リディアがぼそりと言う、

「聞いたところで、為になる話は聞けなかったわ」

「――」

「誰かの為にとか、人の為にとか、そういうことがいっさい考えられない、最低野郎だったから。どうせはぐらかされて嘘言われるのがおちよ」

「ひどい目に、遭ったのですね」

 ヴァリが側で言って、リディアの頭をなでた。

「ば、ばか。違うってば」

「照れるあなたもかわいいですよ」

「やめてよ」

 そんな二人のやり取りを面白そうに見ながら、ガディは話題を変える。

「この大陸にも、魔女の足跡そくせきはあるんだろうな」

「あると思う」

「なんとかして、探ろう」

「まずは移動だ。ここから行って……」

 一同は地図を取り出して、詳しく街道を見始めた。それを見ながらも、ラツェエルは複雑な思いでいっぱいだった。

 魔女が見つかったら――

 見つかったら? 戦って、もし勝てたら? その先には、なにがあるの? 私はジェラールと、一緒にいることができるの? 私たち、どうなるの?

「ラツェエル?」

 名前を呼ばれて、はっとした。

「え?」

「もう休もう」

「う、うん」

 悩んでいることを、彼に知られてはならない。特に、眠っている時は。休む時、部屋は同じだ。うなされないようにしないと。

 翌朝、北に向かって出立した。

 移動しながら、人々になにか変わったことはあるか、異変はないかと聞いて回った。

 二番目の月、青藤の月になった。

 一行は大きな漁村に身を寄せた。

 これくらい大きな村だと、宿もいくつかあるし、風呂屋もあった。

「リディア、お風呂屋さんで女のひとたちに話を聞いてみましょ。なにか聞けるかも」

「うん」

 ヴァリの気持ちを知って以来、リディアのラツェエルに対する態度は一気に軟化した。 自分は自分、他人は他人という彼の言葉が、ようやく身に染みて感じ取れることができたのである。

 二人が冷え切った身体を温めに行っている間、男たちは酒場で情報を集めた。

「儂も風呂に行く。腰が痛くてかなわん」

「爺さんには野宿は厳しいか」

 エトヴァスが風呂に行き、三人で酒場の主に最近なにか異変がなかったかと聞いていると、

「さあねえ、特に変わったことはないかなあ」

 と返された。

「収穫はないなあ」

 一方のエトヴァスは、風呂屋に行く途中、道の片隅で墓の前で泣く女を見た。どうやら、母親のようである。

「ウィル……」

 茶色のまっすぐな髪が、真っ白な顔に垂れている。涙がつ、と一筋流れて、哀れをもよおした。

「ウィル……」

 エトヴァスが墓石に目をやると、『ウィリアム ここに眠る』とあった。没年を見ると、その年齢はたったの三歳である。その痛々しさに、彼は小さく首を振った。

 自分のように何度も死にかけて生きながらえる人間がいれば、このように短命な者もいるとは、世の中はなんと残酷なのだ。

 戦の犠牲者であろうか。

 だとしたら、あまりにも不憫だ。

 なんとも言えない感情を抱えながら、彼は風呂屋へ一人、向かっていた。

 リディアとラツェエルは風呂から上がって、髪を乾かしていた。これはと思う話は、なに一つとして聞けなかった。

 二人は酒場に戻って、男たちにそれを報告した。

「こっちもなにも聞けなかったわ」

「うーんこの村はなんにもないなあ」

「別の場所に移動しようか」

 ちょうどその頃、エトヴァスは長風呂を終えて宿へ戻ろうとしていた。冷え切っていた身体がいい具合に温まり、行き際に見たもののこともすっかり忘れて、彼は上機嫌であった。

 鼻歌を歌いながら、曲がり角に差しかかった時のことだ。

 ……しや

 どこからか、悲しげな、悔しげな声が聞こえてきた。

 これが僧侶のヴァリなら、即座に気配を察知して気がついたことだろう。

 悔しや

 しかしエトヴァスは魔導師である。初め、彼はそれに気がつかなかった。

 悔しや

「?」

 その悲しげな声に、彼は立ち止まった。誰じゃ。

 悔しや……

 そして、きょろきょろと辺りを見回した。空耳か?

 悔しや……

 いや、確かに聞こえたぞ。どこじゃ。あっちか。

 悔しや……

 ぼおっ、と闇に白いなにかが光った。

 エトヴァスは目を凝らして、それを見た。

 悔しや……

 それは、首だった。

 首が、飛んでいるのだ。

 亡者――

 悔しや……戦で死なずに魔物の手にかかり、こうして彷徨うとは無念なり

 このままでは天に昇ることも地に潜ることもかなわず たださすらうばかり

 悔しや

 悔しや

 首は涙を流しながら、闇のなかへ消えていった。

 エトヴァスは自分の見たものが信じられずに、その場に立ち尽くしていた。

 ――魔物の手にかかったじゃと?

「――」

 こうしてはおられん――

 彼は宿のある方向へと走った。そして仲間たちに自分の見たもののことを話して聞かせた。

「それは、本当ですか」

 まず、僧侶であるヴァリが関心を示した。

「本当じゃ。確かにこの目で見た。首が飛んでおった。あれは亡者に間違いない。そしてこうも言っていた。魔物の手にかかった、と」

「うーん」

「この村、なにかあるな」

「そうね。なにかを隠しているわ」

「これは、もう少し探らないと」

 一同は滞在を伸ばして、もう少しこの村にいることにした。

 しかし、自分たちはよそ者である。そんな人間に、村人というものはなかなか心を開かないものだ。聞き込みは難航した。

 ある日、ジェラールは通りすがりの老婆に話しかけられた。

「ほっほっほっほっ。旅をしていなさるね」

 その老婆は笑いながら彼に話しかけてきて、奇妙な笑みを浮かべてこう言った。

「あんたには、恋人がいなさるね。そしてその恋人には、使命がある。当たりだね」

 絶句していると、老婆は続けて言った。

「ほっほっほっほっ。その恋人が使命を果たすのに、あんたは必要なのかい。恋人の夢のなかに、あんたはいるのかね」

「――」

「恋人がしなくちゃいけないことをするために彼女を支えて、あんたはそれで満足かい。 それで二人が別れることになっても、幸せかい」

 ラツェエルが魔女を倒したら――

 世界樹と賢者のいる世界を復興したら――

 そこに俺はいるのか……?

 ラツェエルに、俺は必要なのか?

 疑問がむくむくと頭をもたげる。

「ほっほっほっほっ。よく考えな」

 老婆は笑いながら、歩いて行ってしまった。

 ジェラールはそこに茫然として立ち尽くした。

「ジェラール? どうしたの?」

 そんな彼を見つけて、ラツェエルが近寄ってきた。

「顔が青いわ。寒いの?」

「いや、なんでもない」

 こたえて誤魔化したが、ラツェエルは不思議な顔をしていた。

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