第二章 1

「ああ、これこれ」

 夕食が終わって寝室に行こうとする時、ジェラールはラシナートに呼び止められた。

「?」

「お前さんに、これをやろう」

 老人はなにかを手にかけて、ジェラールにそれを見せた。

「なんだ」

「ラツェエル殿の師匠と古い友人だと言っただろう。これは、その師匠に昔譲り受けたものだよ」

 それは、赤い石の上に金文字で樹の紋様が描かれている首飾りであった。

「首にかけていなさい」

「俺が持っていて、いいのか」

「老いぼれが持っていても仕方のないものだよ」

 そうしてジェラールの手に無理矢理それを握らせてしまうと、ラシナートは夜の挨拶をして廊下のむこうに消えていった。

 寝室に行くと、ラツェエルが浴室から出てきたところであった。

「どうしたの?」

「これ」

「え?」

「もらった」

 ラツェエルはジェラールの手のなかの赤い石を見ると、

「あ……」

 と呟いて、それから自分の荷物の方へ走っていった。

「どうした」

 そして荷物をひっくり返すように漁ると、

「これ」

 と、自分の手のなかのものを彼に見せた。

 それは、青い石だった。ジェラールのそれのように、金文字で鳥を模した紋様が描かれている。

「これは……」

「あの日、お師匠様にもらったの。別れ際、大事なものだから、持っていなさいって、そう言ったわ。いつか必ず役に立つから、肌身離さず持っていなさいって」

「首にかけてろって言われた」

「……」

 ラツェエルは革の紐で繋がれているそれをじっと見た。

「私、これ、首から下げてる。ずっと下げてる」

「俺もそうする」

 うん、とラツェエルはうなづいた。

 そうして二人で眠りについた。



 イド=グリエラまでの一週間は、野宿だ。

 焚火をするために、ラツェエルは森に薪を拾いに行った。

「一人で大丈夫か」

「森なら慣れてるわ。平気よ」

 それに、彼女は賢者だ。もしなにかあっても、自分の身は自分で守れる。

 その事実が、リディアにとっては悔しかった。

 私は、なにひとつとして彼女に勝てない。勝てる要素がない。

 リディアは唇を噛んだ。そしてどうしようもなく悔しくなって、やりきれなくなって、自分でもどうしたらいいかわからなくなって、気がついたらラツェエルを追いかけていた。

「リディア? どうしました」

「私も薪拾い、手伝ってくる」

 ヴァリにそう言い残して、走り出した。ラツェエルにはすぐに追いついた。

 彼女は小さな木の枝を拾っていた。

「あら、どうしたの」

 一緒に旅するようになって日は短いが、ラツェエルという女は気のいい性格だった。

 朗らかだし、いつも笑顔でいるし、話題は豊富だし、苦労をしているから我慢強いし、ガディとジェラールのやりとりには黙って付き合っている。エトヴァスの腰痛をいつも心配して様子を伺い、ヴァリとは笑って話し、自分とは女同士親しみを持ってくれている。

 知れば知るほど、ラツェエルを好きにならざるを得ない。

 ジェラールが彼女のことを愛するようになるのも当然だ。

 悔しかった。

「手伝おうと思って」

「ありがと」

 ラツェエルは笑ってこう返した。

 彼女は一心に木の枝を探している。

「ねえ、どんな気分?」

「なにが?」

「知らない男に唇を売るの」

 ぴたり、ラツェエルの動きが止まった。彼女はゆっくりとこちらを振り返った。

「私、そういうの想像できないな。いくら生きていく為とはいえ、そんなことするなんて。 身体売ってないとはいえ、身体の一部よ。やっぱりそれって、娼婦と同じよ」

「――」

 ラツェエルはこちらを向いて、悲し気に自分を見ている。

 その、すみれ色の瞳が、憂いに光っている。

「それでよく、ジェラールと一緒にいようなんて思えるわよね」

 ふん、いい気味。リディアは口元に笑みを浮かべた。

「蕾売りのくせに」

 そう言うと、リディアは背を返して、野営地まで引き返していった。

 ラツェエルは一人、そこに立ち尽くした。

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