第二章

 メヨ=アハネドから離れて、一行は港町に着いた。ここからは船の旅である。

「隣の大陸に行くことになるな」

 潮風に吹かれて、ガディがそんなことを言う。彼が船賃の交渉に行っている間に、ラツェエルは海を眺めていた。

 ザ……

 海を見ていると、あの日のことを思い出す。

 師匠……! 待ってください、置いていかないで……!

 一人残された自分。

 希望を託され、守られた自分。

 ラツェエル、戦いなさい。あの魔女と戦えるのは、お前だけだ。

 賢者の、世界樹の復興ができるのは、お前だけだよ。ラツェエル。

 私になにができるのだろう――

 拳をぐっと握る。

「ラツェエル」

 はっとして振り返ると、ジェラールが自分を見ている。

「なにをしているんだい」

「ううん、なんでもない。海を見ていたの」

「まだ冬だからな、冷えるぞ」

「そうね」

 彼に誘≪いざな≫われて、歩き出す。耳には師の言葉がまだ残っていた。



                       1



 大陸を渡ってしまうと、イグ=リズネルという国に着いた。

「あの爺さんに会いに行こうか」

「そうだな」

「? だあれ?」

 ガディとジェラールが言うのに、ラツェエルは不思議そうに聞く。

「一年ほど前に、不思議な依頼を受けたんだ。迷宮の奥に、心臓の形をした石像があって、それを壊してほしいという依頼だ。難儀したよ」

「そうそう。あれは大変だったよなあ」

「結局なんだったんだろうなあ、あれ」

「……」

 それって――

 ラツェエルはそれを聞いて、黙りこくってしまった。

「ラツェエル?」

「……なんでもない」

 ガディはまたあの老人に会いに行ってもてなされるのが楽しみなようで、足取りが軽い。 そしてあの屋敷に着き、玄関のベルを鳴らし、執事が出れば、おやあなた方ですかと言われる。そしてしばらく待たされ、応接間に通された。その間も、ラツェエルの表情は硬い。

「やあ、お前さん方か。よう来なすったな」

「爺さん、来たぜ」

 その声に、ラツェエルは聞き覚えがあった。彼女は立ち上がった。そして老人の顔を見た。

「まあ……ラシナート様……」

「これは……ラツェエル殿か」

 ラツェエルと老人は向き合って名を呼び合った。

「なんだいなんだい、あんたら知り合いかよ」

「これはいったいどうしたことじゃ。なんでお前さん方とラツェエル殿が一緒におる」

「では心臓の石像を壊す依頼をしたというのはラシナート様だったのですね」

「なんだなんだ? なんのことだ?」

 三者は三様で、納得している者、混乱している者、わかっていない者、それぞれである。「座りなさい。今執事に香茶を淹れさせよう」

 老人はそこに座って、ふうと息をついた。

「私とラツェエル殿のお師匠殿とは古い友人なのだよ。それが、先日の世界樹襲撃を知って、賢者の全滅を知った。賢者はすべていなくなったと思っていた」

 賢者の存在はこの世の叡知である。

 世界から、光がなくなったと絶望していた。

 それが、先日遠視の術でラツェエルの生存を知った。

「大陸の片隅で、蕾を売っておられた。呪いを受けていたと知って、あちこち手を尽くしました」

 ラツェエルは面を伏せた。

「それで、呪いの源があの心臓の石像だと知り、依頼を募ってなんとか破壊させようとしたのです」

「私が熱を出したのは秋です。呪いが解けて、それが放たれて肉体に賢者の能力が戻って、身体がついていけなくて倒れてしまったのです」

「ん? おかしいなあ。依頼を受けたのは確かもっと前だぜ。なんであの石像を壊してすぐに倒れなかったんだ?」

「ああいう呪いというものには時間に差が出る。能力の持ち主がどこにいるかを探し、彷徨っていたのだろう」

 ラシナートはラツェエルに向き直った。

「しかし、こうしてあなたが生きていたのなら話は別。魔女を、あの女を倒しに行くのですな」

「……」

「あなたは生き残った最後の賢者。その使命があります」

「……はい」

「お前さん方も、ラツェエル殿を助けてあげなされ。幸いにしてお前さん方は腕がいい。 必ずやものになるだろう」

「でもよお、魔女っていうけど、名前も知らない相手のことなんて、なんだか頼りないなあ」

「名前ならわかっておる。その魔女の名は、テオマッハ、という」

「テオマッハ……」

「左様。神の敵、という意味だ」

「しかし、どうやって探せばいいのでしょうか。この世のどこかにいるのでは、少々心許ないような気がします」

 ヴァリが不安げに口を挟む。

「お前さんは僧侶だろう。魔を察知する、その能力が役に立つはずだ。それに、あの魔女は魔導をなにより憎み、人間を滅ぼそうとしている。きっと行く先々で人間に手を貸し、その身を滅ぼそうとしているだろう。なるべくあちこちを周り、人と触れ合うことだ。そうすれば必ずやあの女の足跡≪そくせき≫に触れることができるだろう」

 ジェラールとガディは顔を見合わせた。

「爺さん、ここから一番近い大きな国はどこだい」

「そうだな、大きな国は色々あるが、抜きんでているのはやはり、イド=グリエラだろうな」

「じゃ、そこに行こう。なんかあるかもしれねえぜ」

「あそこはここからは一週間はかかる。今日は泊っていきなさい。夕食も用意してある」「そうこなくっちゃ」

 ガディが舌なめずりした。

「イド=グリエラ……」

 一同が食堂に移動する間、リディアが一人、暗い顔をして呟くのに気がつく者はいなかった。


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