第一章 5

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「えーと、こっちの通りでいいのかな」

 ガディはきょろきょろと辺りを見回して、角を曲がった。

「どこへ行こうというのじゃ」

 エトヴァスが青い瞳をくるくるとさせて、よいこらしょとついてゆく。

「ジェラールのいい女に、会いに行くんだよ。あいつは一緒に連れて行きたいって言ってるんだけど、なかなかうんと言わないんだと」

「一緒に旅を?」

 リディアはそれを聞き咎めて、目を吊り上げる。

「一体どういう素性のひとなの?」

 ガディは道がこれで合っているのかに気を取られて、会話に集中していない。

「蕾売りだよ。えーとこっちかな」

「蕾売り?」

 それを聞いて、リディアの明るい緑の目に軽侮の光が宿った。そんなの、ただの娼婦じゃないの。だったらまだ私にも勝ち目はあるわ。蕾売りなんて。

「それにしてもジェラールがそこまで考えるとは意外ですね」

 ヴァリが、明るい表情で言った。

「娼婦にしか興味のないひとだと思っていましたが」

 リディアにはその言葉は聞こえていない。

「だろ? まったく意外だよな。それにさあ、蕾売りって言っても、ただの蕾売りじゃないんだぜ」

「どういうことじゃ」

「あのねえ……」

 と、ガディがなにかを言おうとした時、《青い樫》亭という看板が見えてきて、

「お、あれだ」

 と彼は顔を上げた。そしてそこの扉を開けると、なかへ入っていった。

 酒場は昼前とあってそんなに客が入っていなくて、ガディは女中に言ってここに泊っている客に会いたい、とその客の名を告げ、自分たちはテーブルにつくと、食事を注文した。 女中が二階に行き、しばらくして降りてくると、ジェラールもやってきた。

「ああ、来たのか」

「あれ? お前のいい女は?」

「上で支度してる」

「お熱いことで」

「からかうな」

 ジェラールは席につき、

「朗報だ」

 と言った。

「なんだ」

「彼女も旅に出られることになった」

「一緒に行けるってことか」

「ああ。ついては皆の許可を願いたい」

「俺はいいぜ」

「私もいいですよ」

「儂は構わんぞ」

 ガディとヴァリ、エトヴァスがいっせいに賛成し、あとはリディアの投票を待つのみとなった。彼女はぐっと言葉に詰まり、それから肩を竦めて見せた。

「私はいいわ。女一人だと、肩身が狭いのよね。女性が一人増えるのはいいことだわ」

 とだけ言った。しかし、内心では複雑な思いでいっぱいだった。

 ジェラールとその女が一緒にいるのを、これからいつも見ていなくちゃならないなんて、耐えられるだろうか。そして、そっと首を振る。相手は蕾売りだ。身持ちが悪いに決まってる。その内ジェラール一人じゃ耐えられなくなって……

「そういえば、彼女は?」

「ああ、もう来るだろう」

 コツコツコツ、と階段を降りてくる足音がして、ぎくりとした。そっと振り返る。

「――」

 そこには、彼女がいた。

 黒く、長い長い髪。透き通るような白い肌。細い、しなやかな指。そして、すみれ色の瞳。

 なんて――なんてきれいなひと。

 これがジェラールの恋人?

 これが、ついさっきまで私が馬鹿にしていた蕾売り?

「ラツェエル。おいで」

 ジェラールはリディアが今までに聞いたこともないようなやさしい声で彼女に手を差し出すと、ラツェエルと呼んだそのすみれ色の瞳の女を迎え入れた。そして彼女を隣に座らせると、

「紹介する。ラツェエルだ」

「はじめまして」

 ラツェエルはにっこりと笑って一言そう言った。仲間たちはそれぞれ、自分の名前を名乗った。リディアはもじもじとして、うつむきがちに小さく自分の名前を言っただけだった。

 こんな、こんなきれいなひとの前で名乗るのなんて、恥ずかしい。私なんて、赤毛で、そばかすだってあるし、こんなに痩せてるし、いいとこなんてなにもない。

 しかし、それでも自分は弓師で彼女は蕾売りだという最後の誇りのようなものが、リディアを救った。

 リディアは顔を上げた。

 そうだ。私は戦える。ジェラールのために、弓を引ける。矢をつがえられる。この女は、それができない。黙って下がって見てるだけ。怯えて震えて見てるだけ。

 非戦闘員。

 私は違う。

 ジェラールの隣で戦うのは、私だ。

 その思いが、リディアの心を留めた。

 見ると、ラツェエルはガディとなにやら楽しげに話をしている。ジェラールの手紙によくガディが登場していたから、よく知っているといったようなことを話しているようだ。 およそ、娼婦とは思えないほど世間の垢にまみれていない女である。

 その横顔に、気がつくと見惚れている自分がいる。いけないリディア、相手は娼婦よ、そんな風に見つめてはだめ。

 そしてふと疑問に思う、

 ――ジェラールほどのひとが、娼婦に心を奪われるって、どういうこと?

 それだけのひとだったということ? ううん、そんなひとじゃない。惚れた弱みでもなんでもない、彼はそんなひとじゃない。

 リディアがそんなことを考えていると、吹き抜けになっている二階のバルコニーに置いてある植物に水をやっていた女中が手を滑らせ、植木鉢が下に落ちてきた。 

 それは突然のことであった。

「!」

 誰もがそれに、一瞬対処できなかった。

 ただ一人、ラツェエルだけが右手をすい、と動かしただけだった。エトヴァスはそれを、鋭く察知した。

 パリン、という音がして、ガディの肩の側で割れた。

「ひゅー、危なかったぜ」

「なんだいなんだい、気をおつけ。お客様に当たるところだよ」

 女将がやってきて、二階に向かって怒鳴っている。女中はすみませんと謝り、青くなっている。

「……」

 エトヴァスはじっとラツェエルを見つめている。

「えーと、どこまで話したっけ」

「どうやってあなたとジェラールが知り合ったかまでですよ」

 ガディとヴァリが話しているのをじっと聞いているエトヴァスの様子に気がついたジェラールが、

「どうした」

 と彼に声をかけた。

「今のはなんじゃ」

 その真剣な様子に、一同はエトヴァスをいっせいに見た。

「今のはなんじゃ」

 彼の青い目は、まっすぐにラツェエルを見ていた。

「――」

「あれは、なんじゃ。さっきのは、確かに魔導の力じゃ。それも、高位の。蕾売りにできることではない。だからといって、ただの町娘にできることでもない。ラツェエル、お前さんは何者じゃ。なんであんな高度な魔導を使うことができる」

 ラツェエルは視線を左右に泳がせ、それからジェラールと目が合って、彼のまっすぐな視線に見つめられてうつむいてしまうと、諦めたかのようにそっとため息をついて、

「……いつかは話すつもりでした」

 と小さく呟くように言った。

 そして遠くを見るような瞳でどこかを見やると、静かに話し始めた。

「私は北の海にある絶海の孤島、世界樹の島で生まれました」



 世界樹は巨大な樹で、大人が十人ほども手を繋いでようやく囲むことができるほどの幅周りがあったという。人々はその木陰で休み、歌い、大いに学んだと言われている。

 世界樹の内部には洞のようなものができ、そこに住まうことができた。そこで学んだ高位の術を会得した者たちは賢者と呼ばれ、人に乞われて知恵を貸し、彼らの役に立ったと伝えられた。

 ラツェエルの両親は戦にあって先立ってしまい、彼らの師が彼女を育てた。つまり、彼らの師がまた彼女の師でもあり、育ての親でもあったというわけだ。

 ある日、この世の悪意が凝り固まってできた魔女が生まれた。それは、とても深刻なものであった。魔女はこの世の魔導を激しく厭い、憎み、すべて食らいつくさんとした。

 事を重く見た師は、賢者たちを引き連れて魔女を討伐せんとした。

 しかし、それに先んじて、魔女がある日、世界樹の島を襲撃してきたのである。

「――」

 ラツェエルはあの日のことを、忘れることができない。

「みんな燃やされたわ。森も、家も、世界樹も」

 耳に残る、あの高笑い。

「そしてみんな殺された。仲間たちも、師も、みんな、みんな」

 師匠、逃げてください。師匠が無事なら、なんとかなります。

 ラツェエル、お前こそ逃げるのだ。お前は賢者の希望だ。若いお前が安全ならば、その方が希望がある。

 そう言って師は、ラツェエルを無理矢理小舟に乗せた。小舟はあっという間に流れに乗り、潮にまかせて流れていった。

 魔女は、それを見逃さなかった。

「私は、呪いにかけられたの」

「――」

 逃げるか小娘。小賢しい。

 しかし、お前が私に復讐できると思うなよ。お前は、流れ着いた場所で賢者として生きることはできぬ。我が呪いを受け、汚れた生業しか就けぬようになるがいい。今後、まともな仕事に就けると思うな。また、それを疑問に思った人間にわけを話せば、それを聞いた者も苦悶の内に死んでいくと思い知れ。

「……」

 その唇が震えている。

「でも、身体を売るのは我慢がならなかった。だから、唇だけ売った。そうして生きてきた」

 唇だけ――

 リディアの身体が固まった。

 娼婦じゃない――娼婦じゃないんだ。だから、よごれた感じがしないんだ。

「……そうだったのか」

 ジェラールがそっとその手の上に自分の手を重ねた。

「でも、最近のことなんだけど、なんでか呪いが解けた。だから、もう唇を売らなくていい。あなたと一緒に、行くことができる」

「そうか」

 ラツェエルはジェラールと顔を見合わせて、微笑み合った。その笑みには、一点の曇りもない。

「そりゃいいや。俺たちも助かるってもんだぜ。なあ」

「そうだのう」

「そうですね」

「……そうね」

 うなづき合う仲間たち、少しだけ複雑なリディア、そんなわけで、ラツェエルは蕾売りをやめて、ジェラールと共に旅に出ることになった。



 女将とウエインに今までの礼を言って別れを告げ、荷物をまとめて荷支度をした。マルゴと娼婦たちと別れるのは、なにより辛かった。

「そう、行っちゃうの。元気でね」

 マルゴはそう言っただけだった。ラツェエルは自分が大切に育てていた植木鉢の花を、マルゴにあげた。マルゴはこんなのあたしがもらったって枯らしちまうだけだよと言ったが、それでもいいからとラツェエルは渡した。

「私だと思って、持ってて。枯らしてもいいから」

 マルゴは複雑な顔をしてそれを受け取った。

「そんなこと言われたら、枯らすわけにはいかないじゃないか」

 そうして、彼女たちと別れた。

「行ってきたか」

「うん」

 ジェラールが≪青い樫≫亭で待っていて、ラツェエルを迎えた。

「じゃあ、行こう」

「元気でやるんだよ。身体に気をつけて」

「色々ありがとう女将さん。お世話になりました」

「頑張れよ」

「たくさん庇ってくれてありがとう、ウエイン」

 辛い蕾売りの仕事も、女将とウエインがいたからこそ頑張れた。女将は一行のために弁当まで作ってくれて、送り出してくれた。

「じゃあね」

 そうして、ラツェエルはメヨ=アハネドを旅立っていった。

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