湖上を行く

「……現場では自衛隊車両1台、路外に転落し横転している状況。少なくとも2名が車内に閉じ込められている模様。容態は不明。至急119及び応援を要請するどうぞ」

僕は奥歯を噛み締め、咆哮を飲み下した。僕の乗るセダンが大きく揺れ、手にしたジェラルミンケースの中で書類の束が音を立てる。

「船木さんと……もう1人は、小野ですかね?」

隣で中島巡査長が、山道のカーブに合わせてハンドルを回しながら言う。船木三等陸曹は、目下僕が捜査中のつきまとい事件の被害者で、小野一等陸曹はその上司だった。

「だろうな。2人で外出中って言ってたし、自衛隊の人」

法さえ許せば、このジェラルミンケースでフロントガラスをたたき割ってしまいたかった。ケースの中には、小野の逮捕状請求書が入っている。小野があの中隊に入りたいがために加害者らと通謀していた証拠が、やっと揃ったというのに。

ヘアピンカーブを何度かやり過ごしたところで、赤色灯が見えてきた。僕はセダンを飛び出し、現場へと駆ける。山道から逸走したパジェロは、斜面を十数メートル落ちたところで腹を空に向けていた。

「ブレーキ痕がない」

交通課員の言葉を耳が拾う。小野が自身に捜査の手が迫っていると察知して、無理心中を図ったのだろうか。先に到着していた交番勤務員たちが、ロープを使ってパジェロを覗きに行っていた。警棒で窓ガラスを何度もたたく。

「消防はまだか」

到着するのは警察車両ばかりだ。

「1名意識あり!」

パジェロの助手席側で怒鳴る声が聞こえ、僕は山道から身を乗り出す。

「頑張れ!」

僕の腹から声が迸る。それに呼応するように、他の警察官たちも口々に頑張れと叫ぶ。低いサイレンの音が近付いてくる。もう少しだ、頑張れ。


風が湖面を優しく撫で、山々の像を揺らす。

「ここに来るまでに4年もかかるとは思わなかったです」

船木は左手をスワンボートの外に差し出して、風に触れながら言った。小野は、船木の「あの中隊に入るくらいなら、死んだ方がマシです」との発言は死への同意だと主張して最高裁まで争い、散っていった。その間に僕は昇任とともに異動となり、船木はオカルト雑誌記者に追い回されていたようだ。

「自分がUMAかのように書かれちゃいましたよ」

船木が見せてくれた雑誌の表紙には、赤いゴシック体で『陸上自衛隊・幻の祭典 最後の目撃者に迫る』という文言が躍っていた。

「災難でしたね。よく耐えました」

僕が言うと、船木は大袈裟に溜め息をついてみせた。

「三沢さんは、またこっち来ないんですか?」

「もう二度とあんな事件の捜査はしたくないんで」

僕たちは顔を見合わせて笑った。

「そういえばこの湖、いるらしいですよ。ネッシーみたいな奴」

「何それ、初耳なんだけど」

「この雑誌に書いてありました」

船木が例のオカルト雑誌を開いて見せつけてくる。フタバスズキリュウの首をガメラにすげ替えたような想像図が、僕を睨みつけてくる。僕は、あの事件の取調べ以来の胸の高鳴りを覚えた。上体をスワンボートの外に出して水中を覗き込む。

「おし、探すぞ。そっちは任せた!発見次第、至急をもって一報されたい」

「了解」


<完>

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巡査部長・三沢の日常 無名 @mumei31

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