真夏の夜の祭典
これまでのあらすじ
某駐屯地集団露出事件の捜査は、被疑者全員の書類送検によって幕を閉じたかに見えた。生活安全課からの応援で捜査に関与していた僕は、『非日常』から『日常』へと戻っていった。あれから2か月……。僕は同じ課の中島巡査長とともに、再び谷元生安課長から刑事課の応援を命じられる。僕らに与えられた次なる任務とは……。
「何でしょうね。検察から補充捜査の指示があったとか?」
右隣を歩く中島が首を傾けたのが、僅かな空気の揺れで分かる。
「他の部隊にも……とか」
僕が言うと、中島は小さく息を吐き出す。
「勘弁してくださいよ」
会議室に辿り着き、僕らは後方の右端の席に陣取った。
「皆様の御協力のおかげで、無事全員を送致することができました。心より感謝申し上げます」
刑事課長は、一言ずつ丁寧に発音する。
「もうすぐ、ここの市では夏祭りがありますよね」
会議室に失笑が溢れる。打ち上げで夏祭りに行こうとでも言うのか。
「先の捜査で、例の中隊では、市の夏祭りに合わせて、『祭典』を開催しているとの情報を得ました。毎年、その『祭典』から……帰ってこない人がいるようです」
僕は唾を飲み込み、自分が『非日常』の世界に帰ってきたことを知る。背筋を冷たい汗が一粒、流れ落ちていく。
「会場は……」
刑事課長は背後のホワイトボードに貼られたゼンリンの地図を、肩から腕を回して指し示す。
「演習場です」
会議室が、沈黙に沈み込む。
「もちろん勝手に入るわけにはいきませんし、入ったところで迷子になるでしょう。今回は、自衛隊に協力をお願いしました」
案内役の自衛官との集合地点は、山を少し登りかかったところに設定されていた。ヘッドライトの光だけを頼りに、僕たちはその集合地点を探る。路肩に、一台のパジェロが止まっていた。呼吸を止めたパジェロは、樹海が生み出す闇に、今にも吸い込まれそうになっている。僕たちが近付いても、パジェロは沈黙したままだった。車内をライトで照らすと、助手席に書類が散らばっているのが見える。
「いない」
周辺を検索していた強行係長が戻ってくる。
「ここであってるはずなのに」
僕が強行係長の方を振り返ろうとしたとき、中島が草むらの中から何かを拾い上げた。携帯電話の画面が、僕が向けたライトの光を跳ね返す。おい、と誰かが声を上げ、そちらに視線を投げると、茂みに溶け込むようにして、迷彩柄の帽子が枝から垂れ下がっていた。
「捜しましょう」
強行係長の声は、いつになく強張っていた。僕は茂みを押しのけて駆け出す。闇が木の枝とともに僕を押し戻そうとする。靴底が雑草の上で滑る。木々の間から上空を見上げる。重く雲が垂れ込めていて、月は僕を見ていない。
「三沢部長、あっちです」
声と荒い息遣いが、交互に僕を追いかけてくる。中島が指差した先に、ほのかな明かりが見え、僕はそちらにつま先を向ける。
木々の向こう側で、何かが蠢いていた。肘や膝を曲げたり伸ばしたりし、首を揺らしながら、円になって、ゆっくりと、一つの光の周りを公転する。太陽の役割を果たしているのは、ドラム缶だった。吹き出す炎が、地面にぽっかりと空いた大きな穴を浮かび上がらせる。
「火と土と、どっちがいい?好きな方を選んでいいよ」
男の猫なで声が、中空をふわふわと漂う。
「ごめーん、水はね、あんまりないの」
惑星のように周り続ける男たちの速度が、少しずつ、早くなる。それに合わせて僕の鼓動も加速する。中島と一瞬、視線を交える。彼の喉仏が、ゆっくりと上下する。
「そんななりして、ワシらに混ぜてもらおうなんてね」
布の破ける音。若い男の絶叫が、闇を引き裂く。
「ワシのおすすめは……土かなぁ」
肌色の波が地面の穴に向かって押し寄せ、何かが穴の中に落ちる。僕は両手を腰の辺りに這わせ、金属の感触を確かめる。
雲が途切れて月が顔を出した瞬間、花火が上がった。空気が破裂するような音が、天空に向けて飛び出す。月明かりの下で、強行係長が両手を頭上に突き上げていた。
「敵襲ーっ!」
僕は警棒を手に飛び出し、駆けてきた男と衝突しかける。男が地面に落ちていたスコップを拾い上げる。こちらを捉えた両目が、見たこともない輝きで満ちていた。スコップを警棒で受け止め、男の腹より下を狙って足を蹴り出す。男の白く豊かな腹が空を見上げる。
「大丈夫ですか」
中島が穴の中に上着を投げ込む。僕が伸ばした手を、泥に塗れた手が握り返してくる。腕に力を送りながら顔を上げると、山の裾野の方で打ち上がった花火が、黒い地上にささやかな花を咲かせていた。
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