第90話

「オレが悪かったよ。おまえじゃなきゃ駄目だって気づいたんだ。好きだよ……乃亜」


 健が優しく抱きしめてくる。昔なら幸せいっぱいだっただろうが、今の乃亜は驚くほど何も感じない。体を離すと、健は鞄から何かを取り出した。


「ほら、これ。おまえに再会してから、すぐに準備したんだ。結婚しよう」


 驚きのあまり、乃亜は口に両手を当てて固まる。健が開けた状態で差し出したのは、ダイヤモンドの指輪が光るジュエリーボックスだったのだ。


 どう答えていいかわからず、縋るように理央を見た。彼は綺麗な顔をどこか哀しく笑ませて、諦めたように口を開く。


「良かったね、君が頑張ったからだよ。幸せになってね」


 理央のその台詞に、乃亜はひどくショックを受けた。理央はためらう乃亜の背中を押した。引き止めてはくれなかった。


(そうだよね、契約結婚の相手なんて、誰でもいいもの。私じゃなくても……)


 わかっていたけど、愛は存在しなかった。その事実は乃亜の心を打ちのめす。乃亜の様子に全く気づかない健は、機嫌良く笑った。


「なんだよ、おまえ話わかるじゃん。結婚式には呼んでやるよ。さあ、行くぞ乃亜」

「…………」


 もうどうにでもなれ、そんな気分で、乃亜は健に連れて行かれるままに従う。理央は結局、最後まで引き留めてはくれなかった。

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