第4話

「私の知り合いの友達に会ってみない? 彼女探してるらしいの」


 すっかり太って暗い毎日を過ごしていた26歳の頃、乃亜は喫茶店でお茶していた友人からそんな話を持ちかけられた。


「でも……私太ってるし。顔には傷跡だって」


 ジュースにさしたストローを無駄に弄りながら、乃亜はボソッと漏らす。


「乃亜はぽっちゃりなだけでしょ。腐ってばかりじゃ駄目。会うだけ会ってみよう?」

「…………」


 気乗りしないまま、乃亜は健と会うことになった。約束の日、健の指定したファミリーレストランで向かい合って座り、乃亜はひたすら恐縮していた。


「す、すみません。私こんなんで、ガッカリですよね……」

「でも、顔は可愛いじゃん」


 思ってもみない反応に、乃亜は驚きのあまり、久しぶりに顔を上げた。


 健のおかげで、乃亜は昔の明るさを取り戻せた。俯く回数が減って、笑顔が増えた。


 しかし健は自分勝手な面が目立ち、一緒にいた三年間は楽しいばかりではなかった。


 ある時、健の家に泊まった翌朝。乃亜が歯を磨いていると、健がいつものように声をかけてきた。


「乃亜、掃除と洗濯やっといて。今日は早めに帰るから晩飯用意しとけよ」

「……健ちゃん、私も仕事があるんだけど」

「ただのバイトだろ。オレの出世を支えるのが、おまえの一番の仕事だろ」

「…………」


 お決まりのやり取りに唇を噛み締める。それでも、乃亜には健しかいなかった。


 そして、半年前。久しぶりの電話で切り出された信じがたい話に、乃亜は目をぱちくりさせながら恐る恐る確認していた。


「えっ、結婚……?」

『おまえが痩せたら、考えてもいいと思ってる。俺の転勤のせいで会えなくなっただろ? 一緒に住もう』


 スマートフォンを耳に当てたまま、乃亜の目がキラキラと輝く。


(こんな私でも、結婚して子供を産んで、幸せになれるんだ……!)


 希望に満ちた乃亜の眼前に、唐突に健の冷たい顔がよぎった。乃亜の表情が凍りつく。


 健の背中が暗闇の中に去っていく。乃亜は必死に手を伸ばしながら、健の後を追った。


「待って、行かないで!」


 そう叫んだ瞬間、乃亜は健とホテルの一室のソファに座り、寄り添い合っていた。


 窓の外に広がる絶景。乃亜が密かに式場の候補にしていた、有名なリゾート施設のスイートルーム。窓から見える空の雲の形と位置まで、スマートフォンで検索して見た写真と全く同じだ。


(なんだ、フラれたのは夢だったのね。私、健ちゃんと式場選びのホテルデートに来たんだ)


「大丈夫だよ、まだ行かないから」


 いつになく優しい健の口調に、乃亜の心を安堵と喜びが支配する。安心したことで眠気を強く感じて、更に瞼が重くなった。目を閉じて、半分眠りながら甘えるように身を寄せると、困惑する気配。そして揺り起こされる。


「ねえ君、起きて」

「うーん……? もう少し食べたい……」

「こんなところで寝ちゃ駄目だよ。帰らないと」

「やだ……もうチェックアウト?」

「は……? チェックアウト?」


 健は困っているようだ。乃亜はわけもわからず、目を閉じたままむにゃむにゃ呟く。


「私、一緒に帰る……あなたの部屋に」

「えっ、ホテルは取ってないの?」

「取ってない。ホテルは今泊まったんでしょ……変な意地悪……言わないで、連れてってよ……」

「いや、さすがにそれは」

「やっと会えた……のに。一緒にいたいの……お願い……」


 腕を伸ばして抱きつきながら、再び眠りに入ろうとすると、健は固まった。それから長いため息が聞こえてくる。


「わかった、とりあえず行こうか。ほら、立って」

「ふぁい……」


 ほぼ寝たまま、重たい足を動かす。そこで一旦、記憶が途切れた。ふわふわした意識の中、促されるまま柔らかいベッドに横になる。


「そこで好きなだけ寝ていいよ」


 そう言って離れていく健の腕を掴み、ぐいと引き寄せた。

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