第33話 人間爆弾のダーク(3)

 〈物語精霊界〉の図書館で、ロックから最後の「物語改変」の内容を知らされたとき、シーザーは驚きつつもロックたちを心配した。ここまで改変に関わってしまったら、また〈物語精霊界〉の罪に問われないのかと。


「ここまで改変してしまったら、〈物語精霊界〉のルールに抵触してしまわないんですか……?」


「なあに、心配しなさんな。乗り掛かった船だ。それにお前さんは、これまで何度もい上がり戦い続けてきた。形は違えど、俺もお前さんと一緒に戦いたいと思ったのさ。ここまで来たら、お前さんたちにはハッピーエンドを迎えて欲しいのさ」


 ロックは照れくさそうに頭をきながら、そう言うのだった。


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 追い詰められたシーザーは、ロックから渡された最後の物語改変のページを使用する。

 そしてぼろぼろの姿でアンに想いを伝えた。


「アン、いつもいつも君に辛い想いをさせてしまってすまない。けれど君を助ける方法はこれしかないんだ……」


 シーザーはそう叫ぶと、力を振り絞って解呪の魔剣『祝福殺し』をダークに向かって投げつけた。しかし、そんないちばちかどころか、自暴自棄の攻撃がダークに届くはずもない。彼が悠々と飛んでくる剣を避けようとしたとき――

 その剣に向かって飛び込む影があった。


 それはアン王女だった――

 アンは鉄製の手枷足枷てかせあしかせをされており、まともに立つことさえできないはずだった。しかし今ではそのかせがいつの間にか外されていたのだ。アン王女の力では絶対に壊せないはずだったのに、なぜ――


 実はそれはシーザーの「個体を液体に変える魔法」の力だった。遠距離では簡単に金属を液体に変えることができなかったが、彼は時間稼ぎをして手枷足枷てかせあしかせのネジ部分だけを液体化して壊したのだ。


 シーザーが解呪の魔剣を投げつけたのは、ダークに攻撃するためではなく、アンに手渡すためだった。

 見事に剣を受け取ったアンは、飛んできた剣の勢いのまま、自らの身体に解呪の魔剣を突き刺した。人間爆弾にされた呪いの力を解除するためである。

 突き刺した刃の激痛にうめき声を漏らしながら、アンは魔剣に魔力を流し込み、ダークが彼女を爆発させようとするより早く、瞬時に呪いの解除に成功するのだった。


「こう見えて、呪いの扱いに関しては天才的なのよ……! あんた、散々私とシーザーをいたぶってくれたわね、こっからはこっちの仕返しの番ターンよ!」


 しかし「人間爆弾」のダークはほくそ笑むだけだった。

 たとえ爆弾化を解呪できたとしても、女性に触れれば大爆発を起こせる能力まで無効となったわけではないのだ。今この瞬間にでも、アンに触れるだけで、彼女とシーザーを巻き込み爆発させることができるのである。


「お前を爆発させるのは容易たやすいこと。その宿命を変えられはしないのだ!」


 目をつむったままでアンは魔剣を構えるが、ダークは躊躇ちゅうちょすることなくアンに突っ込みつかみかかろうとする。その突進を防ごうと不意に伸びたアンの手袋越しの左手を、彼は逃さずつかんだのだ。

 ダークの人間爆弾の呪いは、触れさえすれば効果が発揮される。服の上からだろうが小手をしていようが、直接素肌に触れなくとも関係ないのだ。


 これで、アン王女は爆発する。すべて終わりだ――

 そうダークが勝利を確信したのだが、しかしいつまで経っても爆発は起こらなかった。


「馬鹿な……。なぜ、爆発しない?」


 まさか――

 違和感に気づいたダークは、アンの手袋を無理矢理に引きはがした。その下には、女性の腕も、骸骨化した腕もなかった。

 そこにあったのは鍛えられた男性の腕――シーザーの腕だったのだ。


 ダークは一瞬で悟った。この戦いが始まる前に、既にシーザーはダークの襲撃に備え、イゾルデの身体を入れ替える魔剣『美しき獣ビューティビースト』によって、アンとシーザーの腕を入れ替えていたのだということに。


「まんまとたばかられたということか……」


 シーザーはアンとダークの攻防の一瞬の隙を見逃さなかった。傷だらけの身体に鞭を打ち、洗脳された戦士たちの波を飛ぶように避けながら突進すると、ダークに剣が届くところまで一気に近寄る。

 それに気づいたダークが、アンの身体の陰に隠れ、再びアンを爆発させようと彼女の胴体に触れようとするのだが、シーザーはその隙を与えなかった。


 もしアンを傷つけないように回り込んでいたら、爆破されていただろう。だから迷うことなくシーザーは、アンごとダークの胴体を真っ二つに切り裂いた。イゾルデの魔剣によって――


 生きたまま上半身と下半身を切り離され転がるダークとアン。戦いは既に決着がついたのだ。

 シーザーはすぐさまダークの顔に布を巻きつけ、呪いの顔を隠す。もはや見えているのは口元だけだ。

 そしてアンの斬られた胴体も切り離したのと同じく魔剣の力で治すのだった。

 タイミングの良いことに大聖堂の外からも味方の衛兵たちが駆けつけ、ダークに洗脳された戦士たちを抑え込んでくれていた。


 もはや戦いは終わった。

 しかし、シーザーは自らの勝利に酔いしれることもなく、むしろ逆に曇った表情でダークに尋ねるのだった。


「なぜあなたはずっと躊躇とまどいながら戦っていたんだ? 僕たちを殺そうと思えば、もっと早く爆破することもできたはずだ……。あなたがアンを爆発させるのも、アンに触れるのも一瞬躊躇ちゅうちょしたから、僕らは生き残ることができたんだ……」


 ダークはその質問には返答しなかった。だが唯一見えている口元を歪ませ苦笑しながら、身の上話を始めた。


「私は貧民街で育った。お前らは知らぬだろう。ゴキブリのたか残飯ざんぱんを、うめえうめえとむさぼり食う生活など……。

 そして貧民にとって、美しい容姿を持っているなんてのは、かえって地獄でしかない。私は物心つく頃には実の母親から娼館に売られた。自分の母より年上の女や、時には親父おやじどもが、私を玩具にして遊んでいくのさ。奴らの作り出す液体を飲んでやればさらに喜びやがる。そんな我慢をすれば、数週間は暮らせる金が手に入るのさ……」


 ダークはその頃のことを思い出しただけで身体が震えるのを感じた。彼にとっては思い出したくもない過去どころか、身の毛もよだつ記憶でしかないのだ。


「人間としての尊厳などとうに失ったころ、私の持っていた呪いが強まり、ついには人を魅了し洗脳することができるようになったのさ。私は奴らに復讐した。奴らをたぶらかし、お互いに殺し合わせたのさ。

 罪の意識などなかった。それどころかいっそ清々せいせいしたよ。奴らは肉欲の豚だ、人間ではないのだと。

 だが、多分私は勘違いしていたのだ。私こそが、既に人間としての心を失っていたんだよ。私は呪いを持っているから『反人間カースド』なのではない、人の心を無くしたから『反人間カースド』なのだ――」


 彼はそう呟くと、布でおおわれたその美しい端正な顔を少しだけ歪めて、苦笑した。もはや悲痛な想いを語っても涙など流れることもなかった。

 逆にシーザーもアンも勝者らしからぬ苦悶の表情を浮かべて、ただただ無言でダークの話の続きを聴くのだった。


「『獄炎姫』アンジェたちも、人間への復讐の念を燃やしながらも、一方で呪いを解き人間になりたい、人間として生きたいと願っていた。

 私には残念ながらその想いを叶えてやることはできなかった……。だが、シーザー、『反人間カースド』であるはずのお前の生き様を見ていると――そしてアン王女との絆を見ていると、もしかしたら私たちにも、お前たちのような生き方ができたのではないだろうかと、ほんの少し思ってしまったのだ――」


「今からでも、そう生きること、つぐなうことはできるんじゃないのか」


 シーザーが苦しそうに問いかけるが、ダークはそれを否定した。


「無理だな。今更そんな都合よく生きることはできない。人間どもへの復讐心はおさまらない。そしてもう私の愛したアンジェも戻りはしないのだ。残念だがお前と出会うのは遅きにしっしたようだ……」


 ダークのその言葉とともに、大聖堂の地下の霊安室辺りから激しい爆発音が響き、ダークとシーザーのいる祭壇の床が吹き飛び大きく崩れる。


 祭壇付近にいた中でシーザーとダークだけが崩れた床に落ち込み、逆にアンは反対側の入口の方へ吹き飛ばされた。


「シーザー!? 大丈夫!?」


 大きく腰を打ちつけて倒れたアンは、しかし自分の身体よりシーザーの身を案じ、彼の元に近寄ろうとする。


「来るな、アン……! ここから早く逃げるんだ! ダークは大聖堂ごと爆破するつもりだ」


「シーザーを置いて逃げられるわけないわ!」


 下半身を斬られたままのダークは、倒れたままで胸元から呪布にくるまれた大きな物体を取り出した。その布を解きながら彼は語る。


「イゾルデの遺体も爆弾に変え爆破させてもらった。せめて丁重に葬ってやりたかったが、人間どもの見せ物にされるよりはマシだろうと思ってな。

 そして、このアンジェの腕を爆弾にすることで詰みチェックメイトだ。シーザー、本当に残念だ。お前に恨みはないが、魔王の勝利のためにここで一緒に死んでもらう――」


 もはやシーザーが止めに入る間もなかった。

 呪布に包まれていたのは「獄炎姫」インゲボルグの腕だった。ダークは追い込まれたときの切り札として、愛する彼女の腕を隠し持っていたのだ。

 触れて爆発しないように呪布に巻かれていたが、今やむき出しとなったその腕に、ダークは大事そうに触れるとあらん限りの魔力を込める。


「すまない、アンジェ。せめて地獄で添い遂げよう……」


 元々のインゲボルグの炎の呪いとダークの爆弾の呪いが掛け合わさり、巨大な赤黒いオーラを放ち始めると、一気に大爆発を起こすのだった。

 大聖堂が激しく揺れ、轟音とともに尖塔と天井の一部が崩壊して祭壇のあった場所に落ちる。爆風で聖人の像やステンドグラスが割れて吹き飛ばされた。


 アンも爆風に飲み込まれ壁に叩きつけられるが、他の聖堂内にいた人々と同じく幸い軽傷だけですんだようだ。


「シーザー⁉ シーザー、何処にいるの⁉」


 アンは自分の怪我よりも、シーザーの行方を捜した。悲鳴に近い声で呼びかけるが、応答は無い。

 聖堂内は爆煙がもうもうと立ち込めている。爆発の中心となった祭壇は倒壊した天井のせいで瓦礫の山となっており、落ちてきた尖塔の十字架が突き刺さっていた。祭壇に近い柱は折れたりひび割れたりしている。


 アンは、さらに天井や壁が崩れるかもしれない状況にもかかわらず、怪我した足を引きずりながら祭壇の方へ駆け寄った。

 祭壇の瓦礫の山に半分埋もれるようにシーザーがいるのを発見する。だが彼の胸には、大聖堂の尖塔から崩れ落ちた、身長ほどもある十字架が深々と突き刺さっていたのだ。


 アンは悲鳴を上げて、シーザーを抱きしめ呼び掛けた。

 彼は小さくうめき声を上げており、まだ息がある。けれど恐ろしい勢いでシーザーの生気が失われていくのを感じた。

 アンの力では十字架を引き抜くこともできない。彼女は自分の残っている治癒の力であらん限りの魔力を込めてシーザーを治そうとするが、まるで穴の開いたバケツで水を汲もうとするように、彼の生命力がどんどんと漏れていくのがわかった。

 もはやアンにはどうすることもできなかった。


 ぜいぜいと脆弱な呼吸をするシーザーは、治療しようとしているアンの手をゆっくりとつかむと、かすれる声で語り掛けた。


「もういいんだ。君だけでも助かって本当に良かった……。いつもいつも君を辛いことに巻き込んでしまってすまなかった」


「なに言ってんのよ。もういいわけないでしょ。それにいつもいつも救ってくれてんのは、あんたの方でしょ」


「最後に一つお願いがあるんだ……。魔王を救ってあげてくれないか。それが出来ないなら、魔王をせめて安らかに死なせてあげてほしい。こんなことを頼めるのはアン、君だけなんだ……」


「馬鹿……そんなこと自分でやりなさいよ……! なんであんたはこんな時まで人のことばっかり心配しているのよ。私だって……私だって、伝えたいこといっぱいあるのに……」


 シーザーはアンのその言葉を聞くと、少し困ったような微笑みを浮かべ、「すまない、アンには幸せになって欲しい」と告げて、力なく倒れるのだった。


 崩れ落ちた大聖堂には、シーザーの胸に顔をうずめて泣く、アンの声だけが響くのだった――

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