第3話 『剣姫』(2)

 カリヴァスは魔剣ヴァルキュリアの残骸を抱きかかえると、嗚咽おえつを漏らし泣いていた。そして気づいたのだ。本当に大切なものに。憧れなどよりも本当に必要としていた人がいたことに。取り返しのつかない今更になって。


 だが、カリヴァスが抱きかかえる折れた魔剣の瞳が静かに開く。


「バカ、竜殺しの英雄になったってのに、なに泣いてんのよ」


「ヴァルキュリア! よかった、生きていたのか」


 魔剣の声は弱々しくはあったが、無事であることを示すようにカリヴァスに向かって微笑んだ。

 彼の先ほどまでの悲しみの涙は、うれし涙に変わっていた。頬ずりせんばかりにヴァルキュリアを強く抱きしめる。


「ちょっと痛いわよ。レディには優しくしなさいよ。

それより、ようやくあなたの夢が叶ったんじゃない。これで竜殺しの英雄を名乗って、最後に王女に想いを告げるんじゃなかったの」


「違う、聞いてくれヴァルキュリア。

 ヴァルキュリアが死ぬかもしれないと思ったとき、お前がどれほど大切かってことに気づいたんだ。お前は人間ではないかもしれないが、俺はお前のことが――」


 カリヴァスがそう何かを告白しようとしたときだった。突如黒い巨大な影が恐ろしい速さでカリヴァスに襲い掛かり、彼を吹き飛ばして数十メートル先の壁まで叩きつけた。


 それは魔竜の巨大な尻尾だった――


 まだ広間に立ち込める煙の中に、ゆっくりと巨大な影が浮かび上がる。爆発で顔半分を失いながらも、竜は生きていたのである。こざかしい人間どもを見下ろすように、まさに伝説の化け物の持つ恐ろしい生命力で立ち上がっていた。


 万策ばんさくは尽きていた。

 魔剣は折れ、戦士はもはや立ち上がるどころか、逃げて走ることすらできない。カリヴァスたちはこのまま死を待つしかないのだ。


「ちくしょうっ……なぜここまで来て……」


 壁に叩きつけられ血反吐を吐き倒れこんでいるカリヴァスに向かって、ちょうど竜の真下にいたヴァルキュリアは声を張り上げ最後の手段を伝えた。


あきらめないで! 奴を倒す最後の方法があるわ! だから今から喋ることを黙って聞いて」


 竜を倒す方法、そんなものあるはずがない。いったいヴァルキュリアが何をしようとしているのかカリヴァスには皆目見当もつかなかった。だが魔剣は覚悟を決めたようにひとりうなずくと語りだした。


「私……好きな人がいたの……。

だから人間になりたいと思って、地獄の魔女を呼び出して契約したの。魔女は願いを叶える代わりに条件を出したのよ。『告白することなく愛を結ぶことができれば私を人間にしてくれる』って」


 ヴァルキュリアは震える声でさらに語った。最期の覚悟を持って。


「魔女はさらに言ったわ。だけどもしこの条件を喋ったり、男が他の女性と結ばれたときには、私は微塵みじんに爆発するって……!」


 すると魔剣ヴァルキュリアからばちばちとどす黒い魔法のオーラが噴き出し始め、徐々にそれが大きくなると、ついに雷のような轟音が鳴り出した。

 折れた魔剣から大広間全体を貫くようなまぶしい閃光が走る。


 魔女との条件を破り全てを語ってしまったヴァルキュリアは、今まさに爆発しようとしていたのだ。


「待て……待ってくれ。やめるんだ、ヴァルキュリア!」


 けれど、カリヴァスの絶叫をかき消すほどの、大広間全体を揺るがすような激しい爆音が響くと、ヴァルキュリアは魔竜もろとも爆発したのだった。


 魔女の条件がこれほどの爆発を想定していたのか、それともヴァルキュリアの魔力によるものかはわからない。もしかしたら、魔女が力を貸してくれたというのは考え過ぎだろうか。だがどちらにしろ、ヴァルキュリアの告白による爆発で、竜を退治することができたのだった。


 茫然自失のていでよろめくカリヴァスは、消し炭と肉塊となった竜の死体の中、魔剣ヴァルキュリアの残骸を見つけた。

 生前彼女は「人間でない鉄でできた私には涙を流すことさえできない」と嘆いていたが、ボロボロに欠け落ちた少女のレリーフの頬には一筋の涙が流れていた――


 カリヴァスはもはや涙すら流れなかった。折れた魔剣の前にひざまずくとずっとずっと彼女を眺めていた。戦ってばかりの人生だったはずなのに、彼女との記憶は楽しい思い出ばかりがよみがえる。

 竜を倒したその後のことはほとんど覚えていない。あとからやってきた王女付きの衛兵に王女を任せると、自分だけ残ってそうやってずっとひざまずいたままだった。


 なぜあの時、ヴァルキュリアの想いに気づいてやれなかったのか、大切なものにもっと早く気づくことができなかったのか。後悔と自責の念だけがぐるぐると巡り、ついには過去を変えられないのか、運命をやり直すことはできないのかと、不毛な妄想にまで辿たどり着いていた。

 過去を変えられるなら、俺の命など百個でも二百個でもくれてやる――


 そんな強い想いが魂から噴き出すと、そのとき彼の意識にひとつの声が聞こえてきたのだ。


「お前は物語を改変する覚悟があるのか」と。


 ――運命ではなく、物語?

 その不可解な言葉をきっかけに、徐々にカリヴァスの意識に世界のことわりが流れ込んでくる。「そうだ、俺は物語の登場人物なのだ」と。そう自覚できた瞬間、全てが把握できたのだった。

 この物語には、我々登場人物を動かす作者がいて、彼らが作る予定調和の展開を演じさせられているだけなのだと。それはくつがえすことなど不可能なのだと。


 だが、カリヴァスの心の底に宿ったのは、諦観ではなく、不条理に対する憤りだった。


 作者が描きたかったものなどクソくらえだ。

 このまま悲劇で終わってなるものか、何としてでもこの終わり方を変えなくてはならない、そのためなら自らの命だって投げ出してもいい。

 しかし既に確定してしまった物語は変更のしようがない。作者に直談判じかだんぱんしようにもその手段もない。もはや物語を変えるには、カリヴァスひとりの力では不可能なこともわかっていた。


 押し寄せる後悔の波に、膝をついて嗚咽おえつを漏らすカリヴァス。その彼の前に、突如まばゆく輝く白い光の扉が現れた。まるでこの世界のものではない、異世界に続くかのような扉が。


 鳥が誰に教わらなくとも飛び方を知っているのと同じように、カリヴァスは自らが「物語の登場人物」であることに気づいた瞬間に、<物語の精霊>たちの存在も思い出していた。まるで記憶が蘇ったかのように全てを理解したのだ。

 そう、「物語の登場人物」たちの噂で聞いたことがある。この<物語の世界>とは違う、<別の世界への扉>があり、そこには物語を改変する力を持つ、「ハッピーエンダー」という存在がいるということに。


 カリヴァスは一縷いちるの望みにすがるように雄叫おたけびを上げると、光り輝く扉の中に飛び込むのだった。

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