第2話 『剣姫』(1)

 『剣姫つるぎひめ』は竜退治物のファンタジー作品である。


 「竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー」を自称する主人公のカリヴァスは、実は一度も竜を倒したことがない戦士であった。しかし彼は今、相棒の喋る魔剣ヴァルキュリアと共に、憧れの王女を救うため竜退治に挑む。



 カリヴァスは戦士らしい引き締まった体つきに、逆立つ赤銅色しゃくどういろの髪を持つ精悍せいかんな若者だ。彼は腰のさやから抜いた魔剣ヴァルキュリアを握り締め、王女への想いを熱く語った。


「俺は今度こそ本当の『竜殺しの英雄ドラゴンスレイヤー』になる。そして王女を救い出したあかつきには、この想いを告白するんだ!」


 そう息巻くカリヴァスだったが、ヴァルキュリアはいつもと違い表情を曇らせたままだった。

 本来なら剣に表情があるのも不思議な話ではあるのだが、魔剣ヴァルキュリアは柄に美しい少女の彫刻がかたどられており、表情をころころと変えることができたのだ――


 幾つもの冒険で共に戦ってきた戦友であるカリヴァスとヴァルキュリア。時には仲違なかたがいすることもあったし、猪突猛進ちょとつもうしんなカリヴァスにまさしく「振り回される」ヴァルキュリアであったが、けれどどんな時にも逃げることなく、お互い力を合わせ戦い続けてきた。

 しかしいつもは協力的なヴァルキュリアも、今回ばかりは竜退治に反対するばかり。


「はっきり言って、今のカリヴァスの力では竜にはかなわないわ。みじめに負けて食われちゃうのがおちよ!」と憎まれ口まで叩く始末だった。

 彼女はただカリヴァスの身を案じていただけではない。魔剣ヴァルキュリアがそこまで言うのには、実は理由があったのだ。

 彼女は秘密裏に地獄の魔女を呼び出し、禁断の契約をしていたのである。


 剣であるヴァルキュリアは、本来なら魔女の住処に辿たどり着くことさえできない。けれど彼女はカリヴァスと離れひとりの時を狙い、いにしえの召喚呪文によって魔女を呼び出すと、願いを伝えた。


「私には好きな人がいます。でも魂のない鉄でできた私には、泣くことも愛を交わすこともキスすることもできない。だけど人間になれば、あの人の腕の中できっと愛を感じることができる……。私はあの人の愛が欲しい!」と。


 魔女は願いを叶えるかわりに、一つの条件を出した。


「わしにお前の言う愛とやらを証明して見せろ。その男に告白せず愛を結ぶことができれば、お前を人間にしてやろう。じゃが、もしこの条件を喋ったり、その男が他の女性と結ばれてしまえば、お前は微塵みじんに爆発して砕け散るだろう――」と。


 それは実現不可能に思える恐ろしい条件だった。

 だが、ヴァルキュリアは自らの愛に賭けた。今までカリヴァスと築いてきた二人の想いを信じたのだ。だからこそ魔女の条件を飲んで、禁断の契約を結んだのである。

 ところがそれにもかかわらず、実はカリヴァスは王女に憧れを抱いていた――

 ヴァルキュリアにはその想いを押しとどめる方法も無ければ、自分の想いを告げることさえ許されないのだ。このままいけば、ヴァルキュリアは爆発して消え去るしかなかった。


 しかしそんな事情を知らないカリヴァスは、ヴァルキュリアの忠告を無視し、ついに竜の住処の地下迷宮へと乗り込み、最後の戦いへと挑むのだった。


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 竜の住処は古代帝国期の絢爛けんらんな建物と、地下迷宮が組み合わさったような壮大な建造物で、いまや怪物どもの巣窟そうくつとなっていた。

 だが竜以外の怪物など、もはやカリヴァスとヴァルキュリア二人の敵ではない。彼らは最深部へと潜っていき、ついには生贄として捧げられた王女の悲鳴を聞きつけ、彼女の元に駆けつけるのだった。


 そこは城一つ余裕で入りそうな巨大な広間だ。カリヴァスたちはその最上階付近の出入り口に辿たどり着いていた。眼下を見ると、大広間の中央には城と見まがうほどの巨大な魔竜がおり、うめき声を上げて今まさに王女に襲い掛かろうとしていたのだ。


 全身をおお暗緑色あんりょくしょくの鱗は、分厚い鉄板同様で、おまけに騎士の甲冑のように刃の通る隙間すらない。耳元まで裂けた口からは鋭い牙がのぞき、短い四肢の指先からは長い鉤爪が伸びている。

 背中に生えた蝙蝠こうもりのような羽をひとつばたつかせただけで旋風が巻き起こり、カリヴァスたちは吹っ飛ばされそうになる。


 想像以上に巨大な魔竜のその姿は、怪物というより天変地異の災害に似ており、とても人間の太刀打ちできるものではなかった。

 さらにいえば自称ドラゴンスレイヤーのカリヴァスは、実際には一度も竜を倒したことがないのだ。ヴァルキュリアを持つ手もガタガタと震えていたが、彼は吐き出しそうになる恐怖を飲み込んで虚勢を張った。


「行くぞ、ヴァルキュリア!」


「無理よ! 一度も竜を倒したことがないあなたが、こんな強大な魔竜に敵うわけないでしょ。王女を救うのはあきらめて逃げるのよ!」


「お前は王女を見殺しにしろっていうのか? そんなことできるわけがないだろう。たとえ竜の吐く炎に焼き尽くされようとも俺は戦う。それにもし――もし本当に力及ばず倒れることがあったとしても、王女だけは救ってみせる!

 剣であるお前にはわからないかもしれないが、人間には命より大事な矜持きょうじってもんがあるんだよ!」


「ええ、どうせ私は人間じゃないわ! だけどそういうあんたって人間は、私の気も知らないで、いつもくだらないことに命さえ懸けるのね」


「くだらないだと⁉」


 だが、そんな仲違なかたがいを続けている暇はなかった。再度王女の悲鳴が響くと、カリヴァスは無鉄砲にも大広間上階から跳躍し、竜に突っ込むのだった。

 しかし竜の頭部への渾身の一撃も、まるで効きはしなかった。縦横じゅうおうに振るうその剣は精彩を欠いており、竜鱗に弾かれ傷一つつけることさえできない。普段の魔剣ヴァルキュリアとの阿吽の呼吸コンビネーションが発揮できていないばかりか、魔竜に対してあまりに人間の力は無力であったからだ。


 竜の尻尾の一振りで、カリヴァスは転がりながら壁まで吹っ飛び激突する。さらに竜が大きく口を開き落雷のようにグルグルと喉を鳴らすと、喉奥で炎の塊が渦巻き、それが紅蓮の業火となって、カリヴァスたちのいる広間一面に向かって吐き出された。

 彼は自ら盾となるように王女をかばったせいで、逃げ切れずに業火に焼かれた。皮膚をそぎ落とされたような激痛が走り、手足は肉が焦げ黒い炭のようになり、もはや立ち上がることさえできなかった。

 死は目前まで迫っていた。


 カリヴァスはこの今際の際いまわのきわになって初めて気づく。普段いかにヴァルキュリアが自分を助けてくれていたかに。そして彼女の力なくして、魔竜に敵うはずもないということに。

 なぜ彼女の忠告を真剣に聞かなかったのかと。


 折れそうになる魂を、しかし最後に奮い立たせて、カリヴァスはヴァルキュリアに頼んだ。


「すまない、お前の言うとおりだった。俺は自分を過信していたよ。今更笑っちまうが、ヴァルキュリアがいつも守ってくれていたのにようやく気が付いたんだ。

 だが、それでも俺はせめて王女だけでも救ってやりたいんだ。この身体じゃ、反撃できてもあと一撃だけだろう……。頼む、俺に力を貸してくれ!」


 ヴァルキュリアも、もはや自分が人間になれないことを覚悟していた。決して自分の愛が成就じょうじゅなどしないことも――

 それでも彼女はカリヴァスへの想いを捨てきることはできなかったのだ。「死にたくない、人間になって愛されたい。だけどそれよりも、やっぱり私はカリヴァスのことを愛しているんだ」と、そう心の中で嚙み締めた。


「カリヴァス、たった一つだけ竜を倒す方法があるわ。さっき竜の炎を見て気が付いたの。竜が炎を吐く瞬間に、私を竜の口の中に突き込むのよ!」


「馬鹿な、それじゃお前が……」


 確かに鱗のない口蓋こうがいであれば、剣で貫くことができるだろう。だがそれは、鋼鉄さえ溶かす業火の中にヴァルキュリアを突き刺すということだ。

 しかし迷っている暇はなかった。今まさに竜は再び襲い掛からんと大口を開け、喉奥に業火の火種を宿し始めていたからだ。


「さあ早く、チャンスは一度よ!」


 「くそぉぉっ!」と雄叫おたけびを上げ、カリヴァスは最後の力を振り絞り竜に向かって突っ込むと、そのあぎとの中にヴァルキュリアを叩き込んだ。

 口蓋から炎の爆音を上げ、地響きのような断末魔を上げてゆっくりと倒れていく魔竜。


 大広間一面を溶かすほどの熱と煙が渦巻く中で、もはや一歩も動けず、突っ伏したカリヴァスの眼には、くずおれて動かなくなる竜の最後の姿が映るのだった。


 カリヴァスたちは勝ったのだ。ただし、多大な犠牲を払って――


 隠れていた王女が大丈夫ですかとカリヴァスの身を案じて駆け寄るが、もはや彼には答える気力さえ残っていなかった。

 それよりも、カリヴァスはいずるように足を引きずりながら、相棒の魔剣を探した。


 倒れている竜の頭部付近にその影を見つけると、カリヴァスはヴァルキュリアの名を叫んで近づいた。

 そこには折れて刃を失い、顔と柄だけとなったヴァルキュリアの残骸が転がっていた。

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