第4話 ハッピーエンダーのロック登場
カリヴァスが飛び込んだ扉の先――そこは静寂に包まれた巨大な図書館だった。
終わりなく、どこまでも続く本棚が整然と並ぶ。天井まで届くほどの高い棚には、様々な色や大きさの本がぎっしりと詰め込まれている。
カリヴァスの目の前の広間には
端正な顔立ちだが、虚空を見つめるその黒い
いかにも妖しげなこの男こそ、ハッピーエンダーと呼ばれる
カリヴァスは膝をついて折れた魔剣ヴァルキュリアを差し出すと、願いを訴えた。
「あんたがハッピーエンダーか? 俺の名はカリヴァス。頼む、どうかこの魔剣ヴァルキュリアを人間として生き返らせてくれ! 俺たちの物語の展開を変えてくれ!」
「断る。面倒くさい。帰れ――」
男は振り向きもせず、冷たく言い放つ。あまりに
「頼む、願いを聞いてくれ。俺は馬鹿だった。失って初めて、本当に大切なものに気づいたんだ……例えこの命を失っても物語を変えたいんだ! あんたたちハッピーエンダーなら作者の作った脚本を改変できるんだろ!? どうか――」
それを聞いていた男はソファから身を起こし来訪者に向かって座りなおすと、カリヴァスの言葉を
「この場所に辿り着いて俺のことが見えてるってことは、お前さんは自分が『物語の主人公』だって気づいたわけだ。しかもハッピーエンダーについても理解しているときた。
だが残念だったな、俺はもう二度と『物語を改変』しないと誓ったんだ。お前さんの依頼を受けるつもりはない」
吐き捨てるような台詞だったが、そこには揺るぎない決意が見て取れた。死刑宣告のように告げられたその言葉に、カリヴァスは思わず困惑する。
「馬鹿な……、話が違うじゃないか。ハッピーエンダーは物語を改変したいと願う『物語の主人公』たちの最後の希望じゃなかったのかよ⁉」
「お前さんはなにか勘違いしてるようだな……。作者の意に反して勝手に物語を書き変えるのは、それだけで充分危険で、許されざる行為なんだよ。ましてやバッドエンドをハッピーエンドに変えるなんて、命を削って作品作ってる作者に対する冒涜、裏切り以外の何物でもない」
「そんなことはわかってるさ! 作者に直談判できるなら初めからやってるさ。だが、一介の登場人物でしかない俺が、作者とどうやって接触したらいいっていうんだ⁉ ましてや万一直接訴えることができたとして、作者がハッピーエンドに書き換えてくれるってのかよ?」
カリヴァスは自らの膝を殴りつけ、どこまでも続く図書館の端まで届かんばかりに、声を張り上げて訴えた。
まだ若いとはいえ、大の男、ましてや歴戦の勇者が
「ロック、せめてまともに話を聞いてあげたらどうなの? 節穴のあなたの目には見えていないかもしれないけれど、彼は物語の改変に値する主人公よ。
それにこの人の物語、あなたに全く無関係ってわけじゃ無さそうよ」
「ほ……本が喋った!?」
驚くカリヴァスに対し、ロックは思わず突っ込んだ。
「お前さんの剣だって喋るのに、たかだか本が喋ったくらいで驚くなよ……。そういえば自己紹介すらまだだったな。俺はハッピーエンダーのロック。
こっちの本はサロメ、罪人の俺のお目付役さ。お前さんが知ってるかどうかわからんが、聖書やオスカーワイルドに登場する悪女と同名だな。まぁ、人を節穴呼ばわりする悪女であることには変わりないがね……」
その台詞を聞いたサロメは本の角で思いっきり、容赦なくロックの頭をひっぱたいた。
「誰が首切りの悪女と一緒ですって!?」
「おぉいてぇ……。首は斬らずども、平気で頭をぶっ叩く暴力女には違いないじゃねーか……」
ロックは痛む後頭部をさすりながら、サロメに聞こえないようにボヤくのだった。しかしそれより、先ほどのサロメの言葉が引っかかっていた。
「このカリヴァスって奴の物語と、俺とどう関係があるっていうんだ?」
サロメは古今東西の物語を知る魔法の書物であった。ゆえにカリヴァスの物語についても詳細を知っているのだ。ハッピーエンダーにとって必要不可欠な相棒なのである。
「このカリヴァスの物語の名は『
それを聞いたロックは、自嘲気味に苦笑すると、深く溜息を吐いた。
「そうか、『人魚姫』と同じテーマというわけか……」
ロックは百年以上前のあの日のことを思い出す。いや、むしろ忘れることができなかった。
やって来たひとりの少女は、誰もが知っているおとぎ話のヒロインだ。
尾ひれだったはずの下半身は今ではきれいな女性の足となっていた。魔女に与えられた足は歩く度に激痛を伴うはずだが、少女はそれすら耐えていたのだ。物語の中で魔女に奪われ失った声も、この〈物語の精霊界〉では普通に喋ることができるようだった。
椅子に腰掛けた少女はドレスの裾をキツく握りしめて、震える声で訴えた。
「シンデレラや白雪姫はハッピーエンドで王子様と結ばれるのに、私は海の泡となって消えてしまう……。どうして私だけはハッピーエンドで終わることができなかったの?
――いいえ、ハッピーエンドにならなくてもいい。だけどこの私の想いは嘘じゃない……そう信じていたい。だから、せめて一言だけでもあの人に、この想いを伝えたかった」と。
たが、その時のロックには、そんなささやかな願いさえ叶えてあげることすらできなかったのだ。あの日の自分の無力さを、若き日の過ちを、彼は未だに忘れることができなかった。
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