優しさは時に残酷に振る舞う
「何十年振りかしら……こうして満足する程に性欲を発散出来たのって」
全身から淫蕩で淫猥な匂いをさせながら、晴れ晴れとした満面の笑みで嗤う涼子。
そんな涼子とは対照的にゲッソリとした様子の股間に
「本気で落として僕のモノにしようとしたのに。徹底的に淫欲に溺れさせて、全てを忘れさせて僕のモノにしようとしたのに……」
そう。
すこぶる良い女の身体に男性器と言うアンバランスな物を持つ彼女は
サキュバスと吸血鬼の血を引き、両方の性質を持つ彼女は涼子との契約に於ける対価。
一晩好きにする。
ソレを利用し、己のモノにしようとした。
だが、結果は失敗に終わった。
そんな魔王に涼子は心の底から愉しかった。
そう嗤って告げられれば、嫌でも心が折れてしまう。
「愛のあるセックスは大好きよ。でも、無力にされた状態で血と身体を貪られ、好き放題されるのも大好きなのよね」
嬉々として語る涼子に魔王は恐る恐る尋ねてしまう。
「私を殺すの?」
魔王は裏切りを働いた者に対し、涼子は一切容赦しない事を知っている。
勿論、裏切り者達が辿る末路も重々承知していた。
だが、涼子の答えは予想と反するものであった。
「殺さない。殺す理由が無い」
「え?」
予想と反する答えに魔王が呆気に取られると、涼子は笑顔と共に問う。
「逆に聞くけど……貴女は私に対して"何"が出来たのかしら?」
その問いの意味を察してしまった魔王はヘナヘナと弱々しく腰をぺたりと床に落としてしまう。
そんな魔王へ涼子は更に言葉を続ける。
「それに貴女へ私が払う対価は一晩好きにしても良い。コレは同時に私を自分のモノにしようと図る事も含まれるわ」
とんだ解釈だ。
だが、好きにしても良いと言うのは、己のモノにしようとする事も含まれる。
それ故。
涼子は魔王へ支払う対価として認め、嬉々として常人であれば狂い、堕ちるだろう責めを受けると共に己の血も貪られたのだ。
そんな涼子に魔王はバケモノを見る目を向ければ、涼子は優しく語る。
「私は貴女の事がとても好きなのよ?付き合いが永いし、貴女には沢山助けられて来たし……それにね」
「それに?」
「貴女が私の事を好いていたのは知ってた。そんな貴女は私が普通の人と結婚した事に対し、怒り狂ったんじゃないかしら?」
最後の理由を語る前に涼子から問われれば、魔王は肯定する。
「えぇ、怒り狂ったわ。でも、貴女は私にとっても大事な友でもあった。だからこそ、怒りを鎮めて貴女と彼の愛を祝福した」
「そう。それ……それが一番の理由よ。だからこそ、私は貴女の愛をこうして受け止める事にした。そして、受け止めた上で振るのが礼儀と想った」
涼子は魔王が昔から己に恋し、己を自分のモノにしたがっていたのを知っていた。
だからこそ、一晩自分を好きにさせた上で拒絶する事を選んだ。
勿論、今は亡き夫との愛を祝福してくれた礼も含めてだ。
そんな涼子に魔王は尋ねる。
「私が契約を破るとは思わなかったの?」
「その時は哀しいけど貴女を喰う事を選んでいたわ」
さも当然の様に返されれば、魔王は改めて涼子の恐ろしさを思い出してしまう。
そうだ。
リョウコは敵と断じた相手には一切の容赦も躊躇いも無い。
だが、同時に……
でも、友として認めた相手には寛大でこれ以上無いくらいに真剣に応じてくれる。
だからこそ、私は貴女の優しさに溺れてしまった。
涼子の優しさと誠実さも思い出した。
そんな魔王は気持ちをぶつけた。
「貴女は優しく誠実。だからこそ、容赦無く残酷な事をするのね」
「優しく誠実って点はとても怪しいけど、容赦無く残酷な事を平然とするのが私。だから、私は貴女の愛を受け止めた上で拒絶した」
淡々と答えた涼子に魔王は責める様に言う。
「やっぱり酷いよリョウコは」
「貴女の愛を弄んだ様に感じるんなら、そう言う事なんでしょうね。コレは都合の良い事かもしれないけど、私は貴女との繋がりは棄てたくないわ」
身勝手とも言える涼子の言葉に魔王は答える。
「私は諦めないわよ」
「えぇ……また私を貪りたくなったら、私の都合が合う時に喜んで遊ばせてあげるわ」
嗤って答えた涼子は裸のまま魔界へと帰った魔王を見送ると、元の世界へと戻った。
「ただいまー」
陽気に朝帰りすると、陽子は驚き、正樹は涼子から匂い立つ淫臭に顔を顰めてしまう。
「や、薬師寺さん……何してたの?」
「ん?愉しく遊んでたのよ」
にこやかに陽子に答える涼子に正樹は怒鳴りたい衝動を抑えながら怒気を込めて言い放つ。
「さっさと風呂なりシャワーなり入れクソアマ」
正樹に言われた涼子が素直にバスルームへ向かうと、陽子は「念入りに洗えよ」と涼子の背に向けて言い放った正樹に尋ねる。
「あの……薬師寺さんは何をしてたんですか?それにこの変な臭いは……」
初めて嗅ぐ強烈な淫臭に困惑する陽子に、正樹は頭を抱えながらぶっきらぼうに答えた。
「あのバカ、一晩中ヤッてたんだろうよ」
「ヤッてたって……セッ……」
「言うな。取り敢えず、あのバカが洗い終えるまで朝飯はお預けだ」
不愉快そうに言えば、陽子は何も言わなかった。
そんな陽子に正樹は尋ねる。
「どうした?救いの女神の淫売な姿に幻滅したか?」
「その……」
何と答えれば良いのか?
解らずに言葉を迷わせる陽子へ正樹は言う。
「人に限らず理想と現実は常に違うもんだ。漫画とかのセリフでもあるだろ?憧れは現実から最も遠いって……」
「…………」
正樹の言葉に沈黙しか返せない陽子。
そんな陽子に正樹は更に言う。
「誰にだって良い面と悪い面。好きな所と嫌いな所と言っても良い二面性を持ってる。どっちか片方しか無い奴なんて居ない」
内弁慶。
または陰弁慶。
そう言われる家の中では強がって振る舞い、家の外では意気地無い振る舞いをする者を現す言葉だってあれば、猫を被ると言う言葉だってあるくらいなのだ。
誰にでも、表の顔と裏の顔と評しても良い2面性があってもおかしくはない。
そんな正樹の言葉に陽子は理解はした。
だが、納得は出来ない様であった。
故に……
「どっちが本当の薬師寺さんなんですか?」
本当の薬師寺 涼子が解らなかった。
そんな陽子に正樹は呆れた様に言う。
「ほんの数日程度しか付き合いが無いのに相手の事を完璧に理解したつもりになる?何様だよ?」
其処で言葉を止めた正樹は煙草を咥えて火を点すと、紫煙と共に言葉を続ける。
「勘違いすんな。君を責めてる訳じゃない。長い付き合いがあったとしても、相手の心や考えが完璧に解る訳じゃない。君は会って数日の俺の心や考えを読めるか?」
「いいえ」
「安心しろ。俺も読めない」
紫煙と共に微笑んで返した正樹は教師や親の如く優しく諭す様に語る。
「君はどっちが本当の彼女なのか?そんな疑問を呈した。大概は裏の顔を知れば、そっちが本性と思うんだろう……だが、実際は違う」
「違うっていうのは?」
「確かに隠された裏の顔こそが本性であり、真の姿と誰もが思う。だが、実際の所はどちらも本当の姿であり、仮初の姿だ」
正樹の言葉に陽子は益々訳が解らずに困惑すれば、困惑させた当人である正樹は気にする事無く紫煙と共に問い掛ける。
「一つ聞きたい。君は女子高生と退魔師と言う二足の草鞋を履いていた。そんな君は退魔師の事を学校では誰にも話さずに普通の女子高生として振る舞い、放課後は退魔師として針の筵の中で戦ってきた。違うかな?」
「その通りです」
「その時、君の学校生活も退魔師としての態度も具体的にどうなのか?解らない。だが、それでも女子高生としての君と退魔師としての君を使い分け、演じて来た事に変わりはない」
正樹に指摘されれば、陽子は正樹の言葉の意味に納得する事が出来た。
そんな陽子は確認する様に尋ねる。
「つまり、薬師寺さんも同じと?」
「まぁ、概ねそんな理解で良い。違うとすれば、君の様に善良ではないって事ぐらいだな……俺も含めて」
陽子の問いに肯定する正樹であったが、涼子が善良ではない。
今度はこの点に疑問を覚えてしまう。
「善良ではないというのは?」
「その言い方だと俺が善良じゃないって聞こえるぜ?」
正樹がからかう様に言えば、陽子は「そんなつもりじゃ……」としどろもどろに否定しようとする。
だが、正樹は笑って済ませた。
「安心しろ。俺は善良な人間じゃないのは間違い無い事実だ。君の認識は間違ってない」
人の良い陽気な笑顔と共ににこやかに答えれば、陽子は少しだけホッとしてしまう。
そんな陽子に正樹は尋ねる。
「君はあの夜に2人のエクソシストを平然と死なせようとした彼女を止めようとしたろ?」
「はい。あ!2人は!?」
「死んだよ。彼女が殺した」
正直に包み隠す事無く答えれば、陽子は悲痛な面持ちを浮かべてしまう。
そんな陽子に正樹はハッキリと言う。
「勘違いするな。彼女は2人が彼女を殺そうとしなければ、殺さなかった」
「え?」
「エクソシストの男の方は後ろから刺して来た。だが、彼女は反撃する事無く君を抱えて俺の所に避難させた。そして、2人のエクソシストに戦わせている間に彼女は九尾の不意を突いて殺した」
「だが……」そう前置きした正樹は陽子に2人が涼子に殺された理由を語った。
「彼女は九尾を始末した証拠として首を確保しに行った。で、首を回収して帰ろうとした所をエクソシストに襲われ、彼女は襲って来たエクソシストを殺した」
さも当然の様に正樹の口から語られれば、陽子は信じられない。
そんな目を向けてしまう。
「正当防衛とは言え、人殺しを平然と躊躇いなく行う奴をバケモノみたく感じるか?」
「い、いえ……そう言う訳じゃ……」
正樹から本音を見透かされてしまい、陽子は言葉を詰まらせてしまう。
だが、正樹が陽子を責める事は無かった。
寧ろ……
「平然と人殺しが出来る。この国では考えられない非常識だ。だが、それが俺と彼女のやる汚い仕事の一部でもある」
陽子の想いや陽子の持つ常識を理解した上で、教師の如く優しく諭した。
自分と涼子が行う
そうして、包み隠す事無く涼子と自分は人殺しも辞さない事を告げれば、正樹は優しく語り掛ける。
「君は善良で優しい。妖魔とやらを殺す事には納得出来ても、人を殺す事には納得出来ない。寧ろ、罪悪感で苦しみ続けるだろう。そう言う奴を沢山見てきた……大概は心がブッ壊れてイカれちまって酒や麻薬に溺れるし、場合によっては自殺する奴も現れる」
正樹の言葉を陽子は否定が出来なかった。
そればかりか、涼子と共に戦おうとする決意が揺れ始めてもしまった。
そんな陽子に正樹は邪悪な世界で長年生きてきた先達として、紫煙と共に優しく告げる。
「君は汚い世界で生きない。そんな選択をする事も出来る。だからこそ、俺と彼女は君に明るい世界で生きてくれる事を強く切望している。それが例え、君が望まぬ形であろうともな」
正樹の本心からの言葉に陽子は否定出来なかった。
そんな陽子に正樹は言う。
「まぁ、選ぶのは君だ。確実に言えるのは、君が俺達の世界に来るのを選んだら俺は君を一発本気で殴る。で、その後はクソみてぇな汚れ仕事を続けて心が壊れて酒かヤクに溺れるか、最悪自殺。これぐらいだな」
そう告げた正樹に陽子は反論が出来なかった。
そんな陽子から離れ、窓辺に立った正樹は静かに煙草を燻らせると、涼子が身体を清潔にし終えるまで紫煙と共に待つのであった。
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