分の悪い賭けの支度
依頼主の赦しを経て神宮から立ち去って最寄り駅で帰りの電車に乗った。
そのまま地元まで帰り、家路に着いた。
自宅に到着すれば、涼子は「ただいまー」と帰って来た挨拶をすると同時に自室へと駆け込んだ。
慌ただしい愛娘の様子に母親は一瞬ばかり訝しんだが、何か急ぎの約束を友達としているのだろう。
そう判断して何事も無かったかの様に家事に勤しんでいく。
自室で時間を惜しむかの様に荷物を全て放り投げる様にして置き、制服を脱ぎ散らかして下着姿になった。
それから直ぐに下着の着替えを持ってバスルームに赴くと、早速シャワーを浴びていく。
早朝トレーニング後のシャワーよりも手早く身体中の汗と汚れを綺麗に洗い流し、5分ほどでバスルームから出た。
涼子はバスタオルで全身を拭い終えると、髪を乾かさずに下着姿になると、直ぐに自室へと向かった。
慌ただしく自室へ戻った涼子はベッドの前に赴くと、その場でしゃがんでベッドの下を覗き込む。
ベッドの下には古めかしい年季の入った革製の大きなトランクが収められていた。
そんな古めかしいトランクをベッドの下から引っ張り出した涼子は、ナンバー式のトランクの鍵をカチカチと音をさせて解除する。
そして、トランクの蓋を開けて中身を露わにした。
中には綺麗に折り畳まれた漆黒のローブと革製のポケットが多数ある黒いベスト。
黒のズボンとボタンダウンの黒い長袖のシャツ。
それから、革製の前腕と太腿を保護する為のプロテクターが一対ずつと厳つい黒のブーツと言った被服類が収められていた。
其れ等の被服は当時の涼子が魔女として悪名を馳せて居た頃、長年愛用していた装備であった。
そんな懐かしい気持ちを沸き立てる装備を手に取った涼子はジッと静かに見詰める。
一頻り見詰めた涼子はポツリと呟く。
「言った以上は殺るしかないのよね」
この件に関係する人間を既に1人殺している。
ならば、もう1人や2人殺しても同じ。
そう開き直った涼子は被服を手に取って入念に点検していく。
流石にこの場でコレに着替えて外に出歩いたら不審者として即通報される。
下手したら交番へと連行される可能性だってある。
迷彩服と装具類と言った軍装を身に纏い、手には銃を持って衆人環視溢れる街中を歩く一部の救いようの無い。
恥という概念を何処かに置いてきた様な、ホームラン級のバカ達を除いた大概のミリタリー愛好者と同じ理屈だ。
それ以前に常識的に考えれば、不審者丸出しの格好で出歩くバカは居ない。
要するにそう言う事だ。
全ての被服類の点検を終えて異常が無い事を確認し終えた涼子は、其れ等の被服類をベッドの上に並べた。
涼子は下から現れた物騒な品々に目をやった。
其処には6本の
10本の薬液が詰め込まれた試験管。それにファンタジーな異世界にはそぐわない地球の象徴とも言っても過言ではない武器……
ネジが切られた銃身がスライドの前端から数センチほど飛び出ているセミオートマチック式の拳銃は、13発の9ミリルガー弾が装填された7つの弾倉と一緒にトランクへと収められていた。
ソレを見た涼子はセミオートマチック式の拳銃を手に取って見詰め、当時の事を感慨深く振り返っていく。
確か、物質を
アスピアセルの荒野で死にかけて倒れてるチェンさんを見付けたのよね。
その時にチェンさんが色々と持ってたから、私はチェンさんの持ち物で本当に物質を
実際に実験したら本当に出来ちゃった訳なんだけど……
「あの時はガチで滅茶苦茶驚いたわ。何せ、魔法で寸分違わぬブローニングハイパワーが出来上がったんだもん……で、他のも出来ないか?試したら、チェンさんが持ってたAKMSとM79にM26も
涼子の言葉を証明する様にトランクの武器コーナーにはM79と呼ばれるアメリカ製の古めかしいグレネードランチャーが11発の40ミリ榴弾と共にあった。
それ以外にもレモンの形にも似たM26と呼ばれる破片手榴弾が12個。
それから、金属製の
そうした地球の武器を眺める涼子は思案する。
正直言うと……対人戦オンリーなら地球の産んだ銃とかいう対人特効全振りの武器の右に出るモノは無い。
呪術廻戦の腐れメロンパンの言葉をそのまま
なので、魔女だけど魔女としての誇りや矜持は正直言って一切皆無な私としては銃器を用いる事に対して何の躊躇いも無い。
何事も手軽かつ楽に
魔導に傾倒し、果てしない高みを目指して必死に研鑽する者達が聴けば即座に怒髪天を衝く事になるだろう。
しかし、得果てしない高みに立つ者達は得てして身も蓋も無い思考を持ち、自分の専門的な知識にだけ拘泥しない。
寧ろ、そうした専門外の知識を得れば、ソレを自分の専門分野に流用出来ないか?
無節操に研究する。
涼子もそうした身も蓋も無い無節操なタイプであった。
だが、銃も完璧ではない。
まぁ、それでも特定のレベルを越えて怪物に至った人間に効果あるか?と聞かれれば、不意討ちに成功すればワンチャン程度。そう言わざる得ないのも事実。
さて、相手はどの程度かしら?
相手に関して知っている事は実質皆無。
相手の力量を分析したくても情報は一切無い。
オマケに釣り出しに関しても上手く行く保証は
敵さんが頭の回るタイプなら本命の仕掛けが壊された時点で危険を察知して即座に逃げる。
それこそ、デ・ニーロの台詞にある「ヤバいと感じた時、30秒フラットで高飛び出来る様にする」って言うタイプだったら尚更。
何なら、私が天照皇大神と須佐之男命と出逢ったのを遠巻きに観ていた時点で逃げの一手を打って、とっくに逃げる算段を付けていると見ても良いくらい。
「捨駒に陽動させている間に色々とやってた点を踏まえるなら、逃げの一手を打ってるか?何なら、既に
相手が此方の釣り針に引っ掛かってくれるか?
実際に行動しなければ解らない。
それを差し引いても分の悪い賭けであるのは否めない。
二柱の大神の手前、大見得を切った。
だが、実際の所は涼子が自ら放った言葉は自分の立場を悪くしただけであった。
その為、少しばかり気が重かった。
しかし、それでもやるしかない。
「こうなったら、どうにかなれーってちいかわ宜しくヤケクソでやるしかないわね」
分の悪い賭けに己の命を賭ける事にした涼子は溜息を漏らすと、ブローニングハイパワーを脇に置いてトランク内の武器を1つ1つ手に取って点検していく。
6本の
10本の薬液が満たされた試験管。
そして、ブローニングハイパワーを始めとした銃器の点検を入念に済ませた。
全ての武器に異常が無い事を確認した涼子は、トランク内にブーツを除いた全てを収めると着替え始める。
程無くして靴下とジーパンを履いて、紺色の長袖のボタンダウンのシャツに着替えた涼子はトランクとブーツを手に、自室を後にした。
「お母さん。少し出かけて来るね」
リビングの扉越しに涼子が母親に出掛ける事を告げると、リビングから扉越しに母親の暢気な声が響いた。
「夕飯までには帰って来るのよー」
「解ってるよー。じゃあ、行ってくるねー」
そうして母親に出掛ける挨拶を済ませた涼子は玄関へと向かった。
爪先と靴底にミスリルを仕込んだ古龍の皮を鞣して作られた特製のコンバットブーツを履くと、トランクを手に自宅を後にするのであった。
自宅から出発してから約1時間後の空が夕焼けで紅く染まった頃。
神宮の境内へ武器と装具が詰まったトランクを手に戻って来た涼子は、本殿の前で待ち侘びて居たであろう様子で
それから直ぐにタケさんへ無礼を承知で言う。
「境内は禁煙ですよ」
窘める様に涼子が言えば、タケさんは気にせずに
「別に良いじゃねぇか。此処も考えてみりゃあ、俺の別荘の敷地みてぇなもんなんだからよ」
この神宮内の神社の祭神御本神の言葉に涼子は理解はする。
しかし、納得は出来ない様子であった。
「確かに祭神の御本神様からすれば神社って別荘になるのかもしれないけど……何かモニョる」
そんな涼子を他所に何時の間にか姿を現していた天照皇大神は弟を責める様に言う。
「愚弟。貴様の言葉を借りるなら此処は私の別荘の敷地内でもあるな。なら、敷地の主として命ずる煙草を吸うのを辞めろ」
流石に姉であり、自分よりも上役である天照皇大神から言われれば、流石の日本神話に於けるヤンチャ代表も逆らえなかった。
タケさんは素直に吸っていた
そんな姉弟の微笑ましい遣り取りを他所にトランクを地面に置き、蓋を開けていた涼子は装具とも言える被服類を並べながら2人に尋ねる。
「此処を管理する宮司の方々は如何なされたのですか?」
流石に戦闘の巻き添えで無関係な人々を死なせるのは気が引けた。
それ故、宮司達の身を案じて尋ねる涼子にタケさんが答える。
「安心しろ。
つまり、この神宮内に於いては民間人のコラテラルダメージは無いと言う事だ。
その答えに涼子はホッと胸を撫で下ろすと支度を続ける。
装具とも言える被服を地面に並べた涼子はコンバットブーツを脱ぐと、今着ている紺色のボタンダウンシャツとジーパンを脱いで下着姿となった。
そんな下着姿となった涼子をタケさんはエロオヤジの如く舐める様に上から下まで見廻しながら言う。
「日ノ本に帰ってきてからも鍛えて居たのは聴いていたが見事な身体だ。それにオッパイもケツも良いデカさで、良い子を孕むにも良い」
セクハラ発言に涼子はゲンナリとしながらシャツの上から
ズボンの革ベルトを締めると、黒の長袖の
そうして、黒一色の下衣と上衣に着替えた涼子は革製の黒いベストを纏うとボタンを閉めていく。
「お前さんの着てる装束。ただの布と革に鉄じゃねぇだろ?」
流石は武の極みたる大神と言うべきだろう。
涼子の纏う
「鎖帷子はミスリルと言う軽いのに硬度と粘りを両立させた現代の冶金学にある意味で喧嘩売ってる特殊な銀で作られてます」
「ほう。そりゃ凄い。で、布は何だ?」
「布はアトラク=ナクアと呼ばれる蜘蛛の神様の糸を編んで作った布です」
「蜘蛛の神たぁ、おもしれぇもんが居るんだな」
子供の様に好奇心と共に興奮するタケさんに涼子は更に言葉を続ける。
「地球にも蜘蛛の姿をした神様居ますよ」
「マジか?何処に居るんだ?ちょっくら、見に行ってみてぇからよ」
タケさんに聞かれると、涼子は脳内にある地球上の神話データベースから該当する蜘蛛に関係する神の名を挙げた。
「神様の名前はアナンシ。西アフリカのガーナ。其処に住まうアシャンティ族が発祥で、西インド諸島とスリナムやカリブ海に伝承が広がっています」
西アフリカのガーナから西インド諸島と南米のスリナム。それにカリブ海に広がっている理由がヨーロッパの白人という悪魔達によるものというのを涼子は敢えて触れなかった。
しかし、其処は大神。
その伝承が広がった理由を既に察していた。
「なるほどなぁ……|白い猿共の碌でもない奴隷貿易でアナンシとやらの伝承が広がったって訳か」
「そう言う事です」
涼子が肯定すると興味が失せたのか?話を戻す。
「で、そのアトラクなんちゃらの糸ってどんなんだ?」
「この糸で編んで作った布は槍で勢いよく突いても、力強く斧で斬りつけても、弓矢どころか
蜘蛛の糸は優れた機械的性質を示す天然の構造タンパク質である。
特にある特定種の蜘蛛に於いては鋼や高強度合成繊維に匹敵。
または倍以上の強さを誇るのが科学的に証明されている。
そんな蜘蛛が神と言う存在として居れば、通常の糸とは比べ物にならぬ強度と耐久性を誇るのは明らかと言えた。
すると、そんな蜘蛛の神の糸をどうやって手に入れたのか?
興味津々のタケさんが尋ねる。
「そんなスゲェ糸をお前さんはどうやって手に入れたんだ?」
「簡単ですよ。懇切丁寧にお願いしたら、快く私にくれました」
涼子の答えにタケさんは思わず噴き出してしまった。
「な、訳ねーだろ。お前さんは神殺しすらやってのけた魔女と言う荒魂そのものじゃねぇか……てー事は喧嘩売って半殺しにしたって事だろ?」
愉快そうにするタケさんの言葉に涼子は黙して語らない。
タケさんの言葉には少し誤りがある。
最初は先程の言葉通り、貢物を用意して懇切丁寧にお願いしたのよ?
でも、アトラク=ナクアは拒否して魔女である私を喰らおうとして来た。
だから、正当防衛で血祭りに上げて巣を燃やしてやった。
その後にもう1度御願いしたら、快く糸を無償で提供してくれた。
だから、嘘は言ってないわ。
そんな涼子の心の声を読んだのだろうか?
天照皇大神は呆れの籠もった声を漏らした。
「貴様は神すらも材料の元としてか見とらんのか?」
異なる世界とは言えども神は神だ。
そんな神に対して無礼千万極まりない涼子の所業を責める様に言えば、涼子は心外と言わんばかりに返した。
「殺そうとして来た相手に容赦する理由なんて無いですから……それに嘗められた後にずっと嘗められっぱなしだと生きていく事が出来なくなりますからね。なので、成り行きからの正当防衛って奴です」
誰だって己を殺そうとして来る者を喜んで歓迎して死を迎えたくない。
何もせずに喰われるくらいなら、逆に相手を殺す方が良いに決まってる……筈だ。
そんな涼子の答えに天照皇大神はそれ以上の事は言わなかった。
決して涼子に呆れ果てたからではない。
生きるは喰らう事を意味し、喰らうは殺す事を意味する。
生命の営みとして当然の既決である以上、罪悪として責める理由が無い。
一切無いと言っても良い。
つまり、要するに生命の営みと言う観点から見れば、天照皇大神は涼子を責める理由が無いと言う事だ。
「確かに生命の営みとしてはよくある話だな。すまないな、貴様を責める様な事を言って」
天照皇大神から頭を下げて謝罪された涼子は思わず慌ててしまう。
「御願いですから頭を上げて下さい。私は忌むべき邪悪な魔女なのは事実なんですから、責められても仕方ないのは当然です」
「そうだぞ姉貴。コイツ以上の極悪人なんてそうは居ねぇぞ」
「貴様は少し黙れ」
そんな他愛の無い遣り取りをしながら、古龍から剥ぎ取った皮を鞣して何枚も重ね合わせたばかりか、ミスリルのプレートを背中と腹部に仕込んだベストの腰の辺りにあるホルスターに2本の
ハチェットを専用のホルスターに収めた涼子は胸の辺りにある小さな鞘に
「お前さん、テッポーも使えるのか?」
タケさんから問われた涼子は手にしていたAKMSへ弾倉を慣れた手付きでセットしながら答える。
「いやぁ、幸運にも縁があって手に入った上に取り扱いも学べたんですよね。人間相手ならマジで最高に出鱈目ですよ銃は」
さも当然の様に答えた涼子はAKMSの右側にあるセレクターレバーを1段下に下げてから飛び出ているチャージングハンドルを引いて薬室に初弾を送り込む。
薬室に弾を装填すると、セレクターレバーを1番上のセイフティに戻して背負った。
すると、今度はトランクからブローニングハイパワーに手に取って弾倉を叩き込んだ。
スライドを引いて初弾を薬室に装填した後、セイフティをセットして腰のホルスターにセットする。
涼子は確認するのを忘れていた大事な事を思い出した。
「もしかして、銃声響かせたら即座に通報されたりします?」
間抜けにも二柱の大神へそんな質問をすれば、タケさんは暢気に他人事の如く答える。
「銃声響かせたら検非違使……当世風に言うなら警察か?それが来るだろうな。テッポーてのは許可されている奴が許可されたテッポーを持ってる以外は違法って事で捕縛して来るんだろ?なら、銃声がしたら来るんじゃねぇか?警察がよ」
タケさんからの至極当然の正論に涼子は残当の気持ちを込めてボヤいてしまう。
「デスヨネー」
「何かしょげてる様に言ってっけど、うるせぇテッポーの音を何とかする方法あんだろ?」
その問いに涼子はニヘラァと不気味に嗤って肯定するのであった。
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