第2話 言い伝え④

 件の場所へと辿り着くと、メーナが手元を顎に当てて考え込む仕草をしていた。


(メーナは、何を一体考えているの?)


 お天気占いの結果は、晴・曇り・雨の三つだ。


 雪や霧、午前は晴れで午後から雨などという状況すら対応していない、超シンプルな三択。まさに子どもの遊びだと笑われても仕方のない、ソフィア自作の占い。


 しかし目の前の靴は、どれにも当てはまっていなかった。


「……立ってる」


 まるで墓標のように、つま先が地面に刺さった状態で立つ靴に、ソフィアは目を丸くしながら呟いていた。


 ソフィアが靴を飛ばした勢いが強かったのか、土が軟らかかったのか、もしくはその両方か。とにかく、ものすごい奇跡としか言いようがない。


 幼い頃からお天気占いをしているが、靴が立つなど初めてのことだ。


 地面に突き刺さった自分の靴を見て、とうとう張り詰めていた感情の糸が切れてしまった。オーバルに抱き上げられているという状況なのに、肩が震え、喉の奥から声が洩れるのを抑えることが出来ない。


「ふふっ……ふふふっ、あははっ! あー、おかしい! まさか靴が立ってるなんて……でもごめんなさい。靴が立ったときの結果は考えていなくて……ふふっ」


 立った靴を見ると、また笑いがこみ上げてきた。


 だが、オーバルとメーナは笑っていなかった。ただならぬ様子に、ソフィアの笑い声が次第に小さくなり、やがて止まった。


「え、何? どうした、の?」


 急に不安になり、メーナに尋ねる。だがメーナは、あー……と呟くと、オーバルに視線を向けた。メーナにつられソフィアもオーバルの方を見ると、彼は妹と同じ紫色の瞳を、真っ直ぐソフィアに向けていた。


 体を抱き上げている腕に力がこもり、数多くの女性たちを虜にしてきた真っ直ぐな視線が、ソフィア一人に注がれる。


「ソフィア・グラウディー、どうか俺と結婚してください」

「……………………は?」


 聞き間違いかと思った。

 もしくは、揶揄われているのかと思った。


 自分の考えが正しいと肯定して欲しいと、メーナの方を見る。


 だがメーナは、こめかみ辺りを指でかきながら苦笑いをしていた。ははは、と乾いた笑いを声をあげると


「えっと……ソフィアは、お兄のこと好き?」


 と逆に尋ねてきたのだった。


 その後、突き刺さった靴を残し、逃げるように二人の元から立ち去ったソフィアだったが、数日後、ソフィアの靴と山のような量の新品の靴とともに、アレクトラ侯爵家から正式に結婚の申し込みがきた。


 実はアレクトラ侯爵家の男性には、


『飛ばした靴が立った女性が現れた場合、その女性と結婚しなければ、魔術師だった初代当主に呪われる』


という謎すぎる言い伝えがあるのだという。


 初代当主トマス・アレクトラは、一代で侯爵まで上り詰めた人物で、かなりの力を持つ魔術師だったらしい。


 アレクトラ家の魔術は廃れたが、験担ぎや言い伝えなどを重視する体制は変わっておらず、言い伝えに従い、本来ならば結婚が許されない子爵令嬢であるソフィアが結婚相手に選ばれたのだ。


 グラウディー家が、アレクトラ家からの求婚を断る理由は何一つない。


 ソフィアの祖父は夜会の参加を許可しなければ良かったと悔やみ、反対に両親は嬉々としてアレクトラ家との婚姻を進め――


(で、今に至るわけなのだけど……)


 ソフィアは伏せていた瞳をゆっくりと開いた。


 夫のことは愛している。

 一目惚れしたが決して結ばれることがないと諦めていた相手の伴侶になれたのだから、嬉しいに決まっている。


 だが同じくらい罪悪感があった。


 本来ならオーバルは、ソフィアよりも格が高く、美しい令嬢を妻に迎える人物だ。

 なのに自分が靴飛ばしをしたせいで、何の利もない貧乏令嬢を妻にしなければならなくなったのだ。


 愛のない政略結婚よりもたちが悪い。


 だから彼の人生を歪め、アレクトラ家の発展を妨げたのではないかと、ずっと心苦しく思っていた。


 結婚生活は普通そのものだ。


 妻を連れ立って参加する催しにはソフィアに同伴を求めるし、城や使用人たちの管理だって任されているし、子どもが出来やすい時期には夫婦の営みだってある。


 だが逆を言うと、オーバルはソフィアに、侯爵夫人としての役割以上を求めていないようだった。


 とはいえ、一目惚れした相手の妻になれただけで十分であり、それ以上を望むとバチが当たると首を横に振って考えを消す。


 ソフィアに出来ることは、侯爵夫人として夫を支え、アレクトラ家を更なる発展に導くために力を尽くすこと。


(オーバル様の人生を変えてしまった罪滅ぼしをすること。それだけだわ)


 ――だから夫からの愛など求めない。


 改めて固く心に誓うと、拳を強く握りしめた。

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