再会
新月の夜になった。
いつも"お仕置き"を受ける部屋から見える夜空は月が隠れていて辺りはいつもより暗い。
玲奈が言っていた。今日は信様がここにやって来る日なのだと。アンタを助けに来たんじゃない。真の龍神の花嫁である私を迎えに来たのよと自信満々に話していた。
ひばりさん達からの拷問に疲弊していた私は、もう反論する気も起きなかった。
変に反論したらさらに酷いことをされてしまうと安易に想像できてしまったのもある。
玲奈は新調した美しい赤い色打掛に身を包み、髪は綺麗に整えられていてお母様の形見の紅珊瑚の簪を刺していた。
「ごめんねぇ?今度は龍神様まで奪っちゃってぇ♪でも、お姉様が素直に花嫁の座を私に渡さないからこうなったのよ?我儘なんて言わなきゃひばり達に殴られることもなかったのにね♪」
嘘だ。玲奈に龍神の花嫁の座を渡したとしても同じことをしている筈だ。
今夜、本当に彼がここに来るのならせめて一目だけ彼を見せて欲しい。だが、そんなことを玲奈に頼もうものなら更に酷い目に遭わされる。
弱い自分が憎かった。大切なモノは殆ど玲奈に奪われてしまった。けれど、そんな私にも守れているものはある。
硝子の桜ともう一つ。龍神の真の名だ。
玲奈は一度も信様の名を発していない。信様の話をする時は必ず"龍神様"と呼んでいた。それはお継母様達も一緒だった。
「良い知らせを待っててね、お姉様。目を覚ました龍神様は必ず私を娶ってくれる。間違えてお姉様を選んでしまったって謝ってくれるに違いないわ」
「そうですよ!お嬢様。こんな女を龍神の花嫁に選ぶなんてあり得ないですもの!!ろかもそう思うでしょ?」
「うん!!れーな様はとてもきれーでやさしいから絶対にりゅーじんさまのお嫁さんになるの!!」
皆は玲奈の意見に賛同し褒め称える。私には蔑みの目と暴言が投げつけられる。
もう慣れてしまって涙は枯れてしまった。まだ癒えていない生傷が痛みだけしか感じない。
信様の一緒だった時に思い出させてくれた笑い方も再び忘れてしまった。彼から渡された硝子の桜を眺める時も笑顔になんてなれなかった。
全てが絶望に塗り替えられてしまうだろうと考え沈んでいた私の髪を使用人の一人が鷲掴み無理矢理立たせられた。
「っ…やめてください…」
「お姉様?アンタにそんな事言っていい権利はないけど?早くアイツの元に放り込んでおいて。私はこれから龍神様に会わなくちゃいけないから忙しいの」
すると、玲奈が癒しの異能を私に施し始めた。全身から痛みと傷が癒てゆく。
突然の行動に困惑する私に玲奈は微笑んでいた。
「な、なんのつもり?」
「これからアイツに会うんだから綺麗にしてあげなきゃって思って。私優しいでしょ?」
「…玲奈、教えて。アイツって誰なの…?」
「あはは♪すぐに分かるわよ。ずっとお姉様に会いたがってた人よ。今は牢屋に入ってるけどね。大丈夫。お仕置きみたいな事はしないから……多分ね」
使用人が短く返事すると、逃げられないように両脇を抱えられる。動けない私に玲奈が何か香水によく似た甘い香りがする煙を放つ香炉を私の目の前に取り出す。
その匂いを嗅がされた私は、頭がくらくらし意識が朦朧とし、最後には意識を手放していた。
ひばりさん達はニヤニヤと嫌は笑みを浮かべながらその様子を見ていた。
「この香りはお姉様にしか効かない様に術がかけてあるの。ご先祖様達を助けてくれた術師が残してくれた香炉。たすかるわぁ♪」
意識を手放す前に最後に聞こえた玲奈の言葉。その顔は悪びれもなく私を虐げられ人々と同じ歪んだ笑顔だった。
(信様…最期にもう一度だけ貴方に…)
私は彼の名を心の中で呟きながら暗闇に身を任せたところまでは覚えていた。そこから先の記憶は次に目を覚ますまで何も覚えていない。
このまま死んでしまうのではないかと思える暗闇に私は落ちていった。
次に目を覚ました時に見たものは薄暗い天井。
気を失う前に玲奈に嗅がされた煙の影響か頭が重く身体も怠く感じる。私は頭を抑えながらゆっくりと起き上がり周りを見渡した。
薄暗い部屋にある木でできた大きな格子を見て此処が牢屋の中なのだと分かった。お仕置きが終わった後に入れられる部屋よりも少しだけ明るく広い場所。
くらくらする頭を抱えながらどうしてここに連れてこられたのか困惑していると背後から視線を感じた。
影の中に誰かいる。私はゆっくりとそっちに振り返る。
「……陽子…?」
とても聞き覚えがある男の人の声。幼馴染の声だ。
母を亡くして泣いている私を慰めてくれた時のものとはまるで違う弱々しい声。
私を裏切り罵った頃の彼にはとても見えなかった。
「…和正?和正なの?」
「よ、陽子?!陽子だよな!!」
顔色が悪くやつれた様子の和正を見て私は驚愕し言葉を失う。
私が最後に見た彼とは全く違う。こんなにも変わり果ててしまうとは想像していなかった。
てっきり、玲奈と愛し合って幸せに暮らしているのだろうと思っていたのにこんなにも変わってしまうなんて。
あまり食事を与えられていないのか痩せ細り、いつも整えられていた着物もよれよれ、髪の毛もボサボサになっていた。あまり調子が良くないみたいで顔色もよくない。
本当に目の前のこの人が和正なのか疑問に思ってしまうほどだ。
私はこの人になんて声をかければいいのか分からなく困っていると彼が私の方に近付き突然抱きしめてきた。
「本当に生きてたんだな!!嗚呼…!!」
「ひっ…!!」
抱きしめられた途端、全身に嫌悪感と寒気を感じてしまった。信様ではない人に抱きしめられたことで背筋がゾクゾクする。私は咄嗟に手が出てしまった。
「い、いやぁ!!!」
「うわ、よ、陽子?」
「今更何のつもり?!!あんなに私が死ぬのを玲奈と待っていたじゃない!!!気持ち悪い!!」
私は彼への軽蔑の言葉を強く投げつける。和正は図星だったのか何も言わずにじっと受け止めていた。
玲奈の嘘で全てを奪われて虐げられ続けた。目の前の男は彼女に騙されて、神社の次期宮司だからといってたかを括り、下品な笑みを浮かべながら彼女と共に私を苦しめ続けた。
もう私の中に彼はいない。愚かな男としか覚えていない。
だから、嬉しそうに私を抱きしめてきたこの男のことが許せなかった。
「陽子、許してくれ。全部あの女が悪いんだ。誘惑して子供ができたって騙されて…。最後はもういらないって捨てられて毒まで盛られて…」
「あんな嘘すぐに気付けたじゃない!!なのに貴方は気付こうともせず私を陥れた!!私は玲奈に全てを奪われたのよ!!巫女の名も、異能も、お母様の形見も全て!!貴方が殺されそうになってるのも全部自業自得でしょ!!」
「すまない…あの時はどうかしてたんだ…」
「今更謝ったって遅いわ。でも…そのお陰であの人に会えたからそれだけは感謝する」
和正はえっと驚いた様子で私を見た。まだ私の中に自分がいるとでも思ったのだろうか。
「殺されかけた私を助けてくれた人がいるの。私はその人のお陰でこうして生きてる。ここに居る時には感じなかった幸せを与えてくれる大事な人。だから私はとても幸せなの」
「ま、まさか、その人って…龍神様のことか…?」
「そうよ。美しくて、優しい人。こんな私をとても大事にしてくれる素晴らしい人よ」
「そんな…まさか陽子が龍神の花嫁の正体だったなんて…!!玲奈の言った通りだった…なら…!!」
目を輝かせた和正は突如私に飛びついてきた。私は床に押し倒されてしまった。
押し倒された時の痛みが全身に走って悶絶する。
私を見下ろす和正の目がギラギラしていてとても怖かった。とてもそんな事ができるような状態ではなさそうだったのに。まるで何かからようやく逃げられると表情で表していた。
「い、いや!離して!!」
「聞いてくれ。玲奈に言われてんだ!!お前とやり直して子供を作ったら癒しの異能の施しを受けさせてくれるって…!!この毒の脅威から救ってあげるって…」
「何を言ってるの…?!」
「それに俺は後悔してたんだ。お前を捨てたことを…!!玲奈に騙されて俺は陽子を傷つけた。でも、もう反省してる。今度こそお前を幸せにする…だから……」
あまりにも身勝手過ぎる理由だ。玲奈に子供が出来たと騙された挙句に、彼女が自分以外の男が好きになった途端殺されかけ、こんな暗い牢屋に押し込まれた。
最後には、玲奈の馬鹿な提案に乗ってまで自分は助かろうとしている。
勝手に私とやり直し子供を使って改めて家族になり幸せになろうという妄想に駆られながら。
「絶対に嫌!!」
「陽子。これはお前の為にもなるんだぞ?力を奪われたお前に龍神の妻なんて務まるわけないだろ。目を覚まして、俺とやり直した方が幸せに違いないんだ」
「勝手に決めつけないで。貴方なんかといたら一生幸せになれないわ!」
抵抗する私に苛立った和正は思いっきり私の頰に平手打ちをする。口の中に鉄の味が広がる。
「っ…」
「煩い!!!つべこべ言うな!!お前は俺の言う事を聞けばいいんだ!!!俺のことまだ愛してるんだろ?!死なれたくないだろ?!だったら言うことを聞け!!」
もう愛してなんかいない。もう私の心の中に貴方なんかいない。私の心には信様がいる。貴方なんかよりも優しくて素敵な龍の神様が。
はっきり言ってやりたかった。でも、今それを言ったら殴られるよりも酷いことをされてしまいそうで言葉が出ない。
私は必死に身体を動かそうともがくが、幾ら毒のせいで弱っていても男の和正の方が力が強い。
「いや…、やめて…、お願いだから離して…!!」
「愛してる。愛してるんだ。陽子…陽子…」
私の首筋に顔を埋める和正に気持ち悪さしか感じない。全身に鳥肌がたった。
この屋敷には玲奈の味方しかいない。どんなに助けを呼んでも無意味だ。また、お仕置きの時のようにニヤニヤと行為を見物して終わる。
怖い。早くあの人に会いたい。助けて。この男に穢されたくない。
(信様…!!!)
私はぎゅっと目を瞑り愛する人の名前を心の中で叫んだ。
このまま死んでしまった方がマシだと思った時だった。
「うっ!!なんだ!!!」
和正の悲鳴を聞いて私は目を開ける。
突如、私の胸元が桜色の光を放った。あまりの眩しさに和正は私から離れる。
もしかしてと思い懐から硝子の桜を取り出す。光の状態である硝子の桜から放たれる光が私を包み込む。
私も眩い光で目を瞑っていると、突然何かが壊れる大きな音が聞こえてきた。それと同時に誰がか私を優しく抱き上げた。
この感覚は初めてではない。ずっと待ち望んでいた気がする。もしかして…。
「陽子」
私は愛おしい声がした方に顔を向ける。
そこに居たのはあの美しい銀髪を靡かせた信様だった。
牢屋の木の格子が粉々に壊されていた。大きな音の正体はこれだった。
私はあまりの嬉しさに信様に強く抱きついた。
「信様…!!」
「遅くなってすまない…!!ようやく君を救えた…!!」
「ずっと信じておりました。信様が私を助けに来てくれるって」
「当たり前だろう。陽子は俺の大事な妻なのだから」
信様は嬉しそうな表情を浮かべている。私は彼の笑顔を見て心が少し和らいだ。
和正に殴られた頰を信様は優しく触れていた。
「あの男に殴られたのか」
「ええ。でも大丈夫ですわ」
私の無事を知った信様だが、牢屋の隅で和正を見た途端とても冷徹な表情に切り替わった。和正も彼の顔を見て情けなく怖気付いた。
「ゆ、許してください…!!俺はただ死にたくなかったから…!!」
「黙れ。殴るだけでは飽き足らず、私の愛する陽子を穢そうとした。貴様とあの女だけは許さん」
「そ、そんな、俺は玲奈に騙されただけなんだ!!お願いです!!どうか命だけは…!!」
命乞いをする和正に信様は失笑した。和正は肩をびくつかせ恐怖に苛まれているようだった。
「命だけは助けてやろう」
「え……?ほ、本当に…?」
「ああ。"命"だけはな」
信様が左手で指を鳴らした途端、和正の身体が突如消えてしまった。バサリと彼が着ていたボロボロの浴衣だけが床に落ちた。
「信様。一体何を…?」
「命を助けただけだ」
よく見てみると、床に落ちた浴衣に小さな山ができていた。その山はもぞもぞと動いている。
浴衣を退けるとそこにいたのは小さな男の赤ん坊だった。
「ま、まさか、和正なの?!」
「正確には和正だったものだ。もうコイツには和正だった頃の記憶はない。だがちゃんと"命"は救ってやった。後は真っ当に真っ当に生きればいい。陽子の脅威にならない限りな」
彼の力を目の前で見て改めて彼は凄い神なのだと思い知らされた。私はとんでもない人に愛され、そして、愛してしまったのだと。
でも、少し驚きはしたけど怖いとは微塵も感じなかった。
この人らしい。そう感じてしまったのだ。
「陽子。君に渡したい物がある」
「渡したい物?」
「これだよ」
信様が私に渡したかった物。
それは、玲奈に奪われてしまっていたお母様の形見の紅珊瑚の簪だった。
もう戻ってこないと思っていた物。信様は約束通り彼女から取り戻してくれたのだ。
私は感激のあまりに涙が止まらなかった。
「ありがとう…ありがとうございます…!!」
「感謝するのはここから出てからにしよう。それにまだやり残したことがある」
「え…」
信様がこの屋敷でやり残したこと。それは一体なんだのだろうか。
私に触れる彼の手の異変が関係しているのは明らかだった。
胸騒ぎを覚えた私にどこかに隠れて守られるという選択肢はなかった。
「信様。そのやり残した事、私にも手伝わせてください」
「駄目だ!!とても危険な事なんだ!!これ以上陽子を危険な目に遭わせたくない!!」
「私は龍神の花嫁です!!助けられて守られるだけの花嫁なんて嫌!貴方の力になりたいの!!」
「陽子…」
「お願い…!!私も連れて行って…!!」
今の無力な私にできることなんて何もないかもしれない。足手纏いなのは承知している。
けれど、この人から離れたくない。ほんの少しでもいいから力になりたかった。
信様は私を抱きしめた。
「俺の親父と蛇神との約束を果たす。とても危険なことだ。もしかしたら命を落とすかもしれない。それでもいいのか?海に連れて行く約束もあの桜の木の下で婚姻の儀を挙げられない…!!」
信様のその時に私は頷いた。迷いなんてない。
「はい。貴方の傍にいられるだけで十分です」
「……」
「私はずっと助けられていてばっか。恩返しをさせてください。信様」
「わかった。もし陽子が死んだらすぐに追うからね」
「私も信様が亡くなったら貴方を追います」
その誓いとこれが最期かもしれないと思い口付けを交わした。
私は信様から受け取った簪を握り締め、彼と共に玲奈の元へ向かう。
その時、聞いたことのない声が私の耳に入ってきた。
『全てを取り戻す時だ。真魚の娘よ。真の龍神の巫女よ』
その声に驚き思わず信様の顔を見てしまった。信様にも聞こえていたようで大丈夫だと笑顔で見た目返してくれた。
声の正体を知るのはもうすぐなのだろう。
もう怖いものなどない私は愛する夫共に決着をつけに妹の元に向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます