約束

対峙

遂に新月の晩となった。

夜空には無数の星しか輝いておらず、月夜に照らされている時はとは違い暗闇が支配している。だが、今は雲に覆われているがもうすぐ本来の星輝く夜空が姿を表しそうだ。

白き月は創世と再生の、黒き月は破壊と破滅。人間達は月をその二つの意味で尊重していた。

今、夜空が示しているのは後者だ。この世で大手を振って生きている愚者を罰するのには打って付けだ。

信は、母親の広華から受け取った黒い結晶を見つめる。実家に保管されていた頃よりも瘴気が活発化し、黒い小さな稲妻が結界を壊そうとバチバチと黒い稲光を放っていた。

いつ結界が壊されてもおかしくない。少しでも気が緩めば命を落とす。

信は結晶を持つ手に龍の鱗が現れ始めているのを見て改めて自覚した。

けれど、死に対して恐怖はない。愛する妻である陽子が助かるなら命なんて惜しくなかったからだ。

あの地獄から救い出せるならなんだってする。手段も選ぶことなく陽子の幸せを願うだろう。

信にとって陽子は初めて愛したひと。彼は彼女の為なら、かれをとめようものなら例え親しい者でも排除してしまうに違いない。

陽子がある屋敷を見下ろせる大樹で狸姿の紅葉と雪九尾の姿のつららと共に様子を眺める。

玲奈の気配を感じると信は舌打ちをした。

すると、つららは少し苛立った様子で信に小言を言った。しかし、この苛立ちは信に対してなものではなかった。


「その顔、ぜっっっったいに陽子様には見せないでくださいね」

「え、そんなにヤバかったか?」

「すんごい顔でキレてますよ?アンタら二人。もう少し落ち着いたらどうです?」

「そーゆー紅葉だってイライラしてるじゃん!!」


普段冷静な紅葉でさえも玲奈達に苛立っていることをつららに指摘される。紅葉ははぁーっと深く溜息をついた。


「またあの嫌いな香水の匂いを嗅ぐと思うと腹が立つ。しかも、陽子様をあんなふうに傷つけやがるし、陽子様という素晴らしいお方がもういるのに自分が龍神の花嫁に相応しいとかほざくし、あんなのが龍神の巫女とか本当片腹痛いわ」


つららは相当紅葉が怒っていると分かると傍により落ち着かせようとする。


「ちったぁ落ち着きなさいよ。紅葉もそんなおっかない顔で陽子様に会うつもり?」

「ご主人様とてめーで屋敷ぶっ壊して、偽巫女共に一泡吹かせて、陽子様を無事にお救いしたら治るさ。多分」

「右に同じだ」

「後は陽子様のお母様の紅珊瑚の簪を取り戻すこと!!」

「ああ。分かってる」


最優先は陽子の救出だが、父親と蛇神の約束と、彼女との約束も当然忘れてはいない。でなければ母・広華から授かった黒い結晶の意味がなくなる。

信の腕にも広華と同じ様に元の姿である龍の鱗が現れ始めていた。

雲の切れ間から新月の夜空が現れた時、新月の間から出た蛇神の怨念が込められた結晶は活発化し結界の破壊し始めるだろう。

せめて、陽子が見つかるまでは人の姿でいたい。まだ本来の姿を見せていなかった信は彼女が怖がってしまわないか気が気でなかった。

けれど、つららはあまり気にしていなかった。


「大丈夫ですって。陽子様が龍の姿になったご主人様を見て怖がる様な人ではないですから!!」

「陽子様ならご主人様がどんな姿になろうと受け入れ愛してくれる筈です。そして、今もこうしている間にも陽子様は貴方の助けを待っている。新月の夜空が現れたら参りましょう」

「ありがとう二人共。そうだな」


つららと紅葉の言葉に信は勇気付けられた。

必ず陽子を救い約束を果たす。例え全てを壊し尽くしても。

今の信の原動力になっている愛する花嫁を傷つけた者共への制裁をどうしてやろうかと考えると思わず笑みが溢れた。

つららと紅葉は慣れていたお陰かあまり恐怖を感じなかった。寧ろ怖気付いていないいつもの主人だと安心していた。


「つらら、紅葉、必ず陽子を救い出すぞ」

「御意」

「りょーかい!!」


ゆっくりと雲の切れ間から月のない星空が姿を表してゆく。

結晶の黒い瘴気と稲光が激しくなる。

紅葉は信の顔を見て一瞬だけ驚いたものの、すぐに切なげな表情に切り替わる。どうしても彼の父親・清のことが頭に過ぎるのだろう。


「……早くその結晶を蛇神様の仇に放ってくださいね。じゃないと…」

「俺のことはいい。気にするな。結晶を解放させるのは陽子が俺の元に戻ってからの話だ」

「っ…そうでしたね。あまり無理はなさらないでくださいよ?」

「分かってる。それより、今回は何もかも奪い返し、馬鹿共の住処を壊すつもりで行くぞ。二人はとにかく陽子の居場所を探れ。見つけたらすぐに知らせろ邪魔する者は殺して構わない」


もうこの屋敷に陽子を慕う使用人はいない。彼女をしたい守ろうとした人は全てこの村から追い出されてしまった。

玲奈達を心から尊敬し、平気で何の罪のない陽子を虐げ続けた者しか残っていない。

全てを知っている信には彼女らに対して容赦するという選択肢は最初から無いに等しかった。

玲奈達が犯してきた罪はあまりにも重過ぎる。

蛇神・瑪瑙とその家族を襲い、先代の巫女で陽子の母親を毒殺し、その娘の陽子にも危害を加え続けている。悔い改めようとすることもせず、自分を真の龍神の巫女だと偽り陽子から異能と名を奪った。癒しの異能も位の高い金持ちにしか施さず、傷付いた村の者を平気で見殺しにしている。

挙げ句の果てに、信から愛する花嫁を奪う愚行を働き、自分が龍神の妻だと罵り花嫁に対し虐待を繰り返している。

だが、彼女らのそんな生活と今日終わる。

新月によって力を増幅させた瑪瑙は今か今かと結晶の中で復讐を待っている。


『早く我を解放しろ。清の倅よ。あの女共に我が受けた苦しみを味合わせてやりたい。死よりも苦しい屈辱をな…』

(待ってろ。すぐに会わせてやるさ。俺もあの女にはいろいろ言いたいことがある)

「ご主人様。陽子様の捜索は俺とつららで行います。ご主人様は偽巫女の方を」

「ああ。そのつもりだ。瑪瑙もそれを望んでいる。陽子を見つけたらすぐに教えてくれ。繰り返す様だが、邪魔する奴は容赦なく消してしまえ。いいな?」

「りょーかい!ほら!行くよ!!紅葉!!」

「馬鹿。今から張り切り過ぎんな。つらら」


奇襲に向かった二人に続いて信は大樹から白鷺に化け飛び降りる。

早速、屋敷の敷地内に侵入したつららは人へと化け、異変に気づいた門番を二人の動きを氷漬けにて止めた。敵襲だと騒ぐ使用人もついでに凍らせてゆく。

紅葉もつらら同様、人に化け得意の火球の術を襲ってきた衛士達に当てる。

白鷺の姿から人の姿に戻った信に玲奈の元へ急ぐ様に促す。


「ここは任せてご主人様は偽巫女の元に急いで」

「ありがとう」

「ここが片付いたら陽子様を探しますね!!」

「ああ、たのんだぞ」


つららと紅葉の身を案じつつ屋敷に入ってゆく。顔合わせの儀の時の様な訪問ではない。怒りと破壊を込めた奇襲。

手紙の通り新月の夜に待っていると書かれていた通りに来たが、玲奈達もこの奇襲は予想外だっただろう。

外の騒ぎと炎と氷が屋敷にゆっくりと侵食してゆく。

陽子を虐げてきた女中達が怯えながら信を見ていた。

信は顔合わせの儀の時に使われた広間の戸を壊し開けた。パラパラと音を立てながら崩れた戸の間から見えたのは、陽子の母親の形見である紅珊瑚の簪を刺し、真っ赤な色打掛を身に纏った玲奈が信を待ち構えていた。

血の様に赤い口紅を付けた玲奈は、信の力を見て恐れ慄く両親達とは違い、驚く素振りを見せることなく冷静に信に微笑みかけた。


「お待ちしておりました。龍神様。私の願いを聞いてくれたのですね…。やはり私達は運命の…」

「戯言はいい。陽子はどこだ」

「陽子?」


とぼける素振りを見せる玲奈に信は苛立ちを増す。彼のその姿を可愛いと思いながら玲奈は高笑いをした。

信は無意識に舌打ちを鳴らした。


「とぼけるな」

「あはは♪龍神様ぁ♪まさか陽子って私のお姉様のことですかぁ?私から貴方を奪ったあの女のこと?」

「ふざけるのも大概にしろ。貴様らが何をしたのか分かっているのか?」


悪びれる様子を全く見せない玲奈は信に怯えることなく話を進める。


「私達はただ龍神様をお救いしたかっただけですわ。お姉様は貴方様に助けられた事をいいことに、貴方を誘惑し無理矢理花嫁になった」

「違う」

「違わないですわ。だって、貴女には私という花嫁がいるのに!!全部お姉様のせいでこうなったの!!!自業自得だわ」

「貴様には和正という男がいるだろう。奴はどうした」


ここに居るはずの陽子の元夫である和正がいない事に違和感を覚えていた信は玲奈に問いただした途端、玲奈はとても楽しそうに笑った。まるで、勝ち誇ったかのような高笑いだった。


「和正ぁ?あの浮気男のことぉ?あははは!!アイツはもう用済みだから捨ててやりましたわ」

「何?」

「少しずつ食事に毒を盛ったんです。そうしたら案の定日に日に弱ってきて!!私に助けを求めるあの無様な姿を思い出したら笑えちゃう♪あーでも、死にたくないって喚くあの男に最期に一つ仕事を任せてあげたんでしたわ」


玲奈は信に向かって恍惚な笑みを浮かべる。

命乞いをする和正に与えた仕事。それは。


「助かりたかったらお姉様との間に世継ぎを作れって。そう言ってやりましたら急にやる気を見せて本当面白かったぁ♪」


信は遂に堪えきれなくなり、玲奈の首を掴み激しく壁に打ち当てた。玲奈の母親と陽子の実父が彼女の名を叫ぶ。

玲奈は全身に走る痛みに顔を歪めたが、信は気に止まることなく片手で彼女を壁に押し付けながら睨みつけた。


「うぅ…い、痛い…」

「どこだ?陽子どこにいる?」

「は、酷い人…妻になる私にこんな…」

「くどい。早く言え」


玲奈の首を絞める手を強まる。あまりの苦しさに玲奈は呻き声を上げる。


「うぐ…、あは!おははは…!!絶対に言わない…!!お姉様は苦しめられているのがお似合いなのよ!!」

「貴様…!!」


このまま締め殺してしまおうかと思える程信は更に手に力を込める。

すると、玲奈は何かを思い付いたかのような口調で提案してきた。


「でも、お姉様を捨てて私を龍神の花嫁として迎えてくれるなら教えてあげてもいいわ…!!」

「……ふざけるな」

「お姉様を解放してあげる。その代わりに貴方は私の旦那様になるの。良い案でしょ?」


両親達も加担し、信に玲奈を解放する事と彼女を妻として認めろと迫ってきた。


「龍神様!!玲奈を離してあげてください!全て貴方の為にしたこと…!!」

「もう陽子のことはお忘れください。あんな愚か者より玲奈の方が貴方の花嫁に相応しい」


玲奈の要求と両親からの説得が信の殺意を増幅させてゆく。その殺意が瑪瑙の恨みが込められた黒き結晶の力を増幅させてゆく。目の前に復讐の対象者がいるなら尚更だろう。

力を増した瘴気と黒い稲妻が遂に結界に一つの亀裂を作った。

広華と同じように顔にも龍の鱗が現れ始めていた。玲奈の首を絞めていた手の鱗が更に増える。


「ひっ…!!」


玲奈は増えゆく鱗を見て短く悲鳴を上げる。目の前の人が人の子ではないと玲奈達は改めて思い知らされた。

信が青ざめる玲奈に追い討ちをかけてやろうかと考えていた時だった。



『信様…!!』



信の耳に愛する陽子の声が入ってきたのだ。信は思わず目を見開き声がした方に顔を向ける。


(陽子!!)


ようやく聞こえた愛しい人の声。

居ても立っても居られなくなった信は、興味が失せたように玲奈の首から手を離し強い風と共に彼女の元へ急ごうとする。

解放された玲奈は、床に伏せ咳き込みながら信を呼び止めようと必死に彼の足にしがみついた。


「どこに行かれるのです?!!」

「離せ。貴様が虐げてきた者の元へだ」

「まさか、お姉様の……?!絶対に行かせない!!言ったでしょ?!!アイツに会わせるのは私を貴方の花嫁に…」

「誰が貴様なんか嫁にするか。神殺しの末裔のくせに。馬鹿も休み休み言え」

「え…」


信は玲奈を振り払い、風と共に姿を消し陽子の元へ急ぐ。

玲奈の両親が駆け寄り、彼女の無事を確認するが、信は玲奈を冷たく睨みつけるだけだった。

すると、信は玲奈の頭に手を伸ばす。玲奈は一瞬だけやっぱり自分を選んでくれたと顔を明るくさせた。


「お前の髪に刺さっているその簪。これは俺の妻の物だ。返したもらうぞ」

「え、あ、待って」


信に簪を抜かれた途端、美しく整えられていた髪がバサリと解けてしまった。長い玲奈の髪は彼女の顔さえも覆う。

両親に介抱されるなど玲奈にとってはそんなことどうでもよかった。目の前の美しい神に介抱してもらいたかった。

玲奈達いないものだと思っているかのように、信は陽子の母の形見を大事に握りしめながらその場から風と共に姿を消した。

信には否定され、紅珊瑚の簪も奪われた玲奈はさっきまで信が立っていた場所を恨めしそうに眺めていた。可憐な顔を怒りで歪ませ呪詛を呟いていた。


(やっぱり私の手で殺しておけばよかった…!!龍神様をあんな女に奪われるなんてぇぇ…!!!!簪も奪われた!!許さない許さない許さない…!!!)

「玲奈!どこへ…」

「龍神様を追うわ。きっとお姉様のところに行ったのよ」

「でも、居場所は教えてないじゃない」

「…きっとお姉様に何かしたのよ。そうじゃなきゃいなくならないでしよ!!」


玲奈の怒りは頂点に達していた。介抱していた両親を押し退け、玲奈は信が向かったであろう場所に向かう。


(今更遅いわよ。だって陽子はきっと和正に穢されているにきまっているわ!!そうと分かれば今度こそ私を選んでくれるはず。あの女を娶ったことを後悔しながらね!!!)


玲奈は嫉妬と欲望に顔を歪ませる。もう龍神の巫女である資格が完全に失せた。癒しの異能を待つ資格ももうない。

それを知ろうとしないまま玲奈は最後は自分が勝つのだと笑っていた。

すると突然、玲奈の背後で何かが蠢いた気配を感じ彼女は勢いよく振り向いた。


「何…?!」


背後には誰もいない。聞こえてくるのは女中達の悲鳴と何かが焼ける匂い。

ずっと見続ける悪夢でしか感じなかった目線が現実にも現れている。玲奈はこんな時に現れなくてもと苛立った。


(ふざけないで…!!なんでこんな時にあの大蛇の気配がするのよ…!!)


苛立った様子で再び前を向き龍神の後を追いかけようとした時だった。



《我の愛しい倅を殺した者の末裔よ!!!今度は貴様が失う番だ!!!!》


黒い影が玲奈の背後で呪詛を唱える。恐れ慄いた玲奈は悲鳴を上げ転びながら走り始めた。


《惨めに逃げ惑うがいい。もうすぐでお前の首に手が届くぞ》


新月の夜はまだ長い。信の手元にある結晶が解放されるのも時間の問題だった。

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