新月の間

帰郷

この世とあの世の狭間。謂わば、神々と位の高い妖達が住む世界と言ったほうがいいだろう。

此処は俺の故郷で龍族の住処。俺が親父から龍神の名と力を受け継ぐまでここでお袋と仲間たちと共に暮らしていた。

見た感じは陽子が住む世界に似ているが、霊力のない者にとっては一溜まりもない危険な場所。

俺がここに戻ってきた理由は、陽子を救う為の道具を手に入れる為だ。

久々の帰郷は望んだものではない。本来なら俺の花嫁になった愛しい陽子と共にする帰郷はずだったからだ。

異能を失っても高い霊力を持つ陽子ならこの狭間にすぐに順応できる。もう少し落ち着いたら連れて来て母親に会わせるつもりだった。

だが、あの愚か者の彼女の妹のせいで遠のいてしまった。

あの妹のことを考えると、陽子が紙の黒蝶の式神によって攫われた時のことを思い出してしまう。

陽子の必死に俺に助けを求めている声。俺は彼女の腕を掴むことができなかった。そして、救い出すこともできなかった。

こんなに自分が無力だと思い知らされた。大事な人があの地獄に連れ戻されてしまった。ようやくあの場所から離れさせ、必ず守ると約束したのに。

何も守れず、こんな無力な俺に龍神に名に相応しくない。自分が一番分かっている。

だが、起きてしまったことはどうすることもできない。今俺にできることは、愚者共から陽子を救い出し、奪われた彼女の全てを奪い返す事。そして、親父と蛇神の悲願を成し遂げる事だけだ。

俺が降り立った先はお袋が住む屋敷。此処に俺が求めている道具がある。それはあの妹の母親も喉から手が出る程欲しがっている物だ。

先祖が引き起こした悪事の代償から逃れる為にずっと探していたらしいが遂に見つけることはできなかった。


(ざまあみろ)


俺がそのブツをあいつらに出した時の顔を想像したら笑えてきてしまった。あの顔合わせの儀という私利私欲の儀式で見せた気持ち悪い媚びた顔を早く歪ませてやりたい。

あの玲奈という馬鹿な妹に一泡吹かせてやりたかった。

馬鹿妹の髪に刺さっていた陽子の大事な母親の形見も取り戻さなければ。

俺は人間の身体へと戻り、勢いよく屋敷の扉を開ける。

門番や使用人達が「信様だ!!」「若様おかえりなさいませ!!」と俺を暖かく迎え入れてくれた。

久々に見る顔馴染みの者に少し心が和んだ。だが、今は懐かしがっている場合ではない。


「若様!!」

「久しぶりだな。じい」


すると、じいという年長の龍族の使いが俺がここに戻ってきた理由を聞くために駆け寄ってきた。

ずっとこの屋敷に使えているその使いは、親父達を尊敬し支え続け、俺も彼に守られ、愛され、色んなことを教わった。感謝しても仕切れない。

彼に陽子のことを紹介したらきっと泣きながら喜んでくれるだろう。けれど、今はそれは叶えられない。全てが解決しない限りは。


「若様、どうしてここに…」

「すまん。後で必ず話す。お袋はどこだ?お袋に用がある。急ぎのな」

「…その感じからすると一刻を争うものですね?」

「ああ。俺の大事な人の命がかかってる」

「それは急がねば…!!広華様は新月の間におります。さぁ、こちらへ…!!」


新月の間。

瑪瑙が残した恨みの結晶を守る為に特別に作れた部屋だ。彼と親父の約束を果たすまでお袋が管理していた。

恨みの結晶は瘴気の塊其の物。普通の人間なら触れただけで悪夢に囚われ最期には狂い死ぬ。

霊力が高い者や、俺達龍族のような神の力がある種族や、その力に同等する種族にしか扱うことができない。

元々、身体が弱かった親父はそれによって命を奪われたようなものだ。先代の龍神の妻で元龍族のおさであったお袋でも手に余る程。

それ程までにあの女の一族を恨んでいるのだろう。

そして、長年にわたって蓄積された恨みの力は頂点に達し、今か今かとあの女共の首に手を伸ばそうとしている。

じいと共に新月の間に着くとそこにお袋はいた。まるで俺がここに来るのを知っていたかのような表情だった。


「予想通り。やっぱり来たわね。久しぶり信。龍神になって人間の世界で住むようになってどう?」

「お袋。そんなこと聞かんでも水晶と鏡で見ていたんだろう?」

「うふふ。そうよ。でもね、愛する息子の口から直接聞きたいじゃない」


お袋は茶目っ気たっぷりに笑う。冷徹さが漂う見た目に反してこの人は明るい。俺には無い明るさを持ち、愛する人を守る術を全て知っている。

親父から龍神の名と力を継いだ今でもこの人には勝てないだろう。


「……陽子の…俺の妻のお陰で幸せだ。だが、その光を奪われた。彼女の妹に奪われた」

「だから私のところに来たのでしょう?全部見ていたわ。あんな粗末な蝶の式神を持っていたなんて流石瑪瑙を殺した一族ね。相変わらず欲深い」


お袋は苦笑いをしながら、誰にも触れられぬように結界が張られている黒い結晶を俺の前に差し出した。

新月の夜が近いせいか、今にも結界を破壊してしまいそうな程瘴気を放っていてる。

結界を保つのに必死なのか、お袋の腕と頰に龍の鱗が現れていた。

じいがお袋の姿を見て心配でたまらず思わずお袋の名を呼んだ。


「広華様!!」

「大丈夫よ。新月が近くなるといつもこうなのよ。あの人は…清は、瑪瑙の仇を自分で取りたかったから肌身離さずずっとこれを持ってた。でも…それがあの人の死を早めた」


心配するじいをお袋は優しく諭した。

そして、真剣な眼差しのお袋から俺は結晶を受け取った。幾ら結界が張られているとはいえ、結晶の力が全身に駆け巡る。集中していなければ人の形を保てない。本来の姿になって暴れてしまうだろう。


「信。見ての通り、これは人を呪うために生まれた結晶。あの女の一族を呪うためのね。でも、瘴気の塊であるこの結晶は持っている者の命を奪いかねない危険なモノ。月の光のない新月に活発化する」

「分かっている」

「瑪瑙の仇を必ず打ち、清と瑪瑙の約束を果たしなさい。必ず貴方の大事な人を救い出すのよ。あの女の一族に永遠の悪魔を植え付けるのを忘れずにね」

「ああ」

「あと…」


さっきまでの真剣な表情がまたいつもの茶目っ気たっぷりの笑顔に切り替わる。


「全部終わったら必ず陽子ちゃんを此処に連れてきなさいね。大きくなった真魚ちゃんの娘ちゃんに早く会いたいわ♪」


真魚。先代の龍神の巫女で陽子の母親の名前だ。

陽子の母親は親友同士だったとお袋は言っていたがその通りだった。

俺はお袋の願いに応える様に「約束する」と呟いた。

霊力の強い陽子なら此処に来るのは大丈夫だろう。きっと彼女も此処を気に入ってくれるはずだ。


「ありがとう。お袋、じい。そろそろ戻らねば」

「信様、お気をつけて…」

「ああ。行ってくる」

「次は陽子ちゃんも連れて来てね♪絶対よ!!」

「分かってる」


俺は再び白鷺の姿に化け、屋敷から飛び立った。

必要なブツは手に入れた。後は陽子をあの女から取り戻すだけ。

結晶は俺の手の中にある。玲奈の母親が喉から手が出る程欲しがったこのブツを。

俺は再びこの世の空へと舞い戻る。

すると、譲葉が俺に駆け寄ってきた。


「信。急げ。おめーの嫁さんの陽子ちゃんを見つけた。やっぱりあの屋敷にいる。しかも、周りの奴らから酷い扱いをつけてる」

「何…!!」

「きつく縛られて手は痣だらけ。アイツら平気で陽子ちゃんを殴ってやがる。あの威張った女の教養のないガキまで混じってな。正直、もう大分弱ってる。いつまで保つが分からん。急いだ方がいい」


譲葉は、あの屋敷で見たことを教えてくれた。あの式神に襲われ攫われた後の陽子の姿が言葉だけでも伝わる。


(陽子…!!)


譲葉から陽子の様子を聞き唖然とする。

あの女を、偽巫女を今にも殺してしまいたかった。だが、すぐに殺してしまっては約束を果たせない。

アイツらには死んでも逃れられない呪いをかけて苦しませなければ。

もう夜は近い。新月の夜空が顔を見せる時、アイツらの命運が尽きるのだから。


(陽子。待っていてくれ。すぐに助けに行く。必ず)


結晶の中の瑪瑙が俺に囁く。早くこの結晶を解放しろと騒ぎ立てる。


『龍神の巫女まで穢す一族を根絶やしに…!!早くあの女の末裔の元へ連れて行け!!あいつらの全てを奪わせろ。そして、奴らに死よりも苦しい屈辱を…!!』


俺と蛇神の利害が一致する。お互い愛する者を奪われた同士。狙う相手も一緒だ。

愛する陽子を陥れるだけじゃ飽き足らず、再び命を狙うあの女を最期。それが今晩、果たされる。

月のない夜を待ち侘びながら俺は陽子を想い空をかけた。

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