佐原 Ⅲ

 喫茶店でコーヒーを飲むのは何年ぶりだろうか。ましてや、こうして人を待つために喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞を読むなんて、八十年代の社会派ミステリでもないほど古典的だ。ふと、そんなことを思いながら木製の椅子に腰掛けていた。僕が待っていたのは、他ならぬ登山サークルについて「ある人」に聞き出すためだった。

 そして、それは案外早く来た。

「こんにちは、わざわざ来てくださり、ありがとうございます」

「いえ……こちらこそ、お電話ありがとうございます」

 そう云って彼女は軽く会釈し、椅子に腰掛けた。彼女の名前は早坂薫。春香の電話の連絡先から見つけた、春香の親友だった。彼女をこうして呼んだのには理由がある。

 彼女から、登山サークルの実態を掴むための証言が欲しかったためである。あのビデオを見てから、僕はあの動画に写っていた男達をできるだけ苦しめたいと思った。が、人を殺すというのにはそれなりの覚悟と動機が必要だ。それが僕を邪魔して復讐計画を決行するか否かがまだ決められていないのだ。

 今日、これで必ず覚悟を決める。

 まず口を開いたのは彼女の方だった。

「電話でお話したとおり、私の名前は出さないで欲しいです」

「勿論だ、約束するよ。僕は君から話が聞きたいだけなんだ。教えて欲しい、あのサークルは一体何なんだ」

 そこまで詰めると、彼女は口を閉じ、下をうつむいてしまった。

 一分ほどの沈黙が過ぎたところで、

「これは私の知っている範囲ですが……」

彼女は再び口を開いた。

「あのサークルは登山サークルとは名ばかりのいわば、輪姦サークルです」

 一瞬、一定の空間の時間が停止したかと思った。だが、やはり僕の想像通りだった。あのビデオに映っていた男達は明らかに手慣れている。常習犯なのは素人の僕でも分かることだった。

「私も知らなかったんです。最近まで。多分、春香さんも知らなかったと思います。サークルの勧誘の時は、ものすごく優しく接してくれて、初めの方は、なんか温かい感じだったんですよ」

「いつから君は、登山サークルが異常だと気づいたんだい」

 薫はゆっくりと語り出す。

「先ほどもお話ししたとおり、私が登山サークルのことを異常なグループだと気づいたのは本当につい最近のことでした。サークル室で見てしまったんです。私より一つ下の後輩が、北野に犯されているところを」

「北野?」

 聞いたことは内。だが、何故か顔が鮮明に浮かぶ。確かにあのビデオの中でも、北野、北野、と云う声が入っていた気がする。

「はい。サークルの、いわばリーダー的存在です」

「詳しく教えて欲しい」

「これも後で知ったことなんですけど、私たちのサークルでは、裏で階級が決められていたんです。男は全員、一軍。積極的に体を売った女子も一軍。容姿が優れているけど、行為を拒絶した女子は二軍。一軍から容姿が二軍より劣っていると判断され、かつ行為を拒んだ女子は三軍。そして、このサークルは、一軍のメンバーが二軍の女子をひたすらに犯し、暴行を加えるシステムで……」

 そこまで云うと、とうとう堪えきれなくなったのか、薫は口を閉ざし、僕から目をそらした。聞いていた僕も吐き気を覚える。

「あの、その…………分かるならで良いんだけど」

 やめとけ、と脳が指示するのに、僕の口が勝手にこう云ってしまった。

「春香はどの階級に属していたんだい」

 薫は少々驚いたような顔をした後に、

「分かりません」

 と云った。無理もないだろう。

「三軍のメンバーは一体どんな仕打ちを受けていたんだ?」

「……それは……私もよく分からないんですけど……」

 春香は一息ついて、口を開く。

「一軍メンバーに行為の様子を撮影され、それをネタにゆすられるようです」

 頭に血が上るのが自分でも分かった。薫が僕を見て後ずさりしようとしているのが分かる。

「ご、ごめんなさい」

「いや、大丈夫。君は知っていることを僕にそのまま喋ってくれれば良いんだ。どうぞ、続きを話して」

 薫は少しキョロキョロした後に、再び話し始めた。

「恐らく、春香さんを犯したのは北野と水下とその他あの日出席していた一軍メンバーです。水下というのは、その、北野がリーダーなら水下はサブリーダーのような立ち位置の人です。多分、ビデオを見せていただければ全員分かります」

「いや、その必要は無い。あれを君に見せることは、僕にはできない」

 親友が犯されるあんなビデオを、初対面である彼女に見せるわけにはいかない。彼女は被害者なんだ。

「君は、サークルで何をしていた?」

「……初めの頃は、楽しく春香さんや他の女の子と登山して楽しく遊んでいました。山に登るのはあんまり好きじゃ無かったけど、春香さんや女の子の友達と一緒にいるのは本当に楽しかった。あと……私、彼氏もできたんです」

「サークル内の男子と?」

「はい」

 薫は苦い物を噛み潰すような表情で回想している。きっと、春香だってあの日まで全力でサークルを楽しんでいたに違いない。

「でも、あの日……後輩が犯されているところをたまたま見てしまって……それで私、北野に捕まったんです。『このクソビッチが』って……それから後のことは……」

 僕はそこまで薫が云って初めて、彼女が泣いているということが分かった。

「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」

 ゆっくりと彼女をなだめる。彼女はつたった涙を拭い、続けた。

「何度も、何度も北野に殴られて『殺す殺す』って云われて……犯されて……もう私、怖くなって……」

「その後、君は?」

「このことを云ったら本当に殺されると思って、春香さんにはこのことが云えなくて……。本当にごめんなさい、私があの時に云っていれば……二人でサークルを辞めていれば……」

「君は何も悪くないよ」

号哭する彼女のために、僕はそっと声をかけた。

「ここまで、僕に打ち明けてくれてありがとう、辛かったよね」

「いいえ……私こそ、うまく伝えられない部分もあったかもしれません」

 彼女は涙を流し尽くし、乾いた目で僕に会釈した。

「最後に、聞きたいことがある」

「はい、なんでも」

「一軍メンバー全員の名前を書いてくれ」

 それだけ云って僕は彼女に一つの付箋と、ボールペンを渡した。

 彼女は周りの様子をうかがいながら、こそこそとペンを動かし、僕に渡した。

「ありがとう」

「慶次さん、でしたよね?」

 薫は帰り支度をする僕に、いままでよりワントーン高い声でそう云った。

「最後に私からもお願いがあります」

「うん?」

「復讐だけは、絶対にしないでください。後で後悔しますから」

 ドキッとする。そうして彼女は僕が注文しておいた紅茶を一口も飲まずに、席を立ってしまった。

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