少女漫画のヒロインなんて柄じゃない

 あざみは眉間を押さえた。大学の購買前に人だかりができている。迷惑だったが、それ以上に、はしゃぐ女子大生たちとそれに囲まれている一人の男性という構図に頭を抱えた。しかもその中心人物、知り合いなのだ。

 東海林しょうじ悠也ゆうや。物理学部の大学院生。目鼻立ちがはっきりとしている、分かりやすいイケメン。服装はモノクロばかりとおとなしめだが、寛大だし、人当たり良いし、すぐ褒めてくれるしと、素晴らしいお人柄。しかも、お坊ちゃま。少女漫画のヒーローか。

 さらに女の子に囲まれるという漫画のような光景。だが、そちらは現実に起こり得ることだと薊は身をもって知っていた。なにせ、姉が超絶美人なもので。道を歩けば男に絡まれるので、追い返したこと数知れず。だから、ある意味慣れてはいる。でも、巻き込まれたくはない。薊はそっと踵を返した。ノートを買うのは後にしよう。

 と、思ったのに。


車田くるまださん、ちょっと待って」


 お花畑の中心から声を掛けてくるお方がいるものだから、薊は叫ぶところだった。だぼついたパーカーの背中に、鋭い視線が突き刺さる。振り向くか。いや、聞こえなかったふりして立ち去ろう。一度止めた足を進ませようとすると。

 ――こんにゃろう。わざわざ追いかけて、私の腕を掴んで来やがった。

 黒いキャスケットの鍔を下げ、歯を食いしばる顔を隠し、仕方なく薊は振り返る。爽やかな笑顔がムカつくが、相手は先輩。自制心を働かせる。笑顔にはしない。そこまでの義理はない。


「……なんですか?」

「何って、見かけたからさ」


 用事はないんかい!

 眦が吊り上がるのが抑えられない。丸眼鏡がうまく隠してくれているかもしれないが。


「でも、せっかくだからお昼ご飯を一緒にどう?」


 薊は、ノートと一緒に昼食も買おうとしていたことを思い出した。が、すぐに空の彼方に吹き飛んだ。女子集団からさっきよりも激しい敵意が向けられる。もし今あの中に放り込まれれば、薊はたちまち丸太に括られて火炙りだ。

 速やかに逃げるが吉。


「遠慮します」

「どうして? 君、今日は三限ないだろう?」


 何故知ってる!? 鳥肌が立った。すわストーカーかと思ったが、なんてことはない。先週自分が暴露していたらしい。何してる自分。時よ戻れ。


「なによ。妹さんを助けたからってさ」


 魔女狩り集団から、やっかみが飛ぶ。その通り。薊とこの人との関係は、実はその程度のものなのだ。


 愛梨あいりという彼の妹さんは、薊の一つ上の先輩だ。彼女が男に絡まれて困っているところを薊がたまたま通りがかって、姉のために培ったスキルで男を追い払った。それがきっかけで、彼女とはお友達になった。

 悠也と出逢ったのはその後。お礼を言われたとき。でも、何故かそれからこの人との遭遇率が上がって、微妙な顔見知りとなっている。


 さて。とある女子のやっかみは悠也にも聞こえていたらしく、彼は少し眉を顰めた。何か言いたげにしていた。でも、何も言わず、代わりに親しげに薊の肩に手を置いた。ただの恩人じゃないよアピールのつもりかもしれないが、何してくれてんだこの人は!

 

「さあ行こう」


 穏やかな中に有無を言わせぬ圧を感じて、薊は泣く泣く従った。このまま一人になれば、間違いなく処されるし。


 スポーツカーに乗せられて、薊は死んだ目のまま駅前まで運ばれた。この辺りに良いイタリアンがあるとか。ちょっとおしゃれな庶民の店というレベル。高級店じゃなくて安心した。

 トラブルで食欲は減衰していたので、薊はさっぱりとしたレモンのスパゲッティを選んだ。悠也はナポリタン。この店の看板メニューらしい。


「もうああいう風に絡むの、やめてくれません?」


 オーダーを済ませた頃、薊は悠也を睨んだ。


「何故?」

「何故って……私たち別にそういう間柄じゃないでしょう」


 薊にとっては、友人のお兄さん。悠也にとっては、妹の友達。お互いに、それ以上でも以下でもない。


「とにかく困ります。貴方と一緒にいると、不釣り合いだってバカにされるし」

「可愛いのに?」


 はいはいお世辞ありがとー。そばかすだらけの平凡顔を捕まえて何言ってんだか。

 溜め息を吐いている間に、スパゲッティが来る。レモンの酸味が身体に染みる。興奮も収まってくると、相手のことを思う余裕も出てきて。

 この人もいろいろ大変なんだろう。外を歩く度に騒がれて。嬉しそうじゃないことは見ていて分かる。だから、本当は少し同情している。他の馬鹿な男のように切り捨てられないのも、その所為だ。

 でもなぁ、とお節介と面倒事を秤に掛けていると。


「俺は、本気で君を口説いているんだけどな」


 爆弾を落とされて、薊は頭の中が真っ白になった。レモンの皮を飲み込んでしまい、噎せる。


「……は? 口説く?」

「付き合って欲しいと思ってる」


 顔を赤らめる、なんてベタな反応はできなかった。自分の耳じゃなく、相手の頭を疑った。ドッキリ? 虫除けのため? いや、どちらもあり得ない。東海林悠也はそんなことをする人物じゃない。

 なら本気かと思うと、それはそれで頭が痛い。自分は恋愛に縁がないと思っていたので。まして、こんなイケメンに告白されるなど。

 少女漫画的な展開は、薊ではなく姉のもので。恋愛も自分には関係ないものだと思っていて。異性に好かれる自分なんて、一度も想像したことがなかった。

 だからなのか、薊の思考は空回って、おかしなことを口走る。


「まずはその、ピーマンけるのを止めてから言いませんか」

「え? ……あ」


 悠也がフォークを握りしめたまま、硬直した。恥ずかしがりもしないのは、予想外のパンチに呆然としているからだろうか。

 だけど、薊もさっきから、子どものようにこそこそとフォークの先でピーマンを皿の端に寄せているのが気になって。全く音を立てないものだから、妙に感心してしまった。育ちの良さスキルがそんなところに発揮されるのか。

 ていうか、何故頼んだナポリタン。


「……その」


 言い訳したくても言葉が出てこない。そんな感じで目を泳がせる悠也を見て、不覚にも薊は笑ってしまった。やはり悪い人ではない。お付き合いはともかくとして。


「まずはそのピーマン食べて。その後〝お友達から〟ですね」


 悠也は天を仰いで肩を落とす。

 いい気味だ、と薊はちょっと思った。

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