6。 過去との決別

 「ようこそ、天文同好会へ」


 その声は春の陽気のように温かく感じられた。


「早速ですが、我らが部室にお連れしたいと思います」

「同好会なのに部室が?」

「ちょうどクラブハウス、でしたっけの部屋が余ってるようで。3階の廊下の一番奥の部屋を頂けました」


 僕を案内して廊下を歩き彼女は「窓つきで素晴らしいですね」と言った。生徒会時代に余っている部室を調べたことがあったのだが、僕が知る限り今のあの部屋はそこまで褒めるに値するところではない所だったと思う。まぁ、往々にして個人の感性というのものは一定程度のズレをもつものだ。


 と、案内されるように彼女のやや後ろを歩いていて気が付いたわけだが、一橋は編入してきて一月もたたないはずだ。それでも迷いなく増築を繰り返して面倒な構造になっている校舎を迷いなく歩ける、というのは才能ではないのか。


 そんなことを一橋さんの背中を見ながら考えていた。小柄な彼女の背中。背丈の小ささに比例するように小さい肩。また足元に目を移せば、セーラー服のスカートは彼女の華奢な足を膝下まで隠しているう。ショートカットが良く似合う、可愛い女の子。しかし後ろ姿がこの程度の人というのは一貫校にいれば中1や中2の教室を周れば珍しくないことだ。しかし僕が彼女に惹かれたのは目であり、それは一橋さんの後ろ姿が自分には物足りないと感じたことで再認識することができた。


 自分には持ちえないあの瞳。その輝きをもっとよく知りたい。


 そのとき、一人の顔見知りの教師が歩いてきた。中肉中背、風貌として30代も始めを思わせる若い様子だが、熱血という風には見えない。むしろ飄々とした雰囲気を感じる男の教師がこちらを向き「よっ」と手を挙げている。


「一橋さんいた。と、大隅じゃんお久しいね。元気にやってるかい?」


 内心、この教師と会いたくなかった。この先生には中学の3年間お世話になっているので、その先生の僕に対する心象を崩しかねない留年のことを自分の口から話したくなかったのだ。


「元気というか、えぇ、まぁ」


 簡易的な場を濁すと、教師は追い打ちするように顔を僕のに近づけて耳打ちしてきた。


『分からないところあったら先生に聞くんだぞ?国語じゃなくても、他の先生に取り継ぐから言いなさい。ついつい孤高を演じてしまうのは君の悪癖だからね』

『もう中学生じゃないんですから、大丈夫ですって先生』


 この語りだと、僕が留年したのも知っているようだ。


 教師はハッハッハッと少し笑った素振りを見せた。

 僕の方から視線を逸らして一橋の方を向き「じゃあ、これ言っておいた鍵。あとで僕の机に置いておいて」と言った。一橋さんの方が「分かりました」と言うと教師は一言「頑張ってね」とだけ言い残して廊下の先の職員室に消えていった。


「長谷先生とお知り合いなんですね」

「中学時代にずっと面倒見てもらってたから的な、そういう」

「中高一貫ってそういう長く関係が続くの良いですよね」


 そうか、この人は今年編入してきたのだった。それにしては来て早々に新しい同好会を作ろう、というのは中々にチャレンジャーである。

 

 そんな一橋は思い出したように「あぁ、そうだ」と言った。


「物理部さんがうちに古くなった望遠鏡を譲ってくださるそうなんです。これが物理部の第2倉庫の鍵で、そこから取っていけと」

「あぁ、僕が取ってきますよ。まだこの学校は不慣れでしょう」

 

 彼女から「それなら、それが早いですね」と返事と鍵を頂き、理科棟前の第二倉庫に行こうとしたが、「部室はクラブハウスの308ですので」と念を押されて彼女の優しさを感じた。


 ―――★★★―――★★★―――


 理科棟前の物理部第二倉庫は問題なく、貰った鍵で開いた。

 スマホのライトで照らしながら、置いてある備品を踏んだり、転んで傷つけたりすることがないように慎重に物色させていただく。すると、奥の方にいかにも望遠鏡のような長物が折りたたまれて入っていそうな黒いキャリーバックを見つけた。見ると付箋が貼ってあり「天文同好会:望遠鏡(口径70mm)」とあったのでこれで間違いないようだった。

 慎重にバッグを持ち、倉庫をあとにする。

 

 部室まで向かう途中で知り合いの先輩にすれ違った。昨年度文化祭実行副委員長で、生徒会の一員として一緒に作業をした人だ。気が良く、なんだかんだすれ違うたびに話している。

 

「副長、お疲れ様です」というと、もうやめい、というように笑ってくれた。


「お前、写真部に入ったのか。生徒会はどうしたん?」

「あれですか?まぁ、やめて天文同好会にさっき入りました」

「あぁ!やめちゃったの?ずっと頑張ってなかったっけ?」

「まぁ、色々ありまして」

「そうか、そりゃ大変やなぁ。まぁ、写真、じゃなくて天文か。頑張ってな」

「先輩も受験頑張ってくださいよ」

「あぁ、受かるさ」


 生徒会の人間として、自分の努力を見てくれている人がいたということは嬉しかった。その嬉しさを感じると、同時に心のどこかで生徒会をやめたことに対して、ほんの少し後悔の念が生まれてきた。

 選挙で落ちても、事務員として生徒会に携わることはできた。しかし、それは当時の僕のプライドが許さなかった。その選択はおそらく間違いではなかった。しかし、あそこでプライドを曲げていたら――


 過去の選択を捻じ曲げた先にある未来。そんな途方もなく馬鹿らしいことを考えこもうとした脳を制止した。そうだ、過去に囚われても仕方ない。

 

 しばらくは一橋さんと天文同好会のことを考えればよいのだ。


 僕はずっしりとしたキャリーバックの持ち手を強く握りなおした。

 

 ―――★★★―――★★★―――


【あとがき】

恋のシーンにあとがきは入れたくなかったので、2話ぶりです。恋心は不可侵。

というかラブコメってこれで良いのでしょうかね。まぁ、6話だしこんなもんか。

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留年したけど暇なので、一目惚れしたJKと天文同好会やった話 一畳半 @iti-jyo-han

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