5。 天文同好会
春風のように突然現れた眼の前の少女。僕は数秒の間、我を失っていた。
「すみません、手伝わせてしまって」
目の前の彼女の声すら何か自分にとって特別な意味のあることのように聞こえ、その意味を無意識に考察しはじめたところでやっと正気に戻った。
「いえいえ、お構いなく」
純真そうな瞳もさることながら、それを際立たせる眼鏡。それに、その輝き見る者に肯定させる低い背丈。
断じておくが、僕は決してロリコンの類ではない。中高一貫という環境を活かしロリコン的な趣味嗜好を満たしているなんてことは微塵もないし、第一そんな性癖は持ち合わせていない。いわゆる普通の高校二年生、いや留年したので高校一年生並みの性的嗜好を持つ人間である。
しかし、この少女はなんとも、そういう性癖というようなものを越えて僕の本能に語りかけてくる可愛げな魅力を持っている。
あいにく、僕は審美眼というものを持ち合わせていない。それにそんなものを持っていても道行く女性にそんなものを振り回す不道徳者に成り下がりたくはない。したがってこの少女が世間的に「美しい」人なのか判断はしかねる。
しかし、あえて言葉にしてみれば容姿端麗というには華やかでなく、清楚というにはあどけない人。
その姿はまさに僕の胸をときめきの光で――
「あの……大丈夫ですか」
すみません貴方のことを考えていました、と女子生徒の言葉に再び正気を取り戻す。
「あぁ、ごめん」
「寝不足でしたら、しっかり寝ないと体に悪いですよ」
「いやまぁ、なんというか」
心遣いはありがたいが、的を外れている助言を頭をかいて
貴方に惚れていました、なんて言えるはずはない。しかし、初対面の人間の健康を気遣うとは何たる健気だろうか。やはり見た目が可愛らしいと中身まで健気ということか。
「それで、貴方は何をしてるのですか?見たところ、プリントでも配って回っていて?」
「えぇ、そうなんです。各クラスに掲示してもらうために、各学年主任のところを周っていて」
「なるほど。手伝いましょうか」
「あぁ、いえ、もう全て配り終えています」
「なるほど? というとそのプリントは余りかな」
「えぇ、そうです。あぁ、お礼になんて言えないですが、一枚どうぞ」
「ありがとう」
突然の手渡し《プレゼント》に腕を通る神経が驚いたが、紙に書かれている文字を見てそれはすぐに収まった。
「天文同好会、ねぇ」
天文同好会。設立したばかりのここに入るとなると、おそらく運営に関する書類は全部僕の担当になるだろう。何せ本当なら今は高二で、仮にも元役員だから。しかし僕は今の生徒会には関わりたくない。それは僕のプライド的に問題のあることだ。
だが、天文同好会に入ればこの少女とお近づきになれることは疑いなし。
日頃、自分は打算的ながらも即断即決を是として生きてきて、それで数多の数多の栄光をつかみ取ってきた。
静かで穏やかにではあるが着実に、絶対的な実力も周囲からの信頼もつかみ取ってきた――留年したことでその信頼も多少は落ちたと思うが。
しかしこれは難し――
「入ります」
その言葉は、深く考えるよりも早く出た。
「というと?」
突然の僕の言葉に戸惑って目を丸くしている彼女の顔が胸に刺さる。
「えっと、天文には興味があるもので、同好会に入らせていただけないでしょうか」
嘘である。空なんてどちらかと言えば嫌いになりかけているくらいだ。
「そうですか」と彼女は静かに目を細めてほほ笑んだ。眼鏡越しに移る彼女の瞳は薄くなっても、むしろそれが魅力的だった。
無垢なその笑顔とさらっと出た自分の嘘のギャップに思わず死にそうになった。
「私は部長の一橋隼子といいます。ようこそ、天文同好会へ」
春の陽気のように暖かい彼女の声。
差し込む夕日よりも温かい声に、僕はまた惚れてしまった。
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