4。 恋は突然に
なるほど、天文同好会。
正直、空は苦手だ。僕が留年した原因は空にある。あの雪がなければ、今頃下手なコンプレックスを抱えることはなかった。
それに、また下手な組織に囚われることはない。選挙で負けて、自分を負かした人間の元で働く恥を忌み嫌って生徒会を辞めた日の、ガラでもない涙を忘れはしまい。
長く慕ってくれている後輩が苦しいというのは、僕にとっても苦しいことだが――
少し歩こうにも借りていない本を持ち出すわけにはいかないので、少し惜しいがすぐに誰かに撮って行かれるような本でもないので書架に銀英伝を戻した。
図書委員がせわしなく書類だかの整理をしているのが横目に見えた。
図書室から出ると長い廊下がある。上からは、かすかに吹奏楽部の練習の音が聞こえていた。今はまだぎこちない感じがするが、やがて壮大な組曲に至ると思うと青春的感動を覚える。
一階の廊下なので、窓からは校庭が見える。ふと見てみるとサッカー部が練習をしていて、彼らが傾きつつある日の光に包まれながら、放課後的余韻に包まれながら練習している様に青春を感じた。
自分にも、典型的といっては申し訳ないが、いたって正常な青春を享受すうる未来がありえたのだろうか。別に選手の動きだとか、ボールの動きも、試合の情勢すら見ていたわけでもない。それでも、自分が選択しなかった未来の可能性を想像して考えてしまうと、どうしても目が離せなかった。
ちょうどその時、春風が廊下をかけた。
春という季節のイメージのの通りにとても心地よく、座り疲れた体を労わるような優しい風だった。
肩まで伸びている僕の髪を揺らした。眼鏡の視界の上半分が前髪で乱れる。
刹那の風が過ぎ去った次の一瞬、小さな感嘆詞が聞こえた。
「あっ」
その声を聞き、駆けた春風に乱されていた視線を正す。
窓の外を見るのに夢中で気が付かなかったが、近くには一人の女子生徒がいて、その生徒の周りには大量の紙が散らばっている。きっと風に吹かれて、持っていた紙が飛ばされてしまったのだろう。
女子生徒はせわしなく紙を回収して回っているので、僕もそれを手伝うことにした。
周りを見ると、近くだけでなくだいぶ遠くにも数枚飛んでいっていたので、それらを回収していた生徒に渡してやった。
「大丈夫ですか? 貴方のですよね」
生徒は付近のはあらかた拾い終えていて、あとは僕の持つプリントがあれば全て、という様子だった。
「すみません、どうも」
「はい、どうぞ」と渡した紙を大事そうに抱え、そしてその女子生徒は顔を上げて僕の目を見て、少し微笑んでいった。
「わざわざありがとうございます」
先に言っておくが、僕は道行く女子にいちいち好意を抱くような奇人でもないし、当然のことをしてその返しで感謝されたからと言って対象を好きになるような変人でもない。そこまで常日頃から異性に必死な無様な男などでは一切ない、ということは承知しておいていただきたい。
僕の方を見上げた彼女は、途方もなく僕に「可愛い」と思わせた。
自分の胸よりかは少し高い程度――見た目にして中学生と想定できる背丈の彼女は、一輪の花が世界にたった一つ凛としてあるようだった。
照らされた百合のように美しい白色をした肌は、春日を思わせた。
頸筋にかかる自分のものより少し長いくらいで、彼女の髪は肩まで伸びたものだ。しかしそれは自分のとはまったく違って若く艶のあるというだけでは表しきれない世界に溶けこんでいる程度の差とでもいうべきものを感じた。
そして、そんな彼女瞳は夜空に浮かぶ星々のどれよりも純粋に輝いていた。遠く煌めく彗星を一心に追うかのような瞳。銀河の奥まで、幾奥光年先まで届きそうな純真の輝きを放つ瞳。四枚のレンズを通してもなお煌めく瞳。
今までの人生の中で、これほどまで胸に迫った存在はなかった。
貫かれるような圧倒的な魅力と自身の醜い劣等感を刺激しない存在。
素直にその存在に焦がれることができる存在。
鮮烈な輝きに瞳孔裏が焦げ、視神経は焼き付いた。
憧れにもお慈しみにも似た思い。そうか、これが――
とある春の日。僕はそんな輝く瞳を持つ眼の前の女子生徒に恋をしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます