3。 やっと出会ってしまった後輩
僕の留年生活が始まって数日が経った。あいかわらず授業は全て速記で、今のところ一言一句残すところなく教師の言葉をノートに記せている。定期試験前に売れば自販機でジュースが一つ買えるくらいの金にはなるかもしれない。
ところでこの数日の間、僕は留年の洗礼を受けていた。
そう、誰とも話さないのである。
元から大いに人と関わるような人間ではないし、元後輩たちとの話し方なんて志なんてないし、腹を割って話す関係になる気もなかったので全く構わない。しかし人間やはり人と話さないと病むというものである。
日を追うごとに、徐々に人と人の会話の波が大きくなっていく中、僕の周りの海だけはひっそり凪いでいるのだ。多少はメンタルに響く。
そんな日々の救いはといえば、人気のない図書室の奥の方の半分物置みたいな謎スペースで心穏やかに本を読むことだった。
溜息の種が心の中で芽生えているのを感じても、ただ眼の前の文章を丁寧に追っていくと、やがて心は安らかな気持ちで満たされる。一切の不安を本の語る物語や知識がかき消してくれる。麻薬中毒者の快楽とはこういったものなのだろう。
「お久しいですね、大隅先輩。1か月ぶりですか」
突然聞こえた知人の声に本から視線を上げる。顔を見ると、一年下の、いや一年下だった元後輩だった。今年から彼女と同じ学年である。先輩というあたり、自分がまだ留年していることは知られていないようで安心だが。
少し曲がった背でブレザーを羽織り、髪の毛は簡単に結んでまとめている。目のあたりはクマが酷く、暗い雰囲気をした小柄な少女。元から明るい人ではなかったが、にしてもしばらく顔を合わせないうちにずいぶんと陰気になった気がする。
「
「どうしたんです、こんなところで。ご隠居さんみたいですね」
「本を読んでるだけですよ」
めくっていたページがどこか分からなくならないように気を付け、彼女に表紙を見せる。
「なるほど、銀英伝ですか。次は覇王にでもなりますか」
「そういう
「いやぁ、生徒会の仕事が山場で、少々逃亡してきましたよ」
隣の空いていた椅子に彼女は腰を下ろした彼女はタバコ休憩に出た中間管理職を思わせる重く長めの溜息を挟んで言った。
「先輩、知ってましたか? 人って3日間寝なくても生きてられるんですよ」
「君は頑張りすぎてしまうのだから、少し寝ないと――」
「先輩が辞めちゃったせいで生徒総会の準備担当が私になっちゃったんですよねぇ。おかげさまで大繁盛です」
わずかに差し込む斜陽に切り抜かれた彼女の哀愁は、少し俯いても僕の目にはぬぐえなかった。
「いやぁ、耳の痛い話です」
乾いた声しか出なかったので、それを誤魔化すように頭を掻いた。しばらく切っていない髪がわしゃわしゃ引っ掛かった。
「いえ、良いんです。私が選んでいる生活ですからね」
一段階暗くなった彼女の声。
本を握る僕の手は強張って、眼鏡の弦も痛く感じた。
自分が生徒会を辞めたことが、数年来自分を慕ってくれていた彼女を苦しめているという事実。それは仕方がない過去の結果であったが心底認めたいものだった。
「まぁ、先輩がどうしても私に寝させたいと仰るなら、一つ案があります。天文同好会に入ってみませんか」
今年編入してきたばかりの高1が、大胆にも天文同好会を設立した。生徒会がそこの初動をサポートしているのだが、学校を知る人間として代わりにそれを支援してやってくれないか、と。
「もちろん、考えますよ」
「えぇ、はい。あと先輩、留年おめでとうございます。寂しくなったら隣のクラスで待ってますからね」
意地悪そうに微笑んだ
顔を近づければ寝息が聞こえそうだったが、別に特別聞きたくもないのでリスクは侵さないことにした。
ただ本を読むのにも気まずかったので、僕は少し散歩にいった。
―――★★★―――★★★―――★★★―――
【あとがき】
ちなみに終業は作業を持ち帰って二十四時だそうです。大変ですね。
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