2。 留年生活の始まり
留年が決定した二月から、早いもので二か月が過ぎた。
入学式になんて留年した僕がいけるわけもないので行かなかったが、どうやら今年は校舎の桜がちょうど満開を迎えていたらしい。
タイミングの悪いことに、その日の夜に雨に降られて、だいたいの花が人知れず闇夜に散ってしまったそうだが。やはり空は嫌いだ。
つくづく運が悪いと一瞬思ったが、そもそも祝福されるような立場ではいないので仕方がないといえばそうである。
しかし葉桜というのも悪くないではないか。そもそも桜が花をつけているのなんてせいぜい三月の終わりから四月の頭にかけての一ヶ月弱で、残りの十一か月は花なんてないのだ。
「今年はこの葉桜に誓い、堅実に生きるか」
そう心静かに胸に誓い二回目の高一として登校した4月9日の朝だった。
―――★★★―――★★★―――
時に、我が松籟高校は中高一貫である。中学校と高校は繋がっており、中学受験を経て松籟中学に入学した者が基本的に高校へとエスカレーター式で上がる。時々高校から編入してくることもあるそうだが、今年、ようやく五年ぶりに編入生が来たそうなのであまり多くはない。
そんなことより、中高一貫校で留年、とくに高一でするとマズイことがある。それは後輩と一緒になることだ。
一般的な高校なら高一での留年は元同級生が口を割らなければバレないだろうが、この学校においては去年まで中学生で僕を知る元後輩たちが同級生になるのだ。
あの人去年高校の生徒会やってなかった?などと言われた暁には、まぁ、メンツ丸つぶれも良い所である。
心臓が潰れそうな思いで去年使った高一B組の一つ隣のA組の教室に入り着席した。
自分からわざわざ声をかける愚はおかすまい。ただし、問題は誰かに声をかけられた時だ。
「いやぁ、留年しちゃってぇ」
などと茶化す気はない。そんなことをして、かろうじて残っているプライドを切り捨ててまで人に媚びることはない、としがみつくように本を読んだ。
ただ現実とは無情なもので、誰かが僕に話しかけてくるようなことはなかった。一応は中二の始め頃から一回目の高一終わりまで、しめて三年間生徒のために活動してきた末の学校における存在が「これ」というのはいささか情けない話である。
授業が始まってみると、その内容は――もちろんだがそれは昨年度受けたものと変わりなく、話を聞くまでもなく全て理解できた。退屈すぎて、教師の喋った言葉全てをノートに書き記していた。生徒会で身に着けた速記の技はこんなことで輝くはずではなかったのだが、運命の導きとは分からないものである。
こんな時に教室の窓が近くにあればよかった。
しかし、あいにく僕の苗字は大隅である。五十音の「お」で、黒板に向かい右からも前からも二番目の席である。
たいがい教室の窓は左側にあり、それは松籟高校高一A組でも同じことだったので窓の外を見て暇潰し、というのは叶わない。
日本の教室において「多数である右利きの生徒がペンの影に困らぬよう、窓は黒板向かって左側に設けよう」という歴史的配慮を恨むばかりである。
もっとも窓なぞ見えても、僕にとって良いとは言えない「空」がうつるだけなのでどうでも良いことかもしれない。
とにかく、僕の留年生活は何事もなくスタートしたのだった。
いや、何もないことを望んでいた。そうなのだが―――
帰りのHR後に履き替えた靴が冷たく感じたのは「本当に何もない」というのが少し寂しかったからだろうか。
―――★★★―――★★★―――
【あとがき】
本当は副題の方をタイトルにしたかったんですが、風潮を鑑みてやめました。
人間の心情の入れ喰いを書きたいので、ラグランジュはぴったりだと思うのですが。
それにしても、留年なんてしたくないものですね。大隅悠二くんはショックで三日間食事が喉を通らず体重が五〇kgから四五kgに落ちたそうです。生きててよかったね。
今後も大隅留年物語は続きますので、よろしければ第三話もお読みください!
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