B テント小児科病院…市場 秋葉、四歳

01 りんご熱(テント小児科病院看護師小野 美紅視点)

「みくちゃん、大丈夫だいじょうぶ?」

こさないでよ!」

「いや。みくちゃん、うなされてたからさ……」

 どろのようにねむってたのに。

 旦那だんなくんすられて、めちゃくちゃ不機嫌ふきげんになった。

 一年前いちねんまえびた墨波すみなみ後遺症こういしょうで、性格せいかく気質きしつ荒々あらあらしくなった自覚じかくはある。

 職場しょくばともだちにも、つねにヒステリーだからはなしかけづらいとわれた……。

 さん月前げつまえまでペロペロしていためのトローチはドラッグストアではなく、木目もくめ病院びょういんからの処方箋しょほうせんおおめにしてもらっていたのに、服用ふくよう中止ちゅうしになった。


 旦那君とは、長年ながねん事実じじつこんで。三人さんにんどもが出来できたから、よわめのくすりも処方してもらえない。

 入籍にゅうせき挙式きょしきかんがえていた矢先やさきの墨波被害ひがいだった。どちらも延期えんきしていたけれど、組石くみいしからも「墨波被害手帳てちょう」をもらった。

 すこしはマシになって来ているから、じゅうがつのクリスマスに、入籍する。

 子どもたちは気をつかって、よろこんでくれている。

 はぁ……。

 いまあさ五時ごじ

 二度寝どねする余裕よゆうい。最悪さいあく、最悪、最悪。



 テント小児科しょうにか病院と、ほかの小児科クリニック、病院とちがうところは……いろいろあるけれど、やっぱり、院ちょうの「分身ぶんしん」。

 とても器用きようひとで、午前ごぜん診療しんりょうも午診療も、八人はちにんの院長がそれぞれ、「院長一号いちごう」とか、「院長五号」とかばれている。

 大学だいがく受験じゅけん時から、特例とくれいで、十二人に分身して、医師になるための教育きょういく課程かていも十二人に分身したまま、受講じゅこう

 だから、医師免許めんきょ一階いっかいロビーに十二人ぶんかざられている。

 もちろん、分身の「身体からだ記憶きおく」と「けい験した知識ちしき」は、院長一人ひとる集約しゅうやくされている。


 診察室さつしつなかから、いのソファーの患者かんじゃ保護ほごしゃけてびかける。

市場いちば あき君ー、秋葉君ー。

 院長八号室へおはいりくださーい」

「はい!」とおどろいたように返事へんじをしたのはおとうさんのほう。

 父親ちちおやかっていた、黄色きいろ靴下くつしたおとこの子はねむそう。

 四歳よんさい

 木目もくめえきからすこはなれたところにある、はらっぱ保育園ほいくえんかよっている。

 微熱びねつ本日ほんじつ欠席けっせき

 診だん後、感染かんせん症でければ、自宅じたくで看病したい……。

 おや、「あじさい病保育園あずかり希望きぼうでは無い」ようだ。

 お父さんの職場しょくばがあじさい病児保育園。

 保護者がはたらいていても、担当たんとうべつの人におねがいすれば、利用出来るはずだけれど。

 だんだん、かお色がほんの少し緑色がかっている。


 検査けんさ必要ひつようは無いが、一応、この顔面がんめん症状の場合ばあい念写機ねんしゃきで顔を撮影さつえいしなければならない。

 パシャッ。

 撮影後、すぐに。モニター面に、念写の画ぞうデータが転送てんそうされる。

 ただただくろなモニター画面に、「患者名:市場 秋葉(四歳)」と名前なまえ年齢ねんれいだけ表示ひょうじされる。


先生せんせい、どうですか?」

ほほ赤色せきしょくもほんのり色づかない、念写機でも、あかみがハッキリしない。黒いまま。

 うーん、りんご熱を発症してはいない。りんご熱発症初日しょにちのすぐの症状も出ていないですね」

「りんご熱?」

「りんご熱は、はじめて魔術を使うとかかる病気です。

 魔術まじゅつ世界せかい法則ほうそくはずれる異常いじょう現象げんしょうです。

 世界はそれをなおそうとします。

 その反動はんどう現象を世界修復しゅうふく現象と言いますよね?」

「はい。

 小学校でならいましたね。

 職場の病児保育園でも、毎日まいにち一人くらいは……でも、五、六歳くらいじゃ?

 秋葉は四歳ですし、身体もほかの子よりちいさいので」

「世界修復現象によるショック性発熱と顔面のえん症です。

 おたふく風邪かぜちがって、顔面からリンゴのあま果汁かじゅうにおいがするんですが。

 ほら」

 お父さんが秋葉君のひだり頬のにおいをぐと、リンゴの匂いがせず、不思議ふしぎそうなかおをしている。

「リンゴの匂いがしたら、りんご熱なんですか?

 じゃあ、秋葉のはただの熱ですか?……風邪、じゃないんですか?

 でも、この子、魔術を使ってないはずです」

「自宅内にあるホームセキュリティ履歴りれきはどうです?」

「さきほど、出かける際も、まったく異常がありませんでした。

 異常があれば、外出がいしゅつしてません」

昨日きのうまでかよわれたはらっぱ保育園は?」

「病気欠席の電話でんわ連絡れんらくの際、とくに何も言われませんでした」

 院長八号は秋葉君をじーっと見つめて、かれの顔色が黄緑色がかってきたのを再確認さいかくにんする。




「だとしたら、取り換え子チェンジリングですね」




「え?」

「この子は貴方あなたのお子さんでは無いのに、が子だと認識する空間くうかんそのものへの干渉かんしょう魔術ですね。

 少々しょうしょう、おちください。

 二号が今、りんご熱患者をていますから」

 院長八号に下顎したあごをグイグイされて、不快ふかいそう。とうとう、診療室特有の円椅子まるいすすわっていられず、パイプ椅子にこしかけていた父親のひざうえに座った。

 その瞬間しゅんかんよう児の顔が全くの別人べつじんになった。

 というか、眼鏡めがねをかけたまま、スヤスヤ眠っている。

 そして、すごい寝汗ねあせ

 さっきまで、黄色い靴下をいていたのに。裸足はだしで、青色あおいろにアニメキャラクターのプリントがついたパジャマ姿すがた


「あれ?この子……」

 お父さんも自分の身体からきはがして、顔をのぞきこむ。

「おっ、青りんご悪寒おかんが出始めた。顔色が黄緑色だ。

 嗚呼ああふるえが出始めたね。

 小野おのさん、院長二号は?」

「りんご熱患者といっしょに、院長二号室からしょ置室に動しました」

「お父さん、処置室へきましょう」

 お父さんはなぞの男の子を中途ちゅうと半端はんぱにだっこしながら、院長八号のあとう。


「あっ、秋葉!」


 処置室に入ってすぐ、お父さんはっこしていた謎の男の子を処置台のうえに優しくのせてあげてから。別の台にのせられていた、本物ほんものの秋葉君を抱きしめる。

「チェンジリングの転移てんい解除かいじょされませんでしたが。お父さんが見破みやぶれば、変身へんしんは解除されましたね」と院長八号が優しくどちらの家族かぞくにも言葉ことばをかけていたのに。

「あちらのおかあさんのほうが『自分の子じゃない』って見破るのがはやかったですね」

 わたしはつい、うっかり、きついことを言ってしまった。


「八号先生、はらっぱ保育園の園長からお電話です!」と医療事務が電話の子機をってって来る。

 スピーカーにしてくれて、園長のあせったこえが処置室にひろがる。

 <昨日きのう花丸はなまるちゃんのおむかえがママだったんです。

 秋葉ちゃんがママを思い出して。

 それでだと思います>

 謎の、眼鏡をかけた男の子が、花丸君。

「そっくりなのかな?

 ご親戚しんせき?」

つまの顔にはてません。かみながいのくらいしか似てるところはありませんけど」

 <それでも、秋葉ちゃんは欲求よっきゅうたされたんだと思います!>

 気まずそうに。そして、「朝から迷惑めいわくこうむった」と、花丸君のお母さんは市場親子をおにのような表情ひょうじょうにらみつけ、青りんご悪寒の処方箋が書いてあるかみを受け取って、病院を後にした。


 院長八号室に戻って、院長八号と市場さんのはなしは続く。

奥様おくさまは?

 ご存命ぞんめいですか?」

「……この子がまれてすぐ離婚りこんしました。

 育児いくじ放棄ほうき通報つうほうされたのがきっかけです。

 親けんわたし単独たんどくで……」

共同きょうどう親権ではいらっしゃらないのは、そういうご事情じじょうがあるんですね。

 市場さん。

 秋葉君のさびしさをまぎらわしてあげることは出来ますか?」

「……はい……」

「母親を無意識むいしきもとめている分。

 お父さんが休日、たくさんあそんであげることは出来ますか?」

「……出来るだけ……」

「近くに、頼れるご親戚やパートナーは?」

「……」

「お父さん。

 少しの間、木目もくめ王国おうこくを利用してはいかがでしょうか?」

「いえ。今は保育園にも通わせていますし……」

「お父さんも通院なさっていますね。

 まずは、お父さんが健康けんこうになることが先決せんけつです。

 こちらで、利用手続きをすすめます。

 任意にんい利用ではなく、管理かんり利用です。

 もし、このままはらっぱ保育園に秋葉君をもどした場合。より複雑ふくざつなチェンジリングが起こる可能性がありますから」

 院長八号は優しい言葉で声かけはするけれど、楽観視らっかんしはしない。


 でも、ここへ来て、市場さんは納得なっとく出来ないと反論はんろんする。

「チェンジリングも、病院内で発生した可能性がありますよね?昨日の保育園や、今朝の自宅でチェンジリングが発生したなんて、園やホームセキュリティそう置が証明しょうめいしていません。

 この病院のせいじゃ、ありませんか?

 これだけ、小児しっ患をかかえていて、魔術まじゅつ事故じこ誘発ゆうはつする劣悪れつあく環境かんきょうでしょう?

 何で、められなくちゃいけないんですか?

 受診の順番じゅんばんちゅう。たかが風邪と、母親を思い出しただけですよね?

 りんご熱って、そんなに大切たいせつなんですか?」

「ええ。

 母子ぼし手帳にかなら記録きろくしなければなりません」

「あの手帳はんだ後も使うんですか?」

予防よぼう接種せっしゅ既往きおう歴を書きこめるようになっているんです。

 小児科は小児疾患が無ければ、だいたい中学生までです」

「妻と離婚してからは、しばらく、私の母が手伝てつだってくれていたんで!」

 市場さんが自宅にかえって看病すると言ってかなかった。

 あじさい病児保育園からも、「ほかの病児への影響えいきょうがあるなら、け入れ困難こんなん」と返答へんとうもあった。

 夕方ごろに組石市の家庭相談そうだん局員きょくいんが家庭訪問ほうもんをすることで、何とか納得してもらった。



 今日の看護師たちの話題わだいは、朝から大騒おおさわぎした市場さん。

 どうやら、病児保育園職員だけれど、小児疾患にそれほどくわしくなく。変だと思っていたら、組石市の小学校教諭。

 現在げんざいは、迷公社めいこうしゃ関連かんれん企業きぎょう出向しゅっこう中。

 あのわかさで、すで校長こうちょう試験しけん合格ごうかくしていて。いろいろな経験けいけんませたほうが良いと、市教はん断があったみたいだ。

はじめて使った魔術が、『お母さんがしい』って気持ちからなんて。小野さんも大変だったね」

「あれは無いわ。

 小野さん、キレなかったの?

 秋葉君だっけ?本当に、かわいそう。

 両家りょうけ親族というか。

 ジジババがおめだー、七五三だー、入園だーって騒ぐでしょ。

 それが無いってことは、『子どもをすこやかにそだてる』ところまで気がまわらない親しかいないってことだもの」

 そこへ院長二号がやって来て、ドアをノックする。

 夕方の診療は終わっているけれど、廊下ろうかまで声がれちゃってたみたい。

 一応いちおう声量せいりょうには気をつけていたけれど。

「気持ちをえて。

 夜間やかん診療時間が始まるからね。

 社会にはいろいろな事情を抱えた親子がいる。

 りんご熱をおいわいしない親もいる。

 あのお父さんは祝う祝わないの前に、休息きゅうそくや休必要ひつようなんだ。

 ん?

 院長八号、どうした?」

「家庭相談局に『木目の王国で要支援』通報した。

 改善かいぜんされなければ、児童じどう福祉ふくし施設に入ることになる」

 院長二号は「もう少し様子を見ても良かったのに」と院長八号にあきれていたけれど。

「家庭相談局員の家庭訪問があるのに、ファミレスにいるから無理だって」とためいきまじりで、院長二号は残念ざんねんがっていた。

「りんご熱の子をファミレスに連れてって、外食ですか?」

「病児食のケータリングをやっているところはあるけれど。

 ファミレスの外食を食べさせてるの?

 小野さんがファミレスをすすめるはず無いしね……」

「ご機嫌取りってそういうことじゃないんだけどな」



 これからは、夜間診療。

 保育園や幼稚園を早退そうたいした子。

 帰宅後の子。

 高熱や嘔吐おうと下痢げり火傷やけどなんてよくある。

 夜間診療は、院長一号と、夜間診療の先生が二人。けい三人体制たいせい

 午前診療の問題ある保護者のことなんて、長々ながなが議論ひろんしているひまは無い。



 わたしは午後の診療までだから、これで帰れるけれど。

 帰れば、カップめんきな旦那君の夕はんつくらなくちゃいけない。

 毎日、毎日、作ってやってるのに。食でコソコソカップ麺食べてる時の方がうれしそうなのがむかつく。

 あーあ。

 墨波被災の後遺症があって、働くのも大変。おなかの子のことも大変。入籍はあんまりしたくないけれど、仕方無い。

 あーあ。

 いろいろ、失敗しっぱいしたな……。

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