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「もしも、もしもの話だ」


 いつもの居酒屋で敬三が急に話し始めた。


「別にあの場所に思い入れも何もない。ただ引き継いでしまったからには無縁ともいかない」


 くいっと御猪口を煽る敬三が自分の神社の話をしている事はなんとなく分かったが、次の言葉で再び思考は迷路に入り込んだ。



「俺達の様子がおかしくなった時、友である敏夫。お前だけは知っていほしい」

「どういう意味だ? ちゃんと説明してくれ」


 そう言うと、少し俯いて「ちゃんとか……」とぼそりと呟いた。


「俺もよくは分からないんだがな」


 敬三の話はやはり国頭神社に関係する事だった。敬三は先祖から神主として国頭神社の管理を任されてきた。だが、どこかの先代から伝聞が曖昧になり、文書もしっかりと残っていない事で管理は杜撰になっていったそうだ。


“祠が壊された時、代わりの器だけは用意しろ”


 心配はいらんがな、という言葉と共に敬三の祖父から代々祠に関しての伝言が残されていった。それは祠がもしも壊されてしまった時の対処法だった。

 私はそれを聞いて、本当にそんなやり方しかないのか、そして今までよくそれで運用出来たなと少しばかり呆れた。


「あくまで”壊された”場合に限っての話で、”壊れてしまった”場合は問題ないんだ」

「何が違うんだ?」

「簡単に言えば、悪意だな」

「悪意?」

「イタズラや故意にとか、とにかくそういう意思を持った者に祠を壊されてしまった場合に限る、という事だ」


 なるほどとまでは思わなかったが追及した所で当の敬三も詳細を知らないのでそこで質問を止めた。


「とまあ、そんなわけだ。何か変な事が起きたらお前だけには分かっていて欲しい」

「なんだそれ。それだけでいいのか?」

「十分だよ。こんな話誰にでも出来るわけじゃないからな」

「まあ、そうだな」


 痛み分けというか、答えを必要としていない悩み相談のような、話すだけでも心が軽くなる、その程度のものなのだろう。

 完全に内容はオカルトそのものだ。信じられない話だが、心に留めてやるだけで友が救われるならそれ以上何も言う事はなかった。


「和幸君にこの事は?」

「言っても無駄だ。外の世界に馴染む事も出来んのだからそれ以前の問題だ」

「そうか、長いな」

「もうそこには期待していないよ」


 一人息子の和幸君はもう四十を超えている筈だがいまだに部屋から出てきていない。就職を機に都会に出て働いた先で精神をやられてしまい、以来実家にこもりっぱなしだ。その間に母親も亡くし、今は父子二人で実家に住んでいる。


「お前のとこ、沙也加ちゃんはどうだ?」

「年末か年始に一度家族でこっちに帰ってくる以外では声も聞かんし顔も見ないな」

「順調な証拠だ」


 都会の男に嫁にもらわれた時は怒りと悲しさと嬉しさが綯い交ぜになった複雑な感情に苛まれたが、さすがに十年以上の歳月も経てば落ち着くものだ。と思っていたが、ふいに触れられるとたまにしか会えない事への寂しさが胃の端をちくりと突いた。


「そろそろ出るか」


 店の外に出ると焼かれるような暑さも過ぎ去り、秋の訪れを感じさせる夜風が肌を撫でた。


「またな」

「ああ、また」


 敬三に背を向け歩き始めた瞬間だった。


 ーー終わりかもな。


 足が止まった。


 ーーなんだ、今のは。


 思わず私は振り返った。視線の先に敬三の背中が見えた。いつもはびしっと伸びている背筋が少し丸まって見えた。

 

 ーー妙な話を聞いたせいか。


 そうに違いない。人間とは単純な生き物だ。いともたやすく言葉や感覚に引っ張られてしまう。

 にしても、妙でありながらはっきりとした予感のように思えた。


 とすれば、何が終わるのだろうか。

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