第7話

レルマの視点:


「治験ですか? うちのラボでは募集してませんよ」

「えぇ?」

 僕は「治験」のことを問い合わせるために、事務室に来ていた。ここに来れば治験の内容がわかると思ったから。けれど答えはノーだった。

「そもそもうちは、そういうラボじゃあありませんから」

「でも、さっき会ったんです。入院着の、治験の参加者の人で、ヴァーデルラルドさんに誘われて参加したっていう人に……」

「なっ……! またあの人は勝手に……」

 事務の人は両手で頭を抱えた。どうやら事務の人も知らなかったみたい。

 ということで、ここでの収穫はなかった。それでもやることはまだある。僕は人のいない廊下に出て、「ねぇおしりちゃん」と宙に向かって呼びかけた。すると天井からツルが伸びてきて、僕の目線の高さにまで降りてくると、そこからにょきりと唇が現れた。

「呼んだか」

「うん。おしりちゃんは何か治験のことについて知らない?」

「知らんな。そんな話聞いたことがない」

「そうなの? でもおしりちゃんって、ラボ中のことがわかるんじゃないの?」

「俺だって常にすべてに意識を向けているわけでない……もしかしたら、ヴァーデルラルドは、実験室の中でその話をしていたのかもしれないな」

「うーん、というと?」

「このラボには、この俺にも立ち入れない領域があるのだ。その一つが実験室だ。あそこではなぜか俺の植物がすぐに枯れてしまう。何か特殊な物質を撒いているのだろう」

「そっかぁ」

 僕はまた落胆した。それでもまだ、やることはあった。

「おしりちゃん、一つお願いしたいことがあるんだけど」

「なんだ」

「ミィニャちゃんのことを調べてほしくて」

「ほう?」

 ミィニャちゃんの方をチラリと見ると、ミィニャちゃんはじっと僕の方を見ていた。僕はおしりちゃんに向き直って続けた。

「おしりちゃんも見てたよね? 今のヴァーデルラルドは不死身なんだ。ミィニャちゃんも。こんなのって普通の生き物じゃありえないよ。それで、僕思ったんだ。ヴァーデルラルドとミィニャちゃんはおんなじように再生した。ヴァーデルラルドとミィニャちゃんは、詳しくはわからないけど、同じような状態になってる。だからミィニャちゃんのことを調べれば、ヴァーデルラルドのこともわかるんじゃないかって」

「ほう。しかし、どうやって俺がこいつのことを調べるのだ?」

「ミィニャちゃんのことを調べるのは、研究員の人にやってもらおうと思ってる。おしりちゃんに教えてほしいのは、どの研究員さんに頼めばいいかってこと。ここには研究員の人が多すぎて、誰に頼めばいいのかわからないんだ。でも君なら僕よりもこのラボのことをよく見てるから、誰に頼めばいいかわかるんじゃないかって思って」

「なるほどな……誰に頼もうと同じだと思うが……」

 その時、廊下を一人の研究員の人が歩いてくるのが見えた。おしりちゃんはカサリと音を鳴らして、僕の耳元で「良い案がある」と囁いた。おしりちゃんは続けた。

「こいつの調査はあの研究員に頼め。普通に頼んだところで『はいやります』と言うとは思えないから、俺が協力してやろう。お前、鋏は持っているか?」

「え、うん。持ってるけど……」

「ならいい。今から俺があいつを縛り上げる。お前は鋏で助けるんだ。そこで恩を売れ」

「えっ、でも、そんなこと……」

 僕が何も言わないうちに、おしりちゃんは天井に引っ込み、代わりにその研究員の人の元に巨大なツルの束が現れた。ツルの束は研究員の人の手足に絡みついて、あっという間に動きを封じてしまった。手首もきつく縛り上げられて、端末で助けを呼ぶことすらできない状態だった。そんなことされたら、助けるしかないじゃないか!

「だっ、大丈夫ですか!」

 僕は駆け寄って行った。あの研究員の人はさぞ驚いて、困っていることだろう。僕は早く助けなければと思った。しかしその人は、僕の予想と違って、こちらの顔を見るなり「お前は!」といかにも憎々しそうな声で叫んだ。僕は「なんですか……」と言いつつ、少し記憶を辿って、すぐに思い至った。この小柄で柔らかい素材のブラウスを着た人は、今朝書類を届けた時の!

「フーレさん!」

「そうだよ!」

 その人は力強く肯定した。

「どうして最初に発見するのが、よりにもよってお前なんだ……!」

「あの、僕たち初対面ですよね? なんでそんなふうなんですか」

 僕は、この人を助けたとして、頼み事をする気がすっかりなくなってしまった。しかし、この人のその向こうから一つの目玉がこちらを見ているのに気がついて(多分おしりちゃんだ)、僕は屈んでハサミを取り出した。

「なっ、なんだよ……お前がそれ切れるのか……?」

「まあ……僕清掃員なので」

「ふんっ……今回だけだからな、助けられてやるのは……」

 僕は黙って作業を続けた。けれど、今回おしりちゃんはかなり張り切ってくれたようで、束は太く、なかなか切り終わりそうになかった。僕が今持っているハサミが、緊急用の小さなものだったからというのもあると思う。少し気まずくなってきたので、僕は話しかけてみることにした。

「フーレくんはさ……」

「フーレ『くん』!?」

「いや、だって君、僕に対して『お前』呼びだし、ため口だから……それにきっと、このラボにいる期間でいえば僕の方が長いから、僕の方が先輩だよ?」

「くっ……まあ……それもそうだな」

「まあ、僕は、先輩か後輩かで態度を変えるのはどうかと思ってるけど……」

「僕もお前に対して敬語は使わないからな!」

「え? うん……それは別にいいけど、でも『お前』はやめてほしいな。僕の名前はレルマ……」

「知ってる!」

「あ、そうなんだ……」

 やりづらいなぁと内心思いながら、僕は作業を続ける。束の残りはもう半分くらいだった。

「おま……レルマはさ……」

「うん?」

「なんでそんなにイェレイさんと仲がいいんだ」

「うーん、入った時期が同じだからかなぁ?」

「はあ?」

「僕が道に迷っちゃって、偶然話しかけたら意気投合して、そのまま仲良くなったって感じ?」

「はあああ〜〜〜〜〜〜?」

「フーレくんも、仲良くなりたいならお茶でも誘ってみればいいのに」

「そっ、そんなことできるわけないだろ! あの人がどれだけ忙しいと思ってるんだ!」

「うーん、誘えば結構来てくれるけど……」

「キィいいいい〜〜〜〜〜! お前ごときにイェレイさんの貴重な時間があああ〜〜〜〜!」

「『お前』はやめてね」

 残りのツルはあと少しだった。

「あのさ、フーレくんはなんでそんなにイェレイくんのことが好きなの?」

「好き? 好きだって!? 僕のあの人に対する気持ちを、そんな低俗な言葉で表すなんて!」

「え、ごめん……」

「まあ、でも、あえて? その言葉を飲み込むとして、その理由を話すとすれば? そうだな、僕をはじめて認めてくれた人だからだな」

「はじめて?」

「僕は小柄だからいつも舐められるんだよ。レルマも細いしちっちゃいし、わかるだろ?」

「うーん……?」

「あっ、そうか、レルマはいつも青い服着てるから……!」

「そうだねぇ。派手な色の服って、なんでかわからないけど、それだけですごいひと扱いだもんねぇ。フーレくんも派手な色着てみたら? ショッキングピンクとか……」

「ないね! 僕はこの服が気に入ってるから!」

「そっかぁ、それじゃ仕方ないね」

「そうだよ! ……で、話戻すけどさ、舐められるせいで、なかなか人に話、聞いてもらえないんだよ」

「うん……」

 ツルはすべて切り終わったけれど、僕は相槌を打って続きを促した。

「お行儀よく主張したら当然無視されるし、かといって、大きな声で主張しても『うるさいのがギャーギャー言ってる』ぐらいにしか思われないし」

「うん」

「みんな、内容なんて二の次なんだ。僕が言ったこととまるっきり同じことを別の人が言って、その意見が採用されたことだってあるし」

「うん」

「それで、どうにかしようと思って、ずっと必死にやってたんだ。僕なりにね。そしたらいつの間にか、こんな、なんていうか……そう、攻撃的。攻撃的な喋り方しかできなくなってて」

「うん」

「それでさらに避けられて、話聞いてもらえなくなってさ……」

「うん」

「それに、自分でも難しい性格してるっていう自覚あるからさ……」

「自覚あるんだ……」

「あるよ自覚! むしろ僕が一番自分の難しさわかってるよ! わかっててもどうにもならないんだよ……」

「うん……」

「そう、それを自分でわかってるからさ、これから先の人生ずっと孤独なんだって……孤独でも結果さえ出せばみんな僕の存在を認めるから、それでいいって思ってた」

「うん……」

「でもイェレイさんだけは違った。こういう僕とも対等に話してくれた」

「うん」

「話、聞いてくれたし、理解もしてくれたし、僕の実力もちゃんと認めてくれた」

「うん」

「僕のこの性格もさ、その他大勢には嫌われてるけど、イェレイさんだけは認めてくれたんだ。『君のその強さは魅力だよ。僕はいつも自信がないから羨ましいなぁ』って。ま、イェレイさんは謙虚すぎると思うけどね!」

「そうだねぇ」

「そういうわけだからさ! 僕はその他大勢に嫌われても、イェレイさんだけが認めてくれればそれでいいってわけ!」

「そっかぁ、なるほどね。でもそれでいいのかなぁ?」

「は?」

「世の中にはもっと、君の話を聞いてくれる人がいるはずだよ。イェレイくん『だけ』って言っちゃうのは……ちょっともったいないんじゃないかな?」

「はあ……?」

「ごめん、今のはおせっかいだったね。それじゃあ……」

 僕がハサミをしまって立ち上がると、フーレくんは「待てよ」と僕の腕を掴んだ。

「なっ、なに?」

「もう行くのかよ。何かお礼させろよ。これ、切ってくれたし、話……も聞いてくれたから」

「えっ、ああ、お礼……」

「別に、借りがある状態が気持ち悪いからやるだけだからな! 何かしてほしいこと言えよ。お菓子でも送ればいいのか? 何が好きなんだ? ええ?」

「えっ、それじゃあ……」

 フーレくんごしに、おしりちゃんの目玉と目があう。

「ミィニャちゃんのこと、調べてくれないかな?」

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