第3話
レルマの視点:
ヴァーデルラルドについて僕が知っていることは、そんなに多くない。長らく停滞していた「地球再生プロジェクト」を一気に推し進めた僕らの救世主。「百年後も地球を住める環境にする」という非現実的かつ高尚な理想を掲げる「理想主義者」でありながら、一方で誰よりも現実を見ている「現実主義者」で、目的のためならばどんな手段も選ばない「超合理主義者」である。そんな性質から苛烈な人なのかと思えば、本人は穏やかで慈愛に溢れていて、まるで揺籠のような人である。メディアに出演することもあり、その柔らかい物腰からお茶の間人気も高い……そんなところか。
とにもかくにも、まずは聞き込みからだと思った。というより、それ以外の方法が思いつかなかった。辺りにいる人に手当たり次第聞き込んで、少しでも手がかりになるものはないか、探してみようという魂胆だった。
一、二時間くらいは粘ったと思う。けれど、収穫はゼロだった。みんな、自分が入社してからヴァーデルラルドはずっとあの調子で、何も変わったところははないと、口を揃えて言った。まだそんなに時間は経っていないはずだけど、あまりの手がかりのなさに、僕はもう「お手上げだ」と言いたい気分だった。
代わりに、収穫と言えるかわからない情報ならあった。何人かの研究員の人たちから「イェレイなら変わった」と言われたのだ。もっと具体的には、「イェレイの『ヴァーデルラルドに対する』接し方が変わった」と。その人たちによれば、今のイェレイくんのヴァーデルラルドに対する態度は、なんだか妙に冷めている、らしい。それどころか軽蔑するような眼差しさえ向けることがあるとも言っていた。原因は何も思い当たらないとも言っていたけれど。
イェレイくんの態度。確かにそれなら、僕にも心当たりがあった。たとえば一緒にランチを食べる時。昔のイェレイくんはいつも、心底楽しそうに、ヴァーデルラルドの話をしてくれたのだった。「今日のボスはかっこよかった」「今日のボスは会議中に天然ボケ発言していて可愛かった」「今日は体調の心配をしてくれてドキドキした」なんて具合に。それがある時を境に、ぱったりと、その話しなくなってしまったのだった。褒めなくなった、どころではなく、話題にすら出さなくなったのだ。
確かに、「ヴァーデルラルドに関する」態度が変わったことについては、僕も少し引っかかる。けれど、時間が経つにつれて尊敬する人への気持ちが落ち着くなんて、よくあることな気もする。それに、今まで強く尊敬していた反動で、何かのきっかけで軽蔑の感情まで生まれてしまうのも、まああることだと思う。僕にはこれが、今回の件に関係しているとは思えなかった。
「ミィニャちゃん、イェレイくんが変わったっていう話、今回のヴァーデルラルドの件に関係あるのかなぁ?」
驚いたことに、ミィニャちゃんははっきりと頷いた。
「えぇ? そっかぁ。まあ確かに、何が手掛かりになるかわからないもんねぇ。一応イェレイくんのことも気にしておこっか……」
そうは言ったものの、僕はまったく気が進まなかった。イェレイくんのことが今回の件に関係しているとは思えなかった、という理由もあるけれど、何より、僕の友達のことをこそこそ調べてまわるのは、友達としての信頼を裏切ることになる気がしたから。
だけどその考えは、その後すぐに変わることになった。同じように聞き込み調査を続けていたら、イェレイくんが、すごく焦った様子で、息を切らしながら僕たちのところに走ってきたのだ。「あれ?」と思っていると、イェレイくんは僕の肩を強く掴んで言った。
「レルマくん! ボスのこと調べてるって本当!?」
「え? ああ、うん、本当……」
「今すぐやめて!」
「え? どうして……」
「どうしてって……それは……その……」
イェレイくんは言い淀んだ。
「とにかく、危ないから! そう、危ないの! だから絶対にこれ以上その話を聞いてまわるのはやめて!」
「だけど……」
「お願い……」
「……」
少しの沈黙の後、イェレイくんは僕の肩を離して、うなだれた。
「ごめん、言いたかったのはそれだけ……ごめんね、いきなりこんなこと……」
「ううん、いいよ、そんな……」
「じゃあ僕はもう行くね……レルマくん、ミィニャのこと見てくれて本当にありがとう……この後もお願いできるかな……?」
「うん、それはもちろん!」
「ありがとう。じゃあ行くね……」
そう言うと、イェレイくんは早歩きで去っていった。僕はミィニャちゃんを抱えて、ぎゅっと抱きしめる。
悲しいけれど、今の態度で僕は確信した。イェレイくんは何か知っているし、何か隠している。だって普段のイェレイくんなら、どんなに忙しくても、どんなに説明しづらいことでも、わかりやすく、ちゃんと順序立てて、理由を言ってくれるから。あんなふうに言い淀むのは、何か嘘をついている時だけだったから。嘘をつくのが苦手で、適当なことを言って誤魔化せないところを僕は好ましく思っていたけれど、今回ばかりはそれが悲しかった。だって、イェレイくんのことを「怪しい」と思いながら「調べ」なくちゃいけないことになるから。
「イェレイくんが変わったのに気づいたのは……確か食堂に冷やし中華が出始めた頃だったと思うから、今からちょうど一年前かな」
特に意味もなくミィニャちゃんに話しかけてみる。イェレイくんが怪しいとわかってもなお、僕にはどうすればいいかわからなかった。僕は探偵じゃない。捜査の仕方なんてわかるわけがないのだ。せめて探偵小説はたくさん読んでおけばよかったと、してもしょうがない後悔をする。
「一年前にイェレイくん……それかヴァーデルラルドの周りで何があったか調べればいいってことかなぁ……」
「調子はどうだ」
「うわっ、シリ!」
考え込んでいたからか、目の前に植物でできた唇、シリが近づいていたことに気が付かなかった。
「さっきのはイェレイとかいう奴だな? あいつは怪しい。お前たち、あいつを調べろ」
「それはやろうと思ってるよぉ。でもどうすればいいか……」
「ふん、情けない奴め」
「情けないってさぁ……そういうシリは何か知らないの?」
「知らん。ヴァーデルラルドに異変が出るまで、この研究所を調べようなどとはつゆほども思わなかったからな。当然だろう」
「じゃあ一年前の出来事とかも」
「当然知らん」
「そっかぁ」
シリに聞いても、ヒントになりそうな手がかりはないようだった。それならもうだめじゃないか。
僕は、気分転換も兼ねて、話題を変えてみることにした。
「ねぇシリ。シリのこと、おしりちゃんって呼んでもいい?」
「なんだと?」
「僕なりの歩み寄りだよ。そっちの方がかわいいし。だめかな?」
正直ダメ元だったけれど、シリは三秒くらい「むむむ……」と悩んでから「まあいいだろう」と了承してくれた。あ、いいんだ。ということで、シリはおしりちゃんになった。
「そういえばおしりちゃんは、どうしてヴァーデルラルドを探したいの? ヴァーデルラルドは君のことを倒したんでしょ? ヴァーデルラルドって、君の宿敵じゃないの?」
「宿敵? 何を言っている。奴は俺の嫁だ。嫁に会おうとするのは、結婚した者として当然だろう?」
「嫁? 結婚?」
「なんだ、下っ端には知らせていないのか? ヴァーデルラルドの奴もけしからんな。俺と奴は和解し、最終的には結婚したのだ」
「……?」
「俺と奴は結婚……」
「ああわかった、それはもういいよ。おしりちゃん、ヴァーデルラルドさんのこと好きなの?」
「ああそうだ。俺たちは愛し合っている。一度倒されたのも事実だが、ここに留まっているのは俺の意思だ」
「なんで?」
「ヴァーデルラルドが俺のすべてを受け入れたからだ」
「ええ……?」
「元々俺がこの世界に来たのは、どこにも居場所がなかったからだ。俺は名家の落ちこぼれとして勘当され、どこにも行くあてがなく、皆から馬鹿にされていた。だからこの世界に来て、力を示そうとしたのだ」
「力を示すためにここで暴れたってこと?」
「そうだ」
「えぇー……」
「しかしここでも敗れた。ヴァーデルラルドとその部下たちによって、俺は捕えられたのだ。捕えた俺をどうするか。多くの者は殺すべきだと言った。俺は殺されようとしていたのだ。まあ当然だろうな。あんなことをしたのだから。俺は自分の行いを後悔しながら、心臓が切り刻まれるのをただ待っていた。しかし、ヴァーデルラルドは周りの声を制止し、俺を許したのだ。『あなたは素晴らしい力を持っている。どうかその力を、私たちのために使ってくれないか』と。こんなことを言われたのは初めてだった。奴は初めて、この俺を認め、受け入れたのだ。だから俺は、このヴァーデルラルドのために、ここに留まり、力を分け与えることにした」
「でも『結婚』まではすることないんじゃないの?」
「俺が奴に力を貸す代わりに、ヴァーデルラルドに結婚しろと条件を出したのだ。そして奴はそれを受け入れた。だから結婚した。それだけだ」
「君から申し出たんだ? でもなんで結婚……?」
「俺が結婚したかったからだ。俺はあいつを愛したし、結婚してこそ、一人前の男だからな」
「なるほど……?」
「だからこそ、俺は一刻も早く、本物のヴァーデルラルドを探し出したいのだ」
「偽物のヴァーデルラルド本人に問い詰めたりはしないの? 本物はどこに行ったのって。君の力ならできるんじゃない?」
「そんなことをして、奴がもう来てくれなくなったらどうする。俺は地下室から動けない身なのだぞ」
「え、でも偽物でしょ? 偽物でも来てくれる方がいいってこと?」
「そうだ。魂の形が違くとも、かける言葉、振る舞いは、元のヴァーデルラルドそのものだからな。無いよりずっとマシだ」
「偽物でも好きなの?」
「そうだ。たとえ偽物だとしても、俺は奴を愛している」
「ふーん、よくわからないなぁ」
「何がよくわからないのだ」
「うーん、全部」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます