第2話

レルマの視点:


 それでもとりあえず、書類だけは届けようと思った。それから、できればイェレイくんに、さっき聞いたあの話を伝えようとも。

 会議室をノックすると、中から小柄な、柔らかい素材のブラウスを着た人が出てきた。その人は僕たちを見るなり「うわっ」と言った。それから、「お前はミィニャに、イェレイさんと妙に仲がいい清掃員!?」とも。いきなりお前だなんて失礼な人だとは思ったけれど、それについては無視した。だってその時はそれどころじゃなかったから。

「イェレイくんはいる? この書類を渡したいんだけど……」

「イェレイ『くん』だって!? お前イェレイさんになんて呼び方を! くそっ、イェレイさんなら中にいるけど」

 その時、中からイェレイくんが「どうしたの、フーレ?」と出てきた。この小柄な研究員の人は「フーレ」という名前らしい。イェレイくんを見るなり、フーレという人は、さっきまでとはまるで態度を変えて言った。

「あぁっ、イェレイさぁん! あのですねぇ! 実はミィニャちゃんとこの清掃員の方が……」

「えっ! ミィニャとレルマくんが!?」

 イェレイくんは僕たちを見てすぐに状況を理解したようで、「書類持ってきてくれたの!? うわぁ〜! 本当にありがとう!」と少し大袈裟に喜んでいた。「ミィニャちゃんが持っていこうとしてたんだ。僕はそれをちょっと手伝っただけだよ」と僕が言うと、イェレイくんは「さすがぼくのミィニャ!ミィニャはやっぱりいいこだね! よしよーしよし、いっぱいなでてあげる!」なんて言って、ミィニャちゃんを撫でていた。それから、「レルマくんも本当にありがとうね!」とも。僕は、イェレイくんに感謝されたことと、イェレイくんのミィニャちゃんに対する溺愛っぷりにほっこりして、ずっとにこにこしていた。

「じゃ、夜になったらちゃんとお部屋に帰るんだよ! いい子にしててね!」

 イェレイくんはそう明るく言って手を振ると、会議室の中に戻って行った。フーレという人はといえば、「ヴァーデルラルドを除いたらこのラボで一番偉いイェレイさんがお前ごときにべったりなのも意味わからないし絶対何かの間違いだし可愛さで言ったら僕だって相当上だろうがよ……」と(驚いたことに僕は全部聞き取れたのだけれど)早口で言ってから、「ふん! イェレイさんならあの書類なんかなくても、うまく会議を進めていたからな!」と言って去っていった。ヴァーデルラルドの話を言いそびれてしまったのに気づいたのは、その後だった。



 あの後、イェレイくんは忙しくてどうやっても捕まりそうになかったから、僕はあの件をテキストメッセージで伝えることにした。本当は口頭で伝えるのがいいと思ったけれど、仕方がない。

 僕は少し不安だった。というのも、イェレイくんはヴァーデルラルドのことがすごく好きだったから。イェレイくんのヴァーデルラルドに対する心酔っぷりはこのラボで有名だった。だから、もしかしたら、イェレイくんはこの話を信じないかもしれないと思った。あるいは、信じたとしても受け入れないかもと。

 けれど意外にも返事はすぐに来た。内容は短く、「わかった。教えてくれてありがとう」とだけ。僕の話を信じてもいるし、受け入れてもいるようで、僕はひとまず安心した。それからすぐに、追加のメッセージも来た。「僕は仕事があるから、昼間の間はレルマくんがミィニャのことを見ていてくれるかな?」って。僕は二つ返事で「もちろん!」と返信した。

 と言っても、特にやるべきことは見つからなかったから、僕たち二人はラボの中を散歩することにした。とにかく僕がそばについていれば、ひとまずミィニャちゃんの安全は確保できると思ったから。

 と、そんなことをしていたら、再び事件……と言っていいかはわからないけれど、おかしななものに遭遇した。人のほとんどいない廊下に来たところで、突然頭の真上から声が聞こえたんだ。「そこのお前、止まれ」って。

 見上げると、不自然な形で、天井から太いツルの束が垂れ下がっているのが見えた。そのツルの一番先はくにゃくにゃと曲がり、唇のような形を作っている。僕たちが見ていると、そのツルはさらに伸びてきて、唇は僕の目の前まで降りてきた。なんだろうこれ。僕はこのおかしな植物を上司に報告しようとしたけれど、端末を取り出そうとしたところで、その唇に「待て」と言われた。ミィニャちゃんも僕の裾をひっぱって頷いたので、僕は端末をしまい、その植物に話しかけてみることにした。

「こんにちは。君は誰? ていうか、君が喋ってるのかなぁ?」

「ふん、驚いたか」

 唇が動く。

「いやぁ、そうでもないかも。緑の巨人が来た時の方がびっくりしたかなぁ。ていうか君は誰?」

「ふん、俺こそがその『緑の巨人』なのだがな」

「え?」

 むちゃくちゃなことを言っていると思った。

「それって嘘だよ。だって緑の巨人って、みんなに倒されて、今は地下室に閉じ込められてるんだから」

「馬鹿言え。これが俺本体なわけないだろう。これは俺の分体だ」

「ばかって君さぁ……」

 言っていることはむちゃくちゃだし、何よりさっきからずっと偉そうなので、僕はやっぱり、このおかしな植物を早く上司に報告してしまおうと思った。けれど、連絡のための端末を出そうとしたところで、「待て待て待て待て!」と、さっきよりも強めに止められた。

「それよりもお前たちはレルマにミィニャだな? 俺の名は『シリ』。俺に協力すれば、お前たちの願いを叶えてやろう」

「願いなんてないよ」

「いいや、必要なはずだ。なぜならそこの黒いのは、三日後にヴァーデルラルドに殺されるのだからな」

「……知ってるの?」

「ああ。この研究所の花々はすべてが俺の目、耳、手足のようなものだ。お前たちの言うことすること、すべて手に取るようにわかる。この研究所自体が俺なのだ」

「それは気持ち悪いなぁ」

「もちろん、ヴァーデルラルドの話も聞いていた。そこの黒いの、お前は三日後に実験に使われ殺される」

 ミィニャちゃんは頷いた。

「ヴァーデルラルドは手段を選ばない男だ。何がなんでも、お前を手に入れようとするだろう。そんな男を相手に、そこの青いお前、お前は黒いのを守れるのか?」

「うーん……」

「そこでだ。俺と貴様たちで手を組もうというわけだ。俺がお前たちを守る代わりに、お前たちは俺に協力するのだ」

「うーーーん……」

 僕は天井を見る。

「ミィニャちゃんはどう思う? この人と手を組んだ方がいいのかな?」

 僕が見下ろすと、ミィニャちゃんはゆっくりと頷いた。「えっ、本当に?」と僕が言うと、ミィニャちゃんはさらにもう一回頷いた。

 それからミィニャちゃんは、シリに続きを話すよう顎で促した。顎で促されたのが気に入らなかったのか、シリは「貴様この俺になんという態度!」と唇を赤くさせたけれど、すぐに「まあいい」と元に戻った。

「話を続けよう。俺の望みは、『本物のヴァーデルラルド』を探し出すことだ。それに協力するのなら、お前たちを守ると約束しよう」

「待って」

 話が急すぎる。

「『本物のヴァーデルラルド』ってどういうこと? じゃあ今のヴァーデルラルドは偽物ってこと?」

「ああ。今の奴は、別の何者かが成り代わっている」

「えぇ……?」

「確かに姿形は奴そっくりだ。しかし『魂』の形が違う」

「タマシイって……」

 今度こそ、本当に胡散臭い話が出てきてしまった。どうしようと思って足元を見ると、意外にもミィニャちゃんは真剣そうにシリの方を向いていた。ミィニャちゃんは僕が見ているのに気が付くと、シリの方にくいっと顎を動かした。「いいから話を聞いて」ということなのだと解釈して、僕はシリの方に向き直った。

「しかし、本物のヴァーデルラルドが生きていることもまた、微かに感じる『魂の波動』でわかる。だから俺は本物を探し出したいのだ」

 やっぱりとても信じられない話ではある。けれど僕は、ミィニャちゃんに免じてとにかく話を聞いてみることにした。

「じゃあさ、その、魂の波動? がわかるなら、それを辿っていけばすぐに見つけられるんじゃないの?」

「魂の波動は俺本体しか感じとることができない。つまり、分体経由ではどれだけ動き回ろうと、波動の変化を感じとることはできないのだ」

「本体は動けないの?」

「馬鹿言え。俺はバラバラに切り刻まれたのちに地下室に幽閉されたのだぞ」

「そうだったね」

 会話が途切れた。けれどすぐに、ミィニャちゃんが軽く頭突きしてきた。足元を見る。そういえばミィニャちゃんは、さっきもこの人と手を組んだ方がいいと言っていた。ミィニャちゃんはこの人の話に妙に協力的だ。僕は少し考えて、それからシリの方を見た。

「じゃあさ、もし僕たちが協力したとして、君はどうやって僕たちを守ってくれるの?」

「それならば心配ない。俺の草花でお前たちを守ろう。こうやってな」

 シリがそう言うと、突然天井から巨大なツルの束が伸びてきて、僕を締め上げて宙吊りにした。僕は全く身動きが取れなかった。

「うわ! うわうわうわ! すごいパワー! うん! わかった! わかったから早くおろして! 苦しい……!」

「はっはっは、恐れ入ったか!」

 僕は解放されて、「すごいねミィニャちゃん、確かにこれなら安心できるかも」と下を見て言った。ミィニャちゃんは頷いた。このパワーを見て、僕の気持ちはすっかり変わってしまった。僕は少し考えてから、最終的な結論を出した。

「協力者は多い方がいいし、それに、本物のヴァーデルラルドが見つかれば、ミィニャちゃんを殺そうとしてる偽物のヴァーデルラルドをどうにかすることもできるよね」

 ミィニャちゃんは頷いた。

「あと僕たち暇だし」

 ミィニャちゃんはまた頷いた。それを見て僕はシリの方に向き直った。

「僕たち協力するよ。本物のヴァーデルラルドのこと、探してあげる」

「おお」

「その代わり、僕たちのこと、ちゃんと守ってよね」

「ああ、約束する」

 シリがそう言うと、天井からまた別のツルが降りてきて、手の形にくにゃくにゃと曲がった。僕はそれを握って、「約束だよ」と言った。握手が済むと、手の形をしたツルは天井に戻っていった。

「さて、それじゃあ行こっかミィニャちゃん」

 ミィニャちゃんは頷いた。

「でも何からどうすればいいかはサッパリだなぁ。どうしようミィニャちゃん」

「まずは今のヴァーデルラルドの身辺を探ってみたらどうだ。奴の正体がわかれば、自ずと本物のヴァーデルラルドにも近づけるだろう」

 シリが言う。

「それもそうだね。頑張ってみるよ」

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ミィニャ 立川てつお @ttachikawa

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