ミィニャ

立川てつお

第1話

レルマの視点:


 僕はとあるラボの清掃員。名前はレルマ。二十四歳。高校を卒業してすぐにこの仕事に就いた。この仕事は気に入っていて、毎日楽しくやっている。ラボ中にびっしり生えた植物をどうやって処理していくかを考えるのは、結構頭を使う。

 僕の職場は、街から少し離れたところにポツンと建っている。赤黒い霧の中に、いきなり真っ白の四角い建物が現れるものだから、知らない人が見たら少し奇妙に見えるかもしれないね。建物の中も同じように真っ白で、白い壁、白い床、白い服を着た、白いフルフェイスガスマスクの研究員の人たちと、本当に何もかもが白い。ただ一つ、壁一面に張り付いている蔦と花だけが、奇妙なくらいに色鮮やか。僕にはそれが生々しくて、少しグロテスクに見える。

 そうそう、僕はいつもブルーのツナギを着ているから、僕も数少ない「色鮮やかな」ものの一つだね。これは僕がブルーカラーの仕事をしているからこういう服を強制されている……なんてことはなくて、同じ清掃員でも大体の人は白い服を着ている。誰が決めたわけでもないけれど、みんな白い服を着ているから、みんなそれに倣っているだけなんだと思う。でも僕は青色が好きで、青色(それと差し色のオレンジのスカーフ)こそが僕らしいと感じるから、こういう格好をしている。まあ、ブルーカラーの仕事に誇りを……なんて政治的なメッセージも、ないことはないんだけど。あと、マスクはしない主義!

 そうだ、これを読んでいるみんなは、どうしてラボ中に植物が生えているのか、気になったかもしれないね。これに関しては、実は僕もよくわかっていなくて。いきなりファンタジーな感じの話になるんだけど、三年前、このラボのすぐ近くに、突然緑色の大きな巨人が現れて、そいつが大暴れしたんだ。それだけでもおかしなことなんだけど、もっとおかしなことに、そいつが暴れた跡には草とか花が大量に咲いていて。きっとそれが、その巨人の能力だったんだろうね。まあそれはよくて。巨人が暴れるのは困るから、みんなで協力してなんとか捕まえて。殺してしまおうっていう話も出たらしいけれど、この汚れた世界で植物は本当に貴重で、みんな喉から手が出るくらいそれを欲しがっていたから、生捕りにしてなんとか役に立ってもらおうっていうことになったみたい。それからずっと、このラボには植物が生えている。

 そんなことはどうでもよくて、僕とって一番大事なのは、このラボには「ミィニャちゃん」っていう素敵な友達がいること。ミィニャちゃんは小さな黒い猫みたいな見た目で、僕の友達のイェレイくん(このラボで二番目に偉い人!)が連れてきたペットなんだって。猫みたいだけど本当は猫じゃない、不思議な子。ミィニャちゃん専用の部屋もあるけれど、イェレイくんは「ずっと閉じ込めておくのはかわいそうだから」って言って、このラボの中を自由に歩けるようにしてくれている。おかげで僕はミィニャちゃんと一緒に遊ぶことができるんだ。

 ミィニャちゃんは喋れないけれど、すごく頭がいい。例えば僕が転んで怪我をした時、ミィニャちゃんは壁に生えていた花を二つ取ってきて、それを擦り潰してから、僕の膝に塗ってくれたんだ。すると僕の怪我は、たちまちのうちに治っちゃった。実はその二種類の花を混ぜて潰すと薬になるんだけど、ミィニャちゃんはそれを知っていてやったってこと。本当に、ミィニャちゃんはどこでそんなことを知ったんだろう。ミィニャちゃんは物知りなんだ。

 他にも、ミィニャちゃんは僕の誕生日に「粋な」プレゼントをしてくれたことがある。アズーリアっていう綺麗な青色の花があるんだけど、ミィニャちゃんはそれにオレンジのリボンを巻き付けて渡してくれたんだ。青色とオレンジって僕のイメージカラーだからそれだけでも嬉しいのに、後で同僚のピェーリに聞いたら、「アズーリアの花にオレンジのリボンを巻き付けるのは『永遠の友情』を意味するんだぜ」って教えてくれた。それを聞いて、僕は本当に感動して、嬉しくなっちゃった。





 その日はシフトじゃなかったけれど、ミィニャちゃんに会いたくて僕は朝からラボに来ていた。ミィニャちゃんの部屋に向かっていると、廊下の向こうからイェレイくんが歩いてくるのが見えた。仕事の時間にイェレイくんと会えるのは珍しい。少し嬉しく思いながら声をかけようとしたら、向こうから先に「おはよう、レルマくん」と挨拶をしてくれた。イェレイくんはいつものように、パリッとのりの利いたシャツに、淡い水色のネクタイ、その上に、白衣にも見えるような、汚れ一つない真っ白なコートを着ていて、どこか爽やかさを感じさせる空気をまとっていた。(そう、イェレイくんは爽やかなんだ!)

「レルマくんは今日も仕事?」

「ううん、今日はシフトじゃないけど、ミィニャちゃんに会いたくて来ちゃった!」

「そっか、それは嬉しいな! ミィニャならさっき朝ごはんを食べたばかりだから、まだ部屋にいるんじゃないかな。ぜひ会いに行ってあげてよ」

「うん! そうする!」

 僕がそう言うと、数人の研究員の人たちがイェレイくんの元にやってきた。

「すみませんイェレイさん! このプロジェクトについてなんですが……」

「すみませんイェレイさん! この機器に問題があって……」

「すみませんイェレイさん! 家庭の問題で相談したいことが……」

 囲まれたイェレイくんは、僕に「ごめんね」と断ってから、研究員の人たち一人一人に丁寧に対応し始めた。人気者なんだなぁとぼんやり眺めていると、イェレイくんは時計を見て「ごめんね、もう行かなくちゃ」と言った。研究員の人たちに「この件についてはあとでメッセージ送るから」と、それから、僕に「あとでご飯行こうね」と言うと、スタスタと早歩きで去っていった。僕は「またね〜」と手を振りながら、イェレイくんを見送った。けれどそうしている間、残された他の研究員の人たちがみんなこっちを見ていて、少し怖かった。

 ミィニャちゃんの部屋に向かうと、ミィニャちゃんが書類を咥えて歩いてくるのが見えた。イェレイくんも同じ方向から歩いてきた、ということでビビッときたので、僕はミィニャちゃんに「この書類、イェレイくんの?」と聞いた。するとミィニャちゃんは頷いてくれた。やっぱり! 多分、イェレイくんがミィニャちゃんの部屋に書類を置いていってしまったんだろう。(今の時代でも、紙の資料は結構使うんだね。)そのことを聞くとミィニャちゃんはまた頷いてくれたので、二人で書類を届けに行くことにした。ミィニャちゃんが書類を咥えるのは大変そうだったから、書類は僕が手に持って、イェレイくんの居場所はミィニャちゃんが知っているみたいだったから、僕はミィニャちゃんの後をついて行って、二人で会議室を目指した。

 けれど、その途中で事件が起きた。二人で廊下を歩いていると、ある部屋の前で、ミィニャちゃんが突然、ピタッと止まった。ミィニャちゃんに「ここにイェレイくんがいるの?」と聞くとミィニャちゃんは首を振った。けれどミィニャちゃんは、なぜか扉にピタッと耳を寄せていた。僕も真似して扉に耳を寄せる。すると、深みのある、それでいて底知れない感じの、低く落ち着いた声が聞こえてきた。僕は直感的に、きっとこの声は「ヴァーデルラルド」のものだろうと思った。ヴァーデルラルドはこのラボで一番偉い「ボス」だ。

 断片的にしか聞こえなかったけれど、こんな感じのことを言っていた。

「ミィニャを使った実験ですが、三日後に行いましょう」

「あの子は死んでしまうかもしれませんね」

「ですが、人類の知に大いなる貢献ができるのです。これほど喜ばしいことはないでしょう?」

「きっとあの子も嬉しいはずです」

 え? どういうこと?

 扉の中から足音が聞こえたから、僕たちは急いで顔を離した。けれど姿を隠すのまでは間に合わなくて、ヴァーデルラルドとその部下の人とはバッタリ顔を合わせることになってしまった。(声の主はやっぱりヴァーデルラルドだった!)ヴァーデルラルドは、ただでさえ身長が二メートル近くあるのに、それに加えて、他の人以上に人間味の感じられないガスマスクに、白衣というよりも祭服に見えるような、真っ白で装飾の多い大きなコートを着ているから(実際にはポケットと何かの道具かな)、どうにも僕は圧倒されてしまった。けれどヴァーデルラルドは、「おや、ミィニャにレルマさん、おはようございます。いい朝ですね」とだけ言って、すぐにどこかへ歩いて行ってしまった。ただの清掃員でしかない僕の名前が覚えられていることにはびっくりしたけれど、それ以上に、なんなんだ、あの話は。

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