第4話 神の怒り

 彼の予感は当たった。


 小学校へ向かう途中神輿が暴れ出したのだ。神の意志で神輿が動く現象をこの地域では「ぎじむ」と表現する。神輿は12人の男達によって担がれていたが、来た道を戻り田圃に突っ込みかけ、やっと方向転換したかと思えば今度は見物人の列に突っ込んで数人が転倒、打撲、捻挫などの怪我を負った。


 ぎじむ神輿の暴走は止まらず、子どもが一人倒れた神輿の下敷きになりかけた。幸い担ぎ手の一人が庇って無事だったが、直後担ぎ手が傾斜の急な下り坂で転倒し、もう一人は神輿に振り回され吐き気を催し見物人の顔に吐瀉物をぶちまけた。小学校に着く頃には担ぎ手達は滝のように汗をかき過呼吸気味で、腕に力は入らず、脚は棒になり精魂尽き果てていた。


 いつもは校庭で黒龍神と白龍神の2つの神輿が対面し並べて置かれるのだが、今日は白龍神の神輿がなかった。


 黒龍神の神輿はぐらぐらと左右に傾きながら小学校の校庭を出て学校前の道路を、隣町方面へ向かって走り出した。見物人達はこれまでにない神輿の暴れようにどよめき、速度も進む方角も予測不能な上制御困難の神輿のお陰でまた何人も怪我人が出た。更に担ぎ手の一人が橋の上で神輿が傾いた際バランスを崩し川に転落、前日の晩の雨のせいで水嵩を増した濁流に一瞬で飲み込まれた。方々から悲鳴が上がり、妻らしき踊り子の一人が欄干から身を乗り出し発狂して男の名を叫び、自らも川に飛び込もうとし女達に止められていた。髪を振り乱し泣き叫ぶ女、怪我をして痛みに喘ぐ人間達、尚も暴走をやめない神輿——。悪夢のような光景に誰もが恐怖と動揺を隠せなかった。


 龍心は泣き出したい気持ちになった。黒龍は4年も神殿に閉じ込められた挙げ句に、人間達の都合で愛する妹に会うことが出来ず怒り狂っているのだ。


 神輿は側の民家の窓硝子に激突し、飛び散った硝子の破片が目に刺さった担ぎ人がぎゃーと悲鳴をあげ蹲った。更に神輿は路肩で停車していた山車に突っ込み、逃げ遅れた二人の太鼓役が倒れた8tもの重さの山車の下敷きになった。


 風雨は嵐の如く激しさを増し、落雷で山の上の電波塔からは黒い煙が上がっていた。


 見物人は泣き叫び逃げ惑った。阿鼻叫喚の地獄絵図とはこのことかと龍心は思った。


 ぎじむ神輿を20人程の男達で押さえつけどうにか学校の校庭に辿り着いた。校庭に神輿が置かれたとき、満身創痍だった男達は皆一斉に力尽き地面に倒れ込んだ。祭りの初めだというのに既に複数の死人や怪我人、行方不明者が出たこの時点で誰も中止を叫ばないことが却って異様に思える程だった。


 豪雨の中開会の儀が終わると、12部落それぞれの小学生の女子や女性達による小踊りが披露される。


 赤に手鞠模様、緑に木蓮、黄に白菊、水色に桜等部落ごとに鮮やかな着物を纏った、多い場所で100人以上の女達とその娘達が順番に校庭の真ん中に10人1列で並び、三度笠や渦巻き模様の傘を使った傘踊り、二本の太鼓バチを使った踊り、櫂という船を漕ぐ道具を使って踊る櫂踊りや、他にも鳴子や桃の造花等多様な道具を使い部落ごとの伝統舞踊を披露した。この日のため時間をかけ着付けした着物も濡れ、整えた髪は雨で乱れていた。化粧も流れ誰もが目と眉からは黒い血を、口からは赤い血を流している様でありながら、必死に笑顔を絶やさず踊る様子は壮絶で不気味ですらあった。


 CDから流れる囃子に合わせ、女子高生と成人の若い女性数人が後ろで太鼓の音を響かせる。途中踊り子が倒れたが祭りは続行された。


 3時間ほどで全ての部落の小踊りが終わるとお昼休憩となる。本来なら校庭で家族ごとに弁当を食べるが、雨天の為体育館に移動しての昼食となった。


 龍心は食欲がわかず胃も痛んで、叔母が母の代わりに届けてくれた卵焼きだけ食べた。


 昼食後14時から男達の龍権現が始まる。


 太鼓の演奏に合わせ、順番に各部落の龍権現が舞う。部落ごとに囃子のテンポや振りが異なっているのも見所だ。龍権現の傍で部落の小学生の子供達がささらを踊り、囃子が終わると高学年の子供が一人代表でお猪口に注がれた酒を持ってくる。それを権現の頭の口を開閉して飲むふりをし、出し物は終了だ。


 その間も滝のような雨は続いた。


 祭りが終盤に近づいてきた。龍心はこれ以上悪いことが起こらないようにと願っていた。その悪いことが自分や家族や友達等大切な人達に降りかからないようにとも。


 最後の出し物は龍ヶ崎町名物大龍権現だ。


 ショベルカーを使って頭部の長さ5m、高さ10m、重さ2tの巨大な龍権現を操作する。巨大風呂敷の中で重機を操るのはこの道8年のベテラン、龍心のクラスメイトで友人である佐藤謙也の父謙介だった。


 テンポの遅い囃子に合わせ、大龍権現が今にも空に届きそうな巨体を畝らせ踊る。ショベルに繋がれたその頭が振り下げられる時、突風が生まれ砂塵が巻き上がる。拍手と歓声に包まれる中、龍心は気が気でなかった。


 舞が後半に差し掛かった頃、頭の重みでショベルカーがぐらっと右側に傾いた。


「逃げろぉーー!!」


 誰かが叫び皆が駆け出した。3tの材木で作られた黒龍の身体はゆっくりと地面に向かって倒れ、どおおんという地鳴りとともに校庭が揺れた。大量の砂埃が舞い、誰かの耳をつんざくような叫び声が聞こえ駆けつけると、頭の下敷きになった若い男性の姿が見え龍心は身が竦んだ。

 

 すぐに男達が集まり皆でその重い頭を持ち上げ救出したが、男性は血を吐き全身の毛が逆立って既に虫の息だった。


 今日何度目か分からない救急車が到着し男性が担架で運ばれたが、もう助からないだろうと皆感じているようだった。

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