第3話 雷鳴
本殿の前、呉座が敷かれた場所に神輿が置かれている。龍渓が声を張り上げて祝詞を詠み、妻の玲子と息子の龍心によって龍の好物である酒と梨、団子と燕肉の奉納の儀が行われた後、神主である龍渓が、水を司る龍神に五穀豊穣を祈り舞を踊る。
舞の直前龍渓は例年の慣習通り、椀に入った御神酒に口をつけた。
祖父龍然の舞は淑やかで繊細で神への畏敬の念が伝わってきたが、父の舞はそれとは全く異なっていた。
橙色の狩衣姿の龍渓の舞は力強く猛々しく、俊敏な一つ一つの所作に自尊心とエネルギーが漲り躍動感に溢れ、観ている者に恐れを抱かせる程だった。
だが今日の舞は序盤から精彩を欠いていた。脚はよろめき袴の裾を踏んで転びかけ、供物にぶつかり櫃の酒が倒れ御前の果物が呉座に散らばった。人々は顔を見合わせざわつき始めた。
父が朝方まで酒を飲んでいたのを龍心は知っていた。以前祖父が言っていたことは本当だ。父は見かけによらず小心で、不安が高じ酒に逃げるのだと。
途中空が曇り出し、雨粒がぽつぽつと頬に当たった。遠くで雷鳴が聴こえやがて本降りになった。だがこの祭りには、天候の悪化等如何なる理由でも祭りを中止してはならないという掟があった。過去に掟を破った年この地域は壊滅的な水害に襲われたのだという。
舞が終盤に入った頃、龍渓の身体が突然雷に打たれたかのようにのけ反ると、苦しげに唸って蹲り大量の血を吐くと、そのまま倒れてぴくりとも動かなくなった。狩衣の胸元を血で染めた父の眼はかっと見開かれ、歯を食いしばり、般若の如き形相だった。皆が集まる中叔父の龍玄が父の首の脈を取り、龍心と母の方を振り向くと無言で首を振った。
雷が本殿に落ち屋根が割れる音が響いた。
龍心の手を握る母は無表情だった。
父の遺体が運ばれ、叔父と母が警察に対応している間も祭りは続いた。
勢いを増す豪雨の中、道路の両脇に集まる沢山の見物人達の中を、祭囃子を響かせながら華やかな一団が通り過ぎる。龍心の服も履き物も皆と同じくびしょ濡れだった。心臓は早鐘を打ち手脚が細かく震え、額からは冷や汗が吹き出していた。
——父が死んだ。
自分が死ねと願ったせいだ。
いや、きっと偶然だ。どのみち幸運ではないか。父が死んだのだから、母も自分ももう苦しまなくて済む。
そんな相反する思いが胸に渦巻いていた。
やがて龍神の心に一つの大きな懸念が浮かんだ。
父がいない今、この祭りはどうなるんだろう?
基本的に祭りを執り行う権限は神社に——神主である父に委ねられる。祭主を失った今、代わりを務めるのは叔父になる可能性が高いが、叔父も手を離せないとなれば代わりは龍心しかいない。しかし小学生の彼には荷が重すぎて、この事態をどう処理すべきかなど見当もつかなかった。
何より龍心は気掛かりだった。
妹に逢えなかった黒龍は怒りはしないだろうか。
祖母のあの言葉が蘇る。
轟く雷と降り頻る雨の中、龍心は前列の子供に合わせ機械的に踊りながら、大きな恐怖と不安に苛まれていた。
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