死んだはずの彼女は、なぜか僕の部屋に居座っている

エカチェリーナ3世

奈雪セツ


 ヒュ〜〜〜…………ドン



 笛花火が鳴り、少し遅れて爆発音が鼓膜を叩く。火花が散り、周囲を鮮やかに彩った。


 だがその光が、隣に彼女を照らすことはない。まるで、彼女だけが世界から切り離されてしまったかのようだ。


 周囲の景色から彼女は、恋焦がれるように夜空に咲く花を眺めている。


 その横顔を永遠に見つめていられたらと、そう思わずにはいられない。


 でも、こうして隣に居られるだけでも奇跡なのだ。永遠どころか……須臾の間に終わってしまうかもしれない、そんな儚い時間でしかない。


 爆音が鳴り響く中、彼女はゆっくりとこちらに顔を向ける。


 僕の視線に気づいたのだろう。目をぱちぱちと瞬かせた彼女は、困ったように頬を掻いた。


 そしてはにかんで……そっと口を開いた。



 ──ありがとう



 花火の音に紛れて、声は聞こえなかった。でも、自然とそう言ったのだろうなとわかった。


 ああ、永遠には続かないけれど。限られた儚い時間だからこそ、こんなにも愛おしく、名残惜しく感じられるのだろう。



 そんな年齢に見合わないことを、この時悟ったのである。











 ──────────────────────











 僕には、同い年の幼馴染がいた。名前はせつ奈雪なゆきせつ


 彼女とは、幼稚園からの付き合いだった。幼稚園、小学校、中学校と共に過ごした彼女は、間違いなく家族の次に長く一緒にいた人であるだろう。


 生まれつき体が弱く、持病のあった刹はよく入院していた。そんな彼女の元に通って、抜けた分の勉強を教えるのが……僕たちの日常だった。


 恋を、していたのだと思う。自意識過剰でなければ、きっと彼女も…………。


 いつかちゃんと付き合って、そして病気しがちな彼女を助けていけたらと、そう漠然と思っていた。


 そう……思っていたのだ。



 高二の夏のことだった。


 高二に入ってから殊更彼女は体調を崩すようになって、入院したきりになっていた。だから僕も部活を辞めて、彼女の元に通うようになった。



 当時の彼女はなんだか暗い顔をすることが増えて、時々遠くを見るような目をしていたように思う。そして、いつも僕の顔を見て儚げに笑うのだ。



 そんな彼女が無性に心配で……でもしてあげられることはほとんどなくて。悔しさを抱えたまま過ごしていた。



 ある日のことである。彼女は突然「一緒に花火が見たい」と言い出した。夏も中盤に差し掛かり、祭りが各地で開催されるようになった頃だ。


 聞くと、近々病院からでも見られる花火大会があるということだった。


 僕は当然彼女の誘いを快諾した。病院の面会時間と花火の時間がギリギリ重なっていたことに二人で喜びあった。


 面会時間が終わった後はLINEでビデオ通話でも繋ごうかと、そんなことまで話し合っていた。



 でも……その約束を果たすことは、叶わなかった。



 夏祭り当日、彼女の病態は急激に悪化した。そして…………半日間の闘いの末、その息を引き取った。



 あまりにも、突然のことだった。いつかこういうこともあるかも知れないと、覚悟はしていたつもりだったのに。


 彼女の訃報は、今でも信じられない。病室に行けば、元気ではないけれども、いつもの笑顔で迎えてくれるのではないかと、そんな期待をしてしまう。


 でも、もう病室のネームプレートは……既に変えられている。


 面会に行こうとしても、もう病室は空になっていて、それが叶うことはない。


 そう、彼女はもう、僕の日常から姿を消してしまったのだ。その……はずなんだ。



 だから、今こうして目の前に広がる光景は、あまりにもおかしくて……僕に都合の良すぎるもので…………



「ねぇ君、そんな場所で寝てると風邪引くよ? せめてベッドで寝なよ」



 鈴の音のような声が、僕の鼓膜を揺らす。つい1ヶ月前まで毎日聴いていた声で、もう二度と聞くことができないのだと思っていたものだ。こうして直接もう一度聞くことは……あり得ないはずだった。


 床に仰向けに倒れる僕を、上から少女が覗き込んでいる。藤の花のような、爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。


 恋焦がれた彼女が、なぜか再び動いて、僕を見つめている。



「うん? 何でそんな驚いた顔してるの? 私の顔、何かついてる?」



 あり得てはならないその光景に放心していると、何を思ったのか首を傾げる目の前の少女。その仕草は生前の彼女に酷似している。


 どこを取って見ても、完璧に記憶の中の姿と一致する少女。僕は、幻覚でも見ているのだろうか。


 手を自分の首元にやると、そこにあるはずのロープはない。だが、触ってみれば変形した皮膚の感触が伝わってくる。もしやここがあの世かと一瞬思うも、周りを見ればどう見ても僕の部屋である。


のを無視して、体を起こす。後ろを見れば、無惨に壊れたクローゼットと、首から外れてしまったであろうロープ。あぁ、失敗してしまったのだろうなと、ぼんやり思った。


 改めて、目の前に佇む少女の姿を視界に収めた。


 白雪を思わせるような冷たい白色の生地に、淡い青の花の模様が添えられている。黒く艶やかな髪は、昔からずっと側で見てきたものだ。されど、いまだ慣れることのない美しさを纏っている。


 だが、その顔は血が通っていないように思われる程、無機質な白色だ。いや、事実もう血が通っていないのだろうか。彼女はもう、死んだはずなのだから……。



「そんな顔しないで。冗談だよ。起きたら家に知らない子がいたら、驚くよね。ここ、君の家で、あってる?」



 一体彼女は何を言っているのか。僕が、知らないわけがない……その姿を、忘れるわけがない。


「君は、セツ、なのか……?」


「うん? せつ、説? なにが?」


 思わず名を読んだ僕に、少女はただ困惑した表情を返す。先程から、何かが噛み合わない。目の前の彼女に誤魔化しているような雰囲気はなく、ただただ不思議に思っている様子だ。



「君は、何者なんだ?」



 意を決して、そう尋ねる。それを聞いた彼女は目を瞑って顎に手をやると、悩むように唸りだした。



「何者……って言われても……実は私もわからないんだよね〜」


「どういう……ことだ?」


「自分が誰なのかも、何でここにいるのかもわかんなくてさ。なんか気づいたらここにて」



 あはは、と苦笑する彼女に、冗談を言っている雰囲気はない。本当に記憶を失くしてしまったというのだろうか。そもそも、死んだはずの彼女がなぜこうしてここに……。


 1ヶ月ほど前、彼女は確かに息を引き取った。そして、この1ヶ月で何とかそれを飲み込めずとも理解して。僕ももう死んでしまおうと、今日こうして首を吊ったのである。でも何故か生き延びてしまって、起きたら目の前に刹がいて……あまりの展開に既に頭がパンクしている。



「ただまぁ、多分幽霊なんだろうなってことはわかるかな。えーと……ほら、見てて」


「……ッ!?」



 よっという掛け声と共に地面を蹴って跳び上がった彼女が、。そして、なんとそのまま滞空し始めた。


 そのあまりに非現実的な光景に、思わず口をあんぐりと開けた。


 ふよふよと空中に浮かぶ彼女は、世界の束縛から免れて静止する。


 髪と服もまるで重量の影響を受けていないかのように、ふわりと後ろに広がりながら流れている。その姿はよく創作物に見る幽霊そのものだ。



「見て、すごいでしょ! 物も通り抜けられるんだよ!」



 そう言って、壁に突っ込んだ彼女は、何の抵抗も受けずそのまますり抜けていく。そして頭だけを出してこちらにドヤッとした顔を向けてきた。


 僕は、幻覚でも見ているのだろうか。つい精神的なショックで、何かそういう病気を患ってしまったのだろうか……。


 一旦見なかったことにして、自室を出る。そして洗面台に立ち、勢いよく冷水で顔を洗った。


 スッキリして部屋へ戻ると、いまだ幻覚はそこに佇んでいた。むくれた顔でこちらを睨んでいる。



「何で急に出ていくの!!」


「いや、ちょっと衝撃的すぎて……」


「あはは、まぁ幽霊がいるなんて、驚きだよねー」



 いやお前だよ、というツッコミを入れる余裕もない僕は、一旦冷静になろうと深呼吸をする。目の前に現れたこの子の正体はもう流石に察している。でもやはり……それはもう彼女が終わってしまったことを如実に示していて。どうしようもなく胸を締め付けられた。


 震える声で、何とか口を開く。



「奈雪刹っていう名前に、聞き覚えは……あるか?」


「なゆき、せつ……?」


「君の、生前の名前だ」



 それを聞いた彼女の目が、大きく開かれる。そして、パチパチと瞬きをすると、言葉を咀嚼するように目を閉じて黙り込んだ。


 十数秒、沈黙が訪れる。


 そして再び目を開けた彼女が困ったように頬を掻いた。



「うーん……やっぱり、聞き覚えはないかな」


「……」


「セツ、か……なんとなく、耳によく馴染む気がする。私の名前を知ってるってことは、君とは知り合いだったのかな」


「そう……だな」



 彼女のその言葉に、ズキリと胸が痛む。目の前に刹がいるのに……僕のことは覚えていない。ずっと一緒に過ごしてきた、好きな人。そんな人に忘れられることが、こんなに辛いなんて知りもしなかった。



「でも、起きたらここにいたわけだし。やっぱり君とは……深い仲だったんだろうね。君の顔を見ていると、不思議な気持ちになる」


「……ッ! それは……!」


「ごめんね、思い出してあげられなくて。だから……泣かないで」



 僕の側までふわりと飛んできた刹の指が、僕の頬をそっと撫でる。そのひんやりとした冷たい感触が擽ったい。


 いつの間に泣いてしまっていたのだろうか。僕の頬を伝う涙を、彼女は無言で拭ってくれる。



「ごめん……ごめん……ッ」



 遂には涙だけではなく、喉から嗚咽の声が漏れてしまった。そんな僕を優しく抱きしめる彼女は、やはり温度を感じさせない。彼女から熱が伝わってこないことが、どこまでも彼女が死人であることを示していて、尚更涙が止まらなくなった。



 彼女が死んだことが、どうしても信じられなくて、そんな現実を認めたくなくて。


 …………僕は、彼女の後を追おうと、首を吊ってしまった。でも結局上手くいかなかった。


 そして、そんな姿を、一番見られてはいけない彼女に見られてしまった。記憶を失っていることは悲しい、でもそれと同時に、記憶が戻ってしまうことも恐ろしい。


 そんな矛盾した感情、そして彼女の姿を再び見られた衝撃。そんな様々なものが胸の中を掻き乱し、もう限界だったのだ。



 数分間泣き続け、ようやく落ち着いた僕をそっと離す刹。こちらを見つめる彼女の目には心配の色が浮かんでいる。



「落ち着いた?」


「ごめん……」



 よかった……そう呟き胸を撫で下ろす刹。でも、僕の首元と後ろにあるロープをチラリとみて、再び表情が曇った。



「何をしようとしてたのかも、何でそうしようとしてたのかも聞かない。でも、もう少しだけ、待ってくれると嬉しいかな」


「うん……」



 当然だ。目の前に刹がいるのに、それを放置して逝くなんてそもそもできるはずがない。それに、今は解決すべき問題が山積みだ。



「取り敢えず、君について、色々と調べていかないとだな」


「そうだね……あ、そうそう。さっき試したんだけど、私この部屋から離れられないみたい。幽霊は幽霊でも地縛霊なのかも」



 そう言って、壁に勢いよく突っ込んで行った彼女は、すぐにまた戻ってくる。


「やっぱり、離れられても2メートルくらいまでだね」


 うーん、と唸りながら空中を漂う彼女。やはり人が飛んでいる姿はまだ見慣れない。今更ながら凄まじい超常現象に遭遇しているのだと実感した。


 そして唸っていた彼女はくるりと体の向きを変えて、僕のすぐ近くへやってくる。じーっと僕の顔を見つめると、真剣な顔で口を開いた。



「もしかして、私たちって、恋人だった?」


「うん!? いや……恋人では……ないかも」



 その突然投下された爆弾に、心臓がドクリと大きく跳ねる。



「えー、じゃあもしかして私のお兄ちゃんだったり?」


「いや、それも違う……血の繋がりはないよ」



 そして再び唸りだす刹。



「いやでもさぁ、誰かの部屋の地縛霊になるって、余程深い関係にならないと無理じゃない? やっぱり恋人だったんじゃ……」



 そうして考えこむ刹に何だか居た堪れなくなって、一旦彼女を無視して部屋の片付けをすることにした。


 ロープと、ロープを結びつけていた金具を回収する。流石にこのままにはしておけない。


 倒れた椅子も元に戻し、部屋の外観だけでも元に戻す。


 首の痕はどう誤魔化そうかと思考を巡らせていると、突然目の前に顔がドアップで現れた。


 逆さに浮く刹が頭上から顔を近づけて来たのだ。急な出来事に数歩退くが、刹もそのままピタリとくっついてくる。そして僕の頬を両手で掴んだ。そのまま超至近距離で話しだす。



「ねぇ、せっかくだからさ。これから生前の話をたくさん聞かせてよ。色々思い出せたら成仏できるかもだし」



 そう言ってニコリと笑った彼女が綺麗で、ドクリと、心臓が強く脈打った。



「だからさ、私が成仏できるまで、君も死なないでね。君が死んじゃうと、私も詰んじゃうし」



 これからよろしく、と手を差し出される。


 彼女とこれから一緒に過ごすのだと思うと、何だか……胸の奥がほんのりと痛んだ。







《作者後書き》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はい。鬱々ファンタジー書いていて少し疲れたので息抜きにラブコメを書き始めました。もし需要がありそうなら本格的に執筆していこうと思っています。需要なさそうでも後々ちゃんと完結はさせる予定です。

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