あらゆる困難を乗り越え、山あり谷あり海越えて、俺はようやく一枚の扉の前に辿り着いた。背後には無数のテロリストたちの屍。地下深いこの場所で、精々蜜柑の肥やしになるがいい。

 音もなく左右に開いた扉の先に、俺は思わず目を見張った。

 天井から煌々と光が射し、真っ直ぐに伸びる通路の両脇を緑が覆っている。ひと目でそれが何の葉か判明した。蜜柑だ。いよかん、ぽんかん、真穴みかん、あらゆる柑橘が肩を並べ青々とした葉を茂らせている。

 愛媛の地下にこんな場所があるなんて、日本の誰もが思わないだろう。マリアに教わるまで俺も想像さえしなかった。四国という島国で蜜柑とぼっちゃん団子と道後温泉を推す県には、地下鉄どころか新幹線すら通っていない。本州と海で隔たれた愛媛の地下に、こんな大仰な施設があったとは。しかし現実に地下施設は存在し、そこにはテロリストが生息しているのだ。俺は注意深く一歩ずつ踏み出した。

「ヨウコソ。愚カナル者ヨ」

 耳に硬いその声は、合成音声だった。

「ヨクゾココマデ辿リツイタ」

「まさか、これが……」

 部屋の奥で俺を待っていたのは、脳みそだった。

 抱えられないほど大きく透明な円柱の中には、液に浸って一つの脳が浮かんでいた。しわしわの大脳。

「私ガ、フルーツテロリストノリーダーダ」

「そんな馬鹿な……」

 銀色の脳みそは、フフフと不敵な声で笑っている。銀。これは作り物か?

「この御方は宇宙よりやって来た」

 しわがれた声に振り向くと、蜜柑の葉をがさがさ鳴らして一人の男が木の陰から現れた。声の割に見た目は精々還暦を迎えるか否かといった具合だ。

「宇宙だと。つまり宇宙人ってことか……?」

「宇宙より来たりて、我々に知恵を与えた。フルーツを爆弾に変える技術を与えたのは彼らの智によるものだ」

 フルーツ爆弾の製造法は、世界のどこか……恐らくアメリカとかその辺で天才たちが生み出したとまことしやかに囁かれている。あの都市伝説の起源は、宇宙人によるものだったのか。

「植物細胞ヲ爆弾二変エル手法ヲテロリズムに用イルトハ、イヤハヤ恐レイッタ」

「何のために、そんな技術を持ち込んだんだ」

「実験だよ。新技術をもたらされた生物が如何にその技術を利用するか、彼らの星の技術者は知的好奇心を抱いたのだ」

 脳みそと男が交互に喋るから、どっちを向いたら良いのか迷う。

「その技術を、偶然にも儂は旅行先で得た。まさに神の天啓だと思ったな、ははは」

「ククク、最モ渡ルベキデナイ人間二渡ッテシマッタトイウコトダ」

 前と後ろで笑う連中に苛立ち、俺は「うるせえ!」と足を踏み鳴らした。

「今すぐこの脳みそぶっ壊して、おまえも親父の元に送ってやる、覚悟しやがれ!」

「やってみろこの若造が!」

 俺の威嚇に男は途端に額に青筋を立てた。前頭部が禿げ上がっているからよく見える。

「あの石頭に地獄で挨拶するのは貴様の方だ、愚か者が!」

「石頭だと? 確かに親父はあんたたちの提案を断ったが……」

「それだけだと思ったか、このたわけが!」

 たわけと罵られるのは初めての経験だ。二本目の青筋を立てる男は、じっと俺を見つめる。そのおっさんの瞳には既視感があった。

「あんた、もしや……杉井のおっさん?」

「やっと気付きおったか、このたわけめ」

 二度目のたわけを口にする男は、俺の知っている人間だった。俺がはなたれのガキで親父の蜜柑山を走り回っていた頃、しょっちゅう目にしていた。我が家で全てのつまみと酒に蜜柑汁をぶっかけ、よく親父と遅くまで語り合っていた。いつも、俺たちが日本一の蜜柑を作ると豪語していた。

 杉井のおっさんが蜜柑農家を辞めたのは、愛媛が蜜柑生産量日本一という地位を和歌山に譲ったからだと聞いている。それ以降の消息を俺は知らない。

「おっさん、あれからどこにいたんだ。蜜柑農家は辞めたんだろ」

 ふん、と杉井のおっさんは鼻を鳴らした。

「蜜柑といえば愛媛だった。段ボールといえば愛媛みかんだった。ポンジュースのポンは日本一のポンだ。儂は許せなんだ。愛媛を蜜柑国のリーダーに据えられなかった自分を」

「なら、もう一度親父とやり直せばよかったじゃないか」

「儂の情熱など、若造には分かるまい」おっさんはもう一度強く鼻息を吐く。前頭部から口周りに移動した毛がふさふさ揺れる。「……失意のうちに、儂は愛媛を遠く離れた。だがそれでも、土からは離れられんかった。青森で林檎農家を細々営んでおった」

「それがどうしてフルーツテロリストに」

「日本中のフルーツが爆弾に変われば、国民は安全なフルーツのみを買うようになる。そして儂が、果物会の王となる」

 おっさんの目がギラリと光った。

「あいつは折角誘ってやったにも関わらず、儂の理想を無下にした。だから犠牲となったのよ。配下に収まれば奴の蜜柑だけは儂の姫林檎と共に残してやろうと言うたのにな」

 俺は頭にかっと血がのぼるのを感じた。

「親父がそんな誘いに乗るわけがないだろ! ふざけんな、何が果物界の王だ、この自己中ジジイが」

「何とでも言え、儂はここから全てのフルーツ爆弾の生産を開始する。全てが始まった愛媛の地で、まずは蜜柑から爆弾に変えてやるのだ」

「血迷ったな、ジジイ。自分が嘗て親父と切磋琢磨した土地だってのによ」

 ふとおっさんは唇の端を歪めて笑った。

「それはもう、過去のことだ」

 おっさんがオーバーオールのポケットからそれを床に放った。俺の足元にころころと転がってきたのは、嘗て親父の口に収まっていたのと同じ、可愛い姫林檎だった。Fの文字が刻まれている。

 それが爆発する直前に跳び退る。杉井のジジイが、ポンプのような銃の銃口を俺に向ける。そこから放たれる無数の林檎爆弾。俺は宙に浮く赤い林檎に、自分の銃口を向ける。

 水鉄砲に似た銃から放たれるのは除草剤入りの液体だ。前代未聞の超強力なやつで、これは対テログループの仲間が作ってくれたのだが……それは今は割愛しよう。あいつには今度飯でも奢ってやらねばならん。

 除草鉄砲から放たれる除草液が、空中で林檎爆弾を捉える。瑞々しい林檎はたちまち茶色く枯れて萎びて床に転がる。ふしゅうとしぼむ悲しい囁き声が聞こえる気がして、俺の胸は痛もうとする。

 だがこれは林檎ではない、林檎爆弾だ。フルーツテロリストが作り出した立派な兵器だ。俺は俺に言い聞かせ、飛んでくる林檎爆弾に除草液をかけまくった。

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