私的エッセイのためのエッセイ

つるよしの

※ほぼ自分の考えを整理するための忘備録です

 この文は、今回、犀川さんの自主企画に選考者として参加するという、そうそうない機会をいただくにあたり、「せっかくだから、自分がどうエッセイを捉えているかについて考えたことを書き留めておく」、それだけの文です。それ以上でもそれ以下でもないです。ましてや、受賞の参考になるようなことなんて書けないです。わからんもん。ほんとわからない。


 そもそも、文章なんて、それぞれが好きに書いたものがいちばん面白いのは間違いないので。

 好きにやれば良いんです。



 そのうえで「エッセイについては、自分はこう考えた上で、好きにやっています」ということを書き留めておきますね。良い機会なので。

 まあ……いわば、私的な忘備録です。


 

 ■ エッセイにおけるタイプ分け

 

 エッセイには大別すると、3タイプあると思ってます。

 1 . 本人にとってなんらかの意味ある日常・事柄などを切り取り、書き示したもの。

 2.  本人にとってなんらかの意味ある出来事を記録する目的で、書き示したもの。

 3 . 本人にとってなんらかの意味ある事象を主張し知らしめる目的で、書き示したもの。


 あくまで、ざっくりですよ。

 1と2を兼ねている。2でもあり3でもある。そんなエッセイもあるかと思います。なのでざっくりです。


 その上で、それぞれタイプの留意点があるとしたら、こうかな、と。

 

 1

 書きたい日常や事象の「切り取り方」に自分ならではの創意工夫はあるか。


 2.3

 その題材はひとりよがりではないか。読み手の心に入り込める余地はあるかどうか。


 1に関しては、自分がなにを切り取りたかったかが問われてくると思うので、程度の差はあれ、「なんでわざわざ、こいつこんなこと書いてるんだ」と思われるようなものでもいいと思います。

 だけど、「読んで時間の無駄だった」(個人的にはこの言葉が、エッセイに関しては普通の小説以上に、最悪な評価かと思います)と思われないような工夫がなければ、ただの書くまでもない独り言になる。そこが難しいのかな、と。

 でも「なんでもないことでも、うまいこと書いたな!」と思わせられたら、強い。

 

 対して、2.3に関しては、読み手に何かしら訴えたいものがあって書くわけです。

 だから、どんな題材であれ、読み手の共感を想定して書かないと、1以上に「なんだこりゃ」になる恐れがある。

 だけど「ああ、読んでためになる内容だった!」「こういうことを知りたかった!」「感じ入るものがあった!」という感想が得られれば、こちらはこちらで、強い。


 なのでエッセイを書くにあたっては、自分がどのタイプのエッセイを書きたいかを考えると、書きやすいのではないか、そんなことを思ってます。

 


 ■では、自分の作品はどれであったのか


 とはいえ、「お前そんなこと考えて書いたの?」と問われたら、Noです。完全に後付けです。


 それでも後付けなりに、自分の受賞作のエッセイ『Oセンセイとわたしの二十年~大学助教授と女子高生が文通相手から「ニセ祖父ニセ孫」と呼び合うまで~』について分析すると、こうなります。

 

 まず、タイプでいうなら、受賞作の『Oセンセイ』は2です。

 あのエッセイを書いた動機といえば、「自分とOセンセイの間にあったかけがえない思い出を書き記しておきたい」。そういうことですから。でも、その先に「読み手に思い出を共有して欲しい」という気持ちもあったので、僅かに3も含んでいると言えますが。ですが、それはあくまで結果であり、目的ではないので、やはり2なのでしょう。

 

 なので、書きながら、ひとりよがりではないものにしよう、読んだ人がなにか持ち帰れる文であろう、とは意識していました。Oセンセイとの思い出はわたしにとって、とても大切なものですから、それを伝えることで、読んだ人も幸せになって欲しい。分かりやすく言うならば「ええもん読んだ」と思って帰ってほしい。そういう気持ちを込めて書きました。


 エキセントリックさや奇抜さはないけれど、これを読んだ人が心に留め置きたくなるような内容でありたい。そう念じました。

 

 ですので、結果論ですが、特別賞を受賞したのは、その気持ちが伝わったから、その思いを最大限に伝えられる文が書けていたから、だと思ってます。

 勝手にです。ほんとうのところは、分かりません。


(ですが、狙って書いたものではないものの、カクコン期間中届くコメントやレビューなどの手触りから、「これは読む人の心を掴んでいるのでは? 受賞いけるかも?」という手ごたえはあった、ということは率直に書いておきます)


 

 ■エッセイと小説は大きく異なる

 

 わたしの書く小説は、(読んだ方はお分かりだと思うのですが)「口当たりが良くない」「どこかしら引っかかる」という塩梅の面倒くさいものが多いです。読む人をめちゃくちゃ選びます。人によっては「つるさんの作風は『鈍器』ですよね」と言われます。エンタメのつもりでいますが、簡単にはすっきりさせない読後感に「なんだ?」ってなる方もいるんじゃないかな、と思います。

 ですが、そういうものが書きたいし、それでいいんだと思って書いてます。

 

 でも、エッセイはそれじゃいけないと思っています。

 エッセイを読んだ人に「結局なんだったの?」と言われるのは悲しい。先ほど、タイプ別の解釈にも書きましたが、自分の視点や経験を書きながらも、「読み手の心に入り込む余地があるかどうか」を考えなきゃいけないのでは、ひとりよがりではいけないのでは、と思うのです。なので、わたしの中でエッセイと小説は大きく異なるものです。


 小説を書いてる時の自分は、はっきりいって我が儘三昧です。「わたしの文で読み手を殴ってやる!」とさえ思っています。


 でも、エッセイを書くときの自分は、「他人にうまく届きますように」という気持ちでいます。自分を取り囲む周囲の人びとを眺めながら、いつもより優しい気持ちで綴っています。

 

 つまり、私にとってのエッセイは、自分の世界が、他人の世界にも受け入れられるように祈りながら書く、そんな儀式に似た行為なのです。


 カクコン10でもエッセイ部門があるようですね。わたしが参加するかはどうかはわかりませんが(カクコン自体出せる作品があるのか? という状態)チャレンジのしがいはあると思います。


 他人を思う優しい気持ちで書かれた、あなたの世界について、読むことができますように。

 

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