第6話 いつかよりも

「いつか」について考えることはなかった。いつか今の環境がうまくいくだろうとか、いつか幸せになっているだろうとか、いつか何もかもが忘れられる日が来るだろうとか。ただわたしは「今」を生きていた。


めぐちゃんでは古いブラウン管のテレビが天井に吊るしてあって、好きなビデオを流すこともできた。わたしは「愛していると言ってくれ」をよく流していたのだけど、時々新作や旧作でも有名どころの洋画ものを流して、客がいない頃合は真剣にそれらを眺めていたものだった。


店長が「『ニューシネマパラダイス』は絶対に見るべきだ」と言った。ほう……、絶対に見るべき、とな。そのうち見てみようと思った。

絵描きの耳の聴こえない青年と、女優のたまごの間に流れるドリカムの『LOVE LOVE LOVE』がいつも鳥肌を立たせた。

中学生の頃は「いつか」わたしもこんな恋がしたいと思ったものだった。希望に満ち溢れていたのだ。深い絶望と共に潜む多大な希望が。


めぐちゃんでの勤務は主に夕方から深夜までだった。今の時代では17歳の女の子が一人でこんな時間に店番するなんて考えられないだろうし、新聞の三面記事になりかねないかもしれない?


真夜中のしんと静まり返った店内に客はほとんどいない日が多かった。わたしはただパイプ椅子に座って、時々煙草を吸って、田辺誠一のエッセイやら哲学書やら心理学やらなんかを読んでいた。当時は田辺誠一が何故か好きだった。理由は思い出せない。サイン会にも行ったことがあるけど、サインしてもらった本だってもうどこに行ったかわからない。別に困りはしない。


たまたま手に取った『今を生きる』が気になりセットして観た。当時はジム・キャリーも好きで、彼の作品はほとんど網羅した。しかしその日のわたしはジム・キャリーではなく、ロビン・ウィリアムズだった。

どんな感動を覚えたのか、今ではもう思い出せない。ただ、わたしは深い感銘を受けて、繊細な心のどこかの琴線に触れたのだけは覚えている。

カーペディエム……だったか、その言葉が彼の映画の中であったものだったか忘れたけれど、今のわたしにとっても重要な言葉になった。

「いつか」を生きるより「今」を生きることの大切さ、それは簡単そうで簡単なことではないからだ。


そんなわけで、今のわたしは過去のわたしから学ぶことも多い。

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