空蝉の着物
増田朋美
空蝉の着物
今日はなんだか雨が降るということで、みんな部屋の中にいた。10月というのに蒸し暑く、なんだか梅雨の時期に近いような陽気の日であった。テレビでは、日本の将来の問題を偉そうな人が、真剣な顔をして喋っているが、いずれも国民の気を引く話題ではない。
その日、雨が降ってきたので、杉ちゃんたちは、部屋の中で、勉強したり、仕事をしたりしていると、
「こんにちは。」
と製鉄所の玄関の引き戸がガラッと開いて、一人の女性が建物の中に入ってきた。
「ああ、その声は、西田美子ちゃんだな。今日はこっちを利用する日ではないと思ったけど?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「ええ。そうなんですよ。でもちょっと相談に乗っていただきたいことがありまして、こさせてもらいました。」
と、美子さんは言った。
「相談ってなんですか?」
布団に起きた水穂さんがそう言うと、
「はい実は、先日から着付け教室に行き始めたんですが?」
と美子さんは話し始めた。
「そんなもん行かなくたっていい。着付けなんて、一人で本でも呼んで勉強すれば良い。帯結びができないんだったら、作り帯にすれば解決する。」
杉ちゃんが言うと、
「そうなんですけど、どうしてもわからないことがあったものですから、教えてもらおうと思って申し込んだんです。それで、今日、第一回目の受講日だったわけですけど。それが、コーリンベルトとか、ゴムベルトとか、そういうものを、無理やり買わされる羽目になって、私怖くなって逃げてしまったんです。」
と、美子さんは言った。
「そうなんだねえ。着付け教室なんてそんなもんさあ。大体お金を取るためにあるんだから。肝心の着付けはどこへっていう教室は多いよ。本当に着物の事を勉強するんだったら、着付け教室に頼らず、自分で勉強するんだな。日本の伝統なんて、そんなもんだからね。まあ仕方ない。諦めな。」
「そうですね。杉ちゃんの言う通り、着付け教室というのは、いろんな問題があるのかもしれません。でも、コーリンベルトだけで良かったじゃないですか。ひどいときには、何十万もするような高額な着物を、無理やり買わされる例だって、あるんですよ。」
杉ちゃんと水穂さんが、そう言って彼女を励ますが、
「一人で勉強なんてできるものでしょうか?あたし、衣紋を抜くのだって、一人でできないんですよ。しっかり着ないと、道路でおばさんに叱られることもあるでしょう。」
と彼女は言った。
「まあそうなんだけどねえ。そんなもん気にしなくて良いんだよ。だって着物が日常着だったときは、そんな人の着物に口を出してくる人なんていなかったわけだから、僕としてはそれはおかしいと思うなあ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「まあ確かに、今の時代、着物は特別なときに着るもので、そのときはきちんと着なければならないっていう意識はありますからね。」
と水穂さんが、そう杉ちゃんに言った。
「そうだけど、着物は特別な日ばかりに着るもんばっかりじゃないんだよ。紬なんてその代表選手でしょ。漢服だって日常的に着ていた時代もあったんだから。それと同じだと思ってくれれば良い。とにかくな、着物を着るのに金を払って、変な部品や着物を無理矢理買わされたりするような着付け教室は、そもそも、存在すらおかしなところなんだ。だからそこへ出向く必要もないの!」
「そうですね。確かに昔であれば、みんな自動的に着物を着ていたわけですが、今はそれがないですからね。それに着付け教室もライバルが多い割に客が少ないから、展示会なども一緒に殺らないとだめなんでしょうね。」
杉ちゃんのセリフに、水穂さんはちょっとため息をついた。
「まあそういうわけだから、着付け教室なんて行かないで、楽しく一人で勉強すれば良いのさ。それはいろんなもの買わされるところなんて、大したこと教えてもらえないで、大損するだけだからさ。」
「確かに、杉ちゃんの言う通りではあるんですが、着付け教室へ行かないと、着物を教えてくれる人がいなかったり、着物で友達を作れないとか、そういう可哀想な立場になってしまうのがちょっとつらいところですね。」
確かに水穂さんの言う通りでもあった。着物を着たいという意思があって、リサイクル着物なんかで簡単に着物が入手できる世の中なのに、着物を着る場所は、着付け教室しかないのもおかしな話である。
「それにな。入会金がどうのとか、着物のレンタル料がどうのとか、はたまたお出かけのバス代や、食事代などもう、着付け教室は金金金金。もうどれだけ金取れば良いのかよくわからないのが、着付け教室だ。本当に金ばかりむしり取って、肝心の着付けはどこへっていう教室ばっかだよ。それでは、日本の伝統が、バカにされても仕方ない。」
「でも私、本当は、着物を着てみたいと思って、しっかり着物の着方を習いたいと思ったから着付け教室に行こうと思ったんですけどね。」
美子さんが、半分泣きながら言うと、
「そうですね。着物の販売会や、着物でのお出かけがカリキュラムに入っていない、着付け教室を探すんですね。」
水穂さんはそう、アドバイスした。
「大体の着付け教室は、10回くらいのレッスン料を、まとめて支払うシステムになっています。その中に、着物の販売会の参加や、きもの展を訪問というものが入っていたり、10回のレッスンが終了すると、修了式とかに無理矢理出席させられたり、高価な免状代を請求されるとか、そういうトリックが含まれています。」
「そうそう。最近は無料とか、500円でやらせてくれるとかよくあるが、それは大嘘。そうやって着物や帯を無理矢理買わせることで、成り立ってんの。」
杉ちゃんが口を挟んだ。
「まあ美子さんの理想で言えば、着物の販売をしないで、着物でお出かけ会などがない着付け教室ということになりますが、そんな教室が果たしてあるか、ということですよね。それは、もう答えは見えてますね。」
水穂さんは大きなため息を付く。
「西田さんが喜んでくれる着付け教室というのは、まあどこを探してもない。」
「あーあ。着物を着たいんだけどなあ。どこかできちんと教えてくれるところはないのでしょうかね。あたしは、着物を着て出かけられるっていうのがとても楽しかったから、それできちんと着られるようになりたくて、着付け教室に行きたいと思っただけなのに。」
杉ちゃんの結論に、美子さんは言った。
「じゃあ、そうしない着付け教室があるかどうか、カールさんの店に行って、聞いてみたらいかがですか?もしかしたら、リサイクル着物店であれば、知っているかもしれませんよ。」
と、水穂さんが提案すると、
「そういうことなら、僕も一緒にカールさんの店に行ってみてあげる。」
杉ちゃんはもう出かける支度を始めた。すぐにスマートフォンで電話をかけ始めた。杉ちゃんと、美子さんは、タクシーに乗って、カールさんの店である、増田呉服店に出向いてみた。
「そういうわけで、どっかに良心的な着付け教室があるかどうか、教えてもらえないかな?絶対に着物の販売はなく、高額な免状代を請求されることもない、単純に着物の着方を教えてくれる着付け教室。」
杉ちゃんがそう言うと、カールさんは困った顔をした。
「この店にも着付け教室の情報は入ってくるのですが、どれも悪質で、悪名高い着付け教室ばかりです。中には、僕らのようなリサイクル着物店で買った着物を持ち込むと、新しい着物を買ってこいと言って追い出す着付け教室もあるんだそうですよ。」
「ほら!やっぱりそうじゃないか。だから言ったろ。お前さんの理想とする着付け教室はないって。」
と、杉ちゃんが言うと、
「うーんそうだねえ。着付け教室と言うわけではないんだけどね。5,6人で集まって、着付けを教え合う集まりがあるって、お客の一人から聞いたことがあるよ。確か、名前はなんと言ったかな。確か七福とか言うなの、、、?」
カールさんは売り台にあった、書類を調べ始めた。
「あったコレコレ。役に立たないと思って捨てようかなと思ってたんだけど、お役に立つとは思いませんでした。じゃあこのチラシ、スマートフォンでコピーでもして持っていってください。」
カールさんは七福の会と書かれた紙を二人に差し出した。美子さんはそれを急いで写真に撮った。
「なんて書いてあるんだ?」
杉ちゃんが言うと、
「着物で街へ出てみませんか?着物を着て普段とは違う自分を感じてみましょう。」
美子さんは読み上げた。
「つきに一度ほど、公園や観光名所に集まり、着物で楽しくお出かけしてみませんか?人から譲り受けたものでも、リサイクルの着物でも、ポリエステルの着物でも構いません。好きな着物でいらしてください。お問い合わせはこちらのメールアドレスまで。」
「へえ。そんなやり方で着付け教室へ勧誘するとは、なんとも変わったやり方だなあ。」
と、杉ちゃんが言った。
「他の着付け教室の話も聞いていますが、色々苦情が多い着付け教室は、大体は名前や運営会社が絞れるんです。だけど、七福の会という会の苦情は全くありません。」
カールさんがそう言うと、
「それじゃあ、ある程度安全ってことですかね。まあさ、一回行ってみれば良いのかもしれない。」
杉ちゃんは腕組みをした。
「ああ、ここに書いてありますね。当サークルでは、着物の販売は一切おこないません。安心してご来訪ください。」
美子さんが読み上げる。
「とりあえず、今度の日曜に集まりがあるそうですから、行ってみてはいかがですか?押し売りをされるなら、警察に伝えるとか、そういえばある程度抑えられますよ。」
と、カールさんがいうので、美子さんは、
「わかりました。行ってみます。」
としっかり頷いて言った。杉ちゃんもカールさんも頑張ってねといった。
「まあ念のために、杉ちゃんも一緒に行ったほうがいいですね。男性が、いたほうが、変な動きもしなくなるのではないかなと思いますし。」
と、カールさんがそう提案する。
「はあ、わかりました。じゃあ、それでは僕も出かけよう。」
杉ちゃんが言ったので、その日は二人でサークルに出向くということになった。
杉ちゃんと美子さんが、七福の会のチラシに書かれていた集合場所に行ってみると、そこは個人の邸宅であった。着物を販売するような家ではなさそうである。そんな事を全く気にしない杉ちゃんが、
「すみません!僕ら、七福の会の新規入会希望で来たんですけどね!」
とでかい声でいうが、反応はない。
「あの、今日ここで、集まりがあるって聞いたものですから。」
と美子さんが言っても反応がない。
「おい!無視はしないで、答えてもらえないかな!何なら、開けちゃうぞ!」
と言って、ドアノブに手をかけてしまうと、ドアがガチャンとあいてしまった。そして、杉ちゃんと美子さんは、その玄関先で、女性が一人うつ伏せになって倒れているのを見てしまったのであった。美子さんは思わず叫んでしまいそうになったが、杉ちゃんの方は、平気な顔で、すぐに警察にスマートフォンで通報してしまった。
数分して、その邸宅は、刑事が大量にやってくる羽目になってしまった。杉ちゃんたちは、第一発見者ということで、なんのためにここに来たのかとか、やたら聞かれてしまって、ただ、七福の会に新規入会するためにこさせてもらったと何度も話した。
「えーと、被害者は、この家の住人である、麻生佳代子さん。この家で、麻生菊野さんと一緒に住んでいたそうです。」
と、刑事の一人がそう言ったので、その女性が麻生佳代子さんだとわかった。
「麻生菊野?あら、そんな有名人の家だったのか、ここは。」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「杉ちゃんお知り合い?」
美子さんが聞くと、
「知り合いって言えば知り合いだがな。だって、着付け教室に使うからと言って、着物を縫わされたことがある。」
と、杉ちゃんは続ける。
「麻生菊野さんは、麻生佳代子さんの妹さんですね。ちなみに麻生着物教室というのを展開しているのが、麻生菊野さんです。」
と刑事の一人がそういった。
「はあ、、、そうなんだ。あの着付け師にねえさんがいたとは。まあ、有名人だから、それで隠し通すことはできるわな。」
と杉ちゃんは、でかい声で言った。
「しっかしねえ。麻生菊野さんは、着物雑誌なんかで引っ張りだこの着付け師だぞ。最近では、花火大会に浴衣を着ていかせるために、格安で着物着付けの一日講座をやったそうだが、そんなのただの子供だましに過ぎない。」
すると、車の音がして、着物姿の女性が、そこから降りてきた。一人の若い男性も一緒にいる。刑事たちに連れられてやってきた女性は、遺体を見てワッと泣き出してしまった。でも、一緒にいた男性が、なんだかその顔に安堵の表情があることを、杉ちゃんは見てしまった。
とりあえず、七福の会の集まりは、どこかに行ってしまった。杉ちゃんたちは、警察に散々話しをして、製鉄所へ戻った。
その翌日。製鉄所に風呂を借りに来た華岡が、また恒例の通り、40分の長風呂をして、杉ちゃんの作ってくれたカレーを食べながら言った。
「まあ幸いにも、杉ちゃん、今回は、容疑者は麻生菊野だとすぐわかったのだけどねえ。どうしても、彼女はそれを認めようとしないんだ。いくら、俺達が、彼女の犯行だと考えても、彼女が認めなければ書類送検もできないし、、、。」
「そうなんだねえ。僕はまず初めに、彼女、麻生菊野さんに、お姉さんがいたことを知らなかったよ。和裁屋として、彼女のところに何度か出向いたことはあったんだけど。」
と、杉ちゃんはそういった。
「もちろん、着付け教室としては、有名だったんで、僕も少しは知っていたが、だけど、彼女のやり方だって所詮は着付け教室だよね。どうせ、着物を販売をして、ガッツリ儲けるというやつさ。」
「ウン。それは俺達も調べてはっきりしている。それに、受講生の中にはクーリングオフを、申し立てたものもいるらしい。」
華岡がそう言うと、
「そうなんだよねえ。着物なんてさ、みんな珍しいものになっちまって、洋服のように気軽に購入できないからそうなっちまうんだろうな。結局さ、着付け教室なんて、着物を無断で販売するだけだもんな。泣き寝入りするやつも出るよ。」
と、杉ちゃんは言った。
「僕達は、着物を縫う側だから、着物が日常生活になったら、着物の格とかそういうものはどうでも良くなると思うんだけど、小紋とか訪問着とか、そういうこだわりが強いやつもいっぱいいる。そんなことにお金かけるよりも、もっと気軽に着て楽しめたらいいのにねえ。」
「そうだよなあ。俺も、着物なんて着たことないけど、俺からしてみたら、手が出ない。」
華岡は、一般人らしく言った。
「それで、警察としては、その、麻生菊野を、どうやって落とすつもりなの?なんか、対立していたこともあったのかな?そもそもさ、僕らは、麻生菊野さんのことは、着物の本などで知っていたが、お姉さんがいたというのを知らなかったぜ。」
杉ちゃんが聞くと、
「ああ、それには理由があったらしい。麻生佳代子の方は、何でも精神面で不自由なところがあって、それを理由に着付け教室の経営からは除外されていたらしいんだ。」
と華岡は、意味深な話を始めた。
「へえ、なるほど。それで、あのサークル、七福の会を始めたのは、麻生佳代子さんだったわけか。」
杉ちゃんが言うと、
「その通り。麻生佳代子さんは、麻生菊野の着付け教室のやり方に不満を持っていたようで、それで、着付け教室ではないけれど、着物に関わりのある人をふやしたいという気持ちで、七福の会を始めたようなんだ。あの会は、着物を着てレストランやカフェに行くだけの会だが、麻生菊野の主宰している着付け教室より、支持率はあったのではないかと俺達は睨んでいる。というのは、今、俺達は、彼女の自宅に張り込みをさせてるんだけど、麻生佳代子を偲ぶ若い女性が随分来訪しているらしいので。」
華岡は、カレーを食べながら言った。
「だが、そういう情報は俺達の元に入ってるんだけど、麻生菊野がそれを、そのとおりだと言わないので、全く進展していない。」
「まあねえ、警察にそういうこと話しても無駄だと思ってるんじゃないの?単純に、菊野さんが、佳代子さんを上がり框から落として、逃げ去っただけのことでしょ。それだから、理由も何もなかったんじゃないのかなあ?」
杉ちゃんはそう華岡に言った。
「そうか。理由も何もなかったか。でも、きっと、佳代子が七福の会を始めて、菊野は佳代子の存在がじゃまになって消しちまえって言う気持ちがあったと思うんだがなあ。」
華岡が刑事らしくそう言うと、
「まあ理由はともあれだな。いずれにしても、着付け教室なんて悪質なところばっかりだしさ。ほら、色々苦情が出てて、肝心の着物を着方を教えるという使命を果たしていない着付け教室がいかに多いか。それを考えると佳代子さんは、そういうところを改善したいと思ったんだろうが、それを菊野さんは止めようと思ったんだろうね。それだけのことだと思うけどね、、、。」
杉ちゃんは、大きなため息をついた。
「大体な、着物の着方なんて、高額な金を払って習うもんじゃないと思うし、そんなことしたら、みんな前へ習えの人ばかりでその人らしい着物の着方とか、そういうのは、どっかへいっちまうことになるぞ。そういうわけだから、本当は、ビジネスにするようなことじゃないと思うんだがな。」
「俺もそう思うなあ。昔の人は自由というか、決まり事に縛られることもなかったんじゃないかなとか、北斎の絵でも眺めると、ほんとそう思うよ。」
華岡は杉ちゃんの意見にすぐ言った。
「まあ、意識したものに本物はないと解説されているが、着物を意識したときには、ときすでに遅いということか。」
そう言うと、華岡のスマートフォンがなった。華岡は二言三言交わして、
「じゃあ杉ちゃん、俺そろそろ捜査会議が始まるのでひとまず帰るよ。」
と言って、残りのカレーを大急ぎでかきこむと、すぐにカバンを持って製鉄所を出ていった。
空蝉の着物 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます