episode.7
夜明け前の薄暗い墓地には人も居らず、どこか遠くの方から聴こえるカラスの鳴き声が丘の上まで届く。澄みきった新鮮な空気に混じる青葉の香りが、本格的な季節の移り変わりを報せているようだった。
夜明けの魔女の墓石を前に座り込んだアズライトは、後ろに佇むジルを振り仰いだ。
「なあ、ただの墓参りに来たわけじゃないんだろ? なにをするつもりだよ」
日課になっているのか持ってきた布で墓石を磨きながら、早くしろと言わんばかりの態度でアズライトは唇を尖らせる。さっきまで泣きわめいていたとは思えない太々しさにジルは嘆息すると、魔女の墓石を顎で示した。
「その墓、持ち上げてみろ。お前ならできるだろ」
「はあ? なんでそんなことするんだよ。シレネの墓を荒らす気か?」
「その魔女が望んでいることだ。墓には魔女の墓守が特別な魔法をかけている。俺には持ち上げられない」
ジルの言葉にアズライトは押し黙ると、平板状の墓石と向き合った。そっと墓に触れ、半信半疑といった顔で刻まれた魔女の名前を指先でなぞる。
「シレネ……」
魔女の名前を囁き、アズライトは恐る恐る墓石の両端を掴んだ。がこ、と石が枠から外れる音が鳴ると、驚いたように一度ジルを見上げる。その不安げな目をジルが顎で促すと、再び墓石と向き合ったアズライトはゆっくりと石を持ち上げた。特別力を入れているわけではなさそうだが、墓石はすんなりと持ち上がり、蓋の外れた石の箱のように穴が現れた。
深く掘られているわけでもない穴の中には、鍵穴の付いた箱がひとつ置かれているだけだった。
「これって……」
「夜明けの魔女に頼まれた墓守の仕業だろ」
「この箱、取っていいの?」
「蓋が開いたんだ。それはお前のものだろ」
ジルの言葉にアズライトは息を呑むと、穴の中に置かれた箱を手に取った。表面を彩る金の蔓バラの装飾が美しく、箱はどうやらジュエリーボックスのようだった。
「シレネのものだ……シレネの匂いがする」
「ほら、これで開くだろ」
ジルは先ほど自分の左腕から取り出した鍵をアズライトに投げて渡した。血は洗い流し、箱と同じように繊細な装飾が鍵に施されているのが分かる。
「……なんでこの鍵、お前の腕の中にあったんだよ」
「なくすなと言われたから、一番効率のいい場所に入れておいただけだ」
「まじかよ……」
「目に付かないんで持っていることを忘れていた」
「やっぱりお前、頭おかしいんじゃないのか?」
「早く開けろ。夜が明けちまう」
「日が出たら俺は帰るぞ」と気怠げに欠伸をしたジルを尻目に、アズライトは箱の鍵穴に受け取った鍵を差し込んだ。カチリと音がして、鍵が開く。
そっと蓋を開けると、アズライトは目を見張った。
「これ、俺宛てだ……」
箱の一番上にある封蝋のされた手紙を手に取り、アズライトは声を震わせた。
暫く固まって自分の名前が書かれた手紙を眺めていたが、意を決したように手紙を開いて静かに読み始めたアズライトを見て、ジルは背を向けて距離をとる。
スーツの胸ポケットから煙草の箱を取り出し、残り一本しかない煙草を口に咥えて空箱を握り潰した。代わりにポケットのマッチを探るが、無音のマッチ箱にはマッチが一本も入っておらず、思わず舌打ちする。
「おい、これ」
振り向いたアズライトが投げて寄こしたものを反射的に掴み取ると、ジルは手のひらに収まる少し年季の入ったライターに眉を寄せた。
「お前に渡せって。シレネから」
「ずいぶんとタイミングがいいな」
見覚えのあるシルバーのジッポライターの蓋を開くと、フロントホイールを親指で回す。小気味よい音が鳴り、ライターの火が付いた。
──見付けられたら、私の宝物は貴方のものよ。
「……もともと俺のものじゃねーか」
オイル切れのライターにオイルを入れてやると言うから預けていたものが、何年も経ってようやく返ってきた。ジルは咥えていた煙草に火を付けると、溜め息混じりに煙を吐き出した。
夜が明けようとしている。夜明けの魔女がその呼び名の通り、もっとも力を持つ時間だ。
「なあ、これってどうすんの?」
ネックレスと思しきものを手に引っ掛けて振り返ったアズライトに、ジルは顔をしかめる。訊ねているわりには本人に動く気配がない。うんざりしながら墓石の前に座るアズライトの元まで行くと、しゃがみ込んでネックレスを持つアズライトの手首を掴んだ。
「使い方はお前に訊けば分かるって、シレネが……お前ら一体どういう関係なんだよ」
不満そうな声を無視してコインのような形をした銀のネックレスを見る。二枚のコインが重なっており、一枚目の表には狼が彫り込まれ、二枚目の裏側に蔓バラが刻まれている。コイン同士が合わさる面は鏡のようで、何も描かれてはいない。ふたつの絵が何を意味しているのかは一目瞭然だった。
「なるほど、血の契りだったのか」
「なんだよ、説明しろよ」
「……いい加減、安心させろってことだ」
「はあ?」と怪訝そうに首を傾げたアズライトの手を引き寄せると、ジルはその指先に牙を突き立てた。痛みに眉を寄せたアズライトの人差し指の腹から血が流れると、二枚のネックレスをずらして鏡の表面に血を滴り落とす。
じわりとネックレスに血が染み渡り、ほんの一瞬アズライトの身体が淡い光に包まれた。アズライトを拘束していた夜明けの魔女の魔力が霧散する。
ネックレスには、アズライトの血によって使い魔の契約を解除する魔法が施されていたのだろう。血で契約したのであれば、解除にも血が必要になる。すでに魔女の血が染み込んでいたので、ジルは魔女の望んでいることに気付き、その願いを叶えたのだ。
なぜこんなにも回りくどいことをしたのか、ジルには理解できない。
(面倒なこと全部押し付けやがって)
魔女の策略を苦々しく思い、ジルは目の前のアズライトに視線を向けた。
「……泣くなよ。面倒くせーガキだな」
「うるせぇ、クソ吸血鬼……先に言えよ……」
「お前のことだ、言ったら嫌がるだろーが」
「嫌に決まってんだろっ……シレネが、俺の中から消えたみたいで……身体の一部が、なくなったみたいだ……」
シャツの袖で涙を拭うアズライトに溜め息で応えると、ジルは血の垂れるアズライトの指先を口に含んだ。
「は、おいっ……勝手に吸うなよ!」
「もったいねーだろ。こんな日の出まで付き合ってやったんだ、あとでちゃんと貰うぞ」
はくはくと口を動かしたアズライトの涙に濡れた顔が、僅かに赤く染まった。
「なんだよ、やらしいこと考えてんのか? ついでに抜いてやるよ。どうせ自分でできてねーんだろ」
ジルの揶揄うような言葉によって完全に顔を真っ赤に染めたアズライトは、掴まれている手首を力任せに解き、魔女の箱を手に立ち上がった。
「帰る! お前は一生そこにいろ! つーか埋まれ、クソ吸血鬼!」
「あ? お前、これ直していけよ」
聞こえているのかいないのか、アズライトは足早に丘を下っていく。遠ざかる後ろ姿から涙を拭っているのが確認できると、ジルはそれ以上声をかけるのをやめた。
昇りはじめた日の光に目を細め、手にしていた煙草を口に咥える。外れた墓石を元の位置に戻し、刻まれた魔女の名前を見つめた。
「……遠慮なく貰っておくぞ、お前の宝物とやらを」
低く囁き、魔女の墓石をあとにする。
泣き虫な犬を回収して、とっとと眠らなければならない。
夜明けの光に包まれて、ジルは煩わしげに煙草の煙を吐き出した。
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