episode.6
『宝探しをしましょうよ』
暗闇のなかで動く黒い影が、静謐な夜の芝を踏みしめる。小高い丘の上から見える空は広く、月のない夜空に瞬く無数の星は輝きを増していた。
明かりのない墓地をいくつもある墓石にそって歩いていたジルは、石に記されたお目当ての名前を見付けて足を止めた。平板状の墓石にはその辺に咲いていそうな花がぽつんと一輪供えられており、誰が用意したものかは考えるまでもない。
咥えていた煙草の灰が風に攫われ、ジルは手袋をした指先で煙草を口から離した。
「よりによって教会の墓地とは、嫌がらせのつもりか」
誰もいない墓地で呟かれた言葉は、墓石の下で微かに感じる魔女の残り火に向けられている。
聖職者も讃美歌も、教会の鐘の音も昔から大嫌いだったジルにとって、ここが思い浮かぶうえで最後の探し場所だった。
悪趣味な魔女の企みに白い煙を吐き出すと、墓石に刻まれた名前を靴底で踏み付ける。
「くだらねー遊びに付き合わせやがって。お前の望む通りになってるか」
どこか非難めいた口調で言うと、ジルは墓石に背を向けて歩き出した。
『宝探しをしましょうよ。私の大切なものを隠しておくわ』
* * *
「おかえりなさいませ、ご主人様」
夜明けにはまだ時間のある深夜帯にも関わらず、ビオラはいつもと同じ装いでジルを出迎えた。眠る必要がないのか、昼間は屋敷の管理に従事し、夜は何時であろうと必ずジルの帰宅をこうして出迎える。
振り子時計の音だけが聴こえる静まり返った屋敷内で、ジルは玄関ホールから続く階段を一瞥した。
「アイツはどうしてる」
「……アズライトは、シレネ様のお部屋にいらっしゃいます」
一拍の躊躇いのあとビオラがそう答えると、ジルの表情は険しくなる。
「またか。部屋で寝てるのか?」
「いいえ、起きています。最近はシレネ様のお部屋や書斎で何かを探しているようです」
屋敷に来てからひと月が過ぎ、あの日の夜以降ジルに対するアズライトの態度は少しの軟化を見せた。
夕食はジルが一緒でも気にせず食べるようになり、自室に篭らずリビングで過ごす時間も増えた。人の姿になり、気が向けば一言ぐらいは言葉も交わす。
「分かってんのか、このままだとアイツは死ぬぞ。魔女と魂が結び付いた使い魔は、魂を引きずり込まれやすい。想えば想うほど死が迫る厄介なものだ」
「承知しております、ご主人様」
機械的に返事をするビオラの表情は変わらない。使用人らしく感情を表に出さないところに好感はもてるが、影を落とした目元がいつになく憂いげだ。
ジルが考えるように新しい煙草を口に咥えると、すかさずビオラはエプロンからライターを取り出す。用意周到なメイドから火をもらい、一度大きく息を吐き出した。
「ちょっと見てくる」
一言告げ、二階にある魔女の部屋へと向かう。
死者への喪失というのは日を追うごとに深まると聞く。長い時間をかけて感情を整理していくものだとしても、そんな悠長なことを言っている時間はアズライトにはない。
本来ジルが魔女と正式な契約を結んだのは屋敷の所有権のみだ。言ってしまえば屋敷と関係のないアズライトのことなど、死のうが出て行こうが放っておけばいい。
なぜこうも無視できないのか。
理由の分からない感情は、苛立ちを呼ぶ一方だ。
ジルは当然のようにノックもせず魔女の部屋のドアを開け放った。
広いベッドの上で丸くなっていた狼のアズライトは、ハッと顔をあげてベッドから飛び下りる。敵意剥き出しでジルを見据えながら鼻面に皺を寄せると、突然大きな唸り声とともに襲いかかってきた。狂ったように飛び付いてきたアズライトはジルの左腕に噛み付き、食いちぎる勢いで頭を振って牙をめり込ませてくる。
「……なんだよ、文句があんなら言葉を使えと言ってんだろーが」
煙草を咥えたままのくぐもった声でアズライトの訴えに答えたジルは、苛立ち混じりに舌を鳴らした。
我を忘れた野生の獣のようにジルに噛み付いて離れないアズライトは、低い唸り声をあげながら鋭い眼光で睨んでいる。
ジルは顔色ひとつ変えずに整然とした魔女の部屋を見渡した。探し物をしているわりには最初に来たときと変わらず綺麗に片付いた部屋だった。魔女の纏う香りが室内に色濃く残り、ベッドのシーツと毛布にだけアズライトが使用していた痕跡が残っている。花瓶に生けられた一倫の赤いバラは、ビオラが定期的に取り替えているのだろう。花びらがまだ瑞々しい。
「この部屋で煙草を吸われるのがそんなに嫌か?」
獣の瞳で睨んでくるアズライトを見下ろし、ジルは目を細めた。アズライトの噛み付いた左腕から滲み出た血液が、黒いスーツに更に濃い染みを作り出す。
「俺が憎いなら、もっとちゃんと噛めよ。それで本気か? 甘噛みされてるみたいで、痒くてしかたねーよ」
嘲笑うようにそう口にした次の瞬間には、左腕に噛み付いて離れないアズライトをそのまま持ち上げ、振り落とすように床に叩き付けた。
悲鳴にも似た甲高い鳴き声をあげたアズライトは、自分の意思か、はたまた弾みか、たちまち人間へと姿を変え、痛みに顔を歪める。
ジルはすぐに起き上がれない無防備なアズライトの首を掴むと、暴れるアズライトを片腕だけで軽々と持ち上げ、壁に押し付けた。
「魔女に会いてぇんだろ。俺があの世で会わせてやるよ」
底知れぬ冷たい声でそう告げ、ぎりぎりとアズライトの首を締め上げる。アズライトは苦しそうに呻きながら、ジルの腕を掴んで逃れようと足をバタつかせるが、浮いた足は壁を蹴るだけで意味をなさない。
──ジル、お願いよ。貴方にしか頼めないの。
唐突に頭の中で響いた声が、過去の記憶によるものだと気付くのに一瞬遅れた。
──私の可愛い子を、どうかお願い。
柔らかく微笑む魔女の顔が鮮やかに蘇ると、ジルは持ち上げていたアズライトをゆっくりと床に下ろし、首から手を離した。
解放されたアズライトは酸素を取り込むように嗚咽混じりの咳を繰り返す。苦しげに喘ぐアズライトを見下ろしたジルは、自嘲気味に唇を吊り上げた。
「……結局、アイツに囚われてんのは俺も同じってことか」
苛立ちの正体に気付いたジルは諦めたように溜め息を吐き出し、いつの間にか床に落ちていた煙草を拾い上げて煙ごと手の中で握り潰した。
「あの世が見えて、少しは正気に戻ったかよ」
裸で座り込んでいるアズライトと目線を合わせるようにしゃがむと、ジルは首を傾ける。
目の前で顔を伏せたアズライトの銀灰色の髪が、微かに震えている。
「──……んだよ……」
「あ? なんだって?」
掠れて聞き取れない声にジルが眉を寄せると、アズライトは俯いていた顔を勢いよくあげた。琥珀色の瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れ落ちていた。
「ないんだよっ……! ずっと、シレネが大事にしていたものがっ……いつも首から下げてたのに、どこにもないんだよっ……」
大粒の涙がアズライトの頬を何度もつたい落ちていくのを見て、ジルは呆気にとられた。
「いくら探しても、見つからないんだ……、お前なんだろっ……、お前が持ってるんだろ……お前からは、ずっとシレネの匂いが消えないっ……返せよっ……シレネは、俺にくれるって言ったんだ……返してくれよっ」
でかい図体で幼い子どものように泣きながら訴えるアズライトは、純粋なのか素直なのか、単なる情緒不安定なのか。怒ったり泣いたり感情の振れ幅が大きいアズライトをまじまじと見つめ、ジルは思わず苦笑を漏らした。
アズライトの探しているものが何か見当を付けたジルは、噛み付かれて穴の空いた左腕のスーツの袖を捲った。
傷口はすでに塞がり、腕には血液だけがべったりと付着している。
「要するに、お前も宝を見つけ出したってことか」
ジルは右手の黒手袋を外して人差し指の爪を自在に鋭く伸ばすと、その爪を左腕に突き刺し、線を引くように自らの腕を切り裂いていく。剥き出しになった肉を
「な、なにやってんだよ……痛くねぇのかよ……」
「お前に噛まれるよりは
涼しい顔でそう言うと、ジルは自身の腕から十センチほどの鍵を取り出した。血に塗れたその鍵をアズライトの前に翳す。
「これじゃねーのか、お前の探し物は」
涙に濡れた琥珀の瞳を瞬き、アズライトは驚きに手を伸ばした。
「それだ……シレネの鍵……」
アズライトの指先が鍵に触れる前にジルはそれをさっと躱わすと、おもむろに立ち上がった。
「なんだよ、返してくれるんじゃないのかよ!」
「返してほしけりゃ、まずは服を着ろ。ちょうど夜明け前だ。お前の愛しい魔女に、花でも供えてやらないとな」
鍵に付着した血を舐めるジルの姿を見上げ、アズライトは怪訝な顔で眉をひそめた。
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